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政治経済レポート
サウジアラビアのファミリー・ビジネス -イスラーム銀行のラージヒー銀行の事例-
福田 安志
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2020 年 7 巻 p. 34-46

詳細

はじめに

本稿では、サウジアラビアのイスラーム銀行であるラージヒー銀行を対象として、ファミリー・ビジネスの観点から、ラージヒー銀行の発展と銀行経営について検討する。ラージヒー家のファミリー・ビジネスとしてのラージヒー銀行がどのように形成され、事業を展開する中でラージヒー家がどのように銀行の経営にかかわってきたかについて検討し、また、両替商として事業が始まってから約70年が経過しており、ラージヒー銀行が設立されて以来30年以上が経過する中で、経営陣の死去や相続もあり、ラージヒー家の銀行への関与も変化しているが、その変化についても見ていきたい。

なお、本稿で使用した資料はラージヒー銀行が毎年発行している年報、新聞や雑誌の報道、ラージヒー銀行について触れている文献、そして関係団体のホームページ情報などであるが、ラージヒー銀行の年報に関しては、手元にあり利用できるのは年報の2006年版以降のもので、それ以前の古い年報は利用できなかった。そのため2006年以前のラージヒー銀行に関する情報については、主に報道や文献などを利用して検討した。

また、ラージヒー銀行(Al Rajhi Bank)は商標として登録された名前であるが、現在の正式名称はAl Rajhi Banking and Investment Corporation1である。本稿では簡略な表記を用い、ラージヒー銀行と呼ぶことにする。なお、ラージヒー銀行の年報やホームページ、さらに、様々な英文の文献や書類の中では、銀行の名前や経営一族の名称は英文でal-Rajhiと記されている。しかし、サウジアラビアの部族名辞典やアラビア語人名事典ではその一族や氏名はal-Rājihīと発音されているため2、本稿ではそれにしたがってラージヒーと表記することとする。

1. ファミリー・ビジネスの開始

ラージヒー銀行の年報(2018年版)によると、2018年末でラージヒー銀行の資産は3,650億リヤル(973億米ドル)で、世界最大のイスラーム銀行であるとされる。通常型銀行を含むと、資産の点ではサウジアラビアで2番目に大きな銀行で、国内には551支店を持ち、その内157支店は女性専用支店である。預金総額は2,939億リヤル(784億ドル)で、従業員は12,732人。イスラームの影響力の強いサウジアラビアでは、国民の間でイスラーム金融が好まれていることもあり、イスラーム銀行である同行の取引相手は個人が多く、個人預金に関しては中東で最大の小売り銀行(retail bank)であると年報では記されている。ヨルダンに10支店を持ち、クウェートには2つの支店があり、マレーシアには子会社を設立してその下に18支店を持つとされる3。また、多数の系列企業から成る企業グループを形成している。本店はリヤードにある。

ラージヒー銀行はラージヒー家の4人の兄弟が行っていた両替商などの事業を母体として発展したものである。4人の兄弟は、年齢の上から順にSaleh bin Abdul Aziz al-Rajhi(以下Saleh al-Rajhiとする)、弟のSulaiman bin Abdul Aziz al-Rajhi(以下Sulaiman al-Rajhi)、次のAbdullah bin Abdul Aziz al-Rajhi(以下Abdullah al-Rajhi)、そして4番目のMohammed bin Abdul Aziz al-Rajhi(以下Mohammed al-Rajhi)である4。ラージヒー銀行の発展過程では、Saleh al-RajhiとSulaiman al-Rajhiの2人の兄弟が大きな役割を果たした。

4人の父親(Abdul Aziz bin Saleh al-Rajhi)は、もとはサウジアラビア中央部の西方にあるカシーム地方のal-Bukairiyaに住み農業や商売を行っていたとされるが、1931年にリヤードに移住した。子供達も父親と一緒にリヤードに来たが、Saleh al-Rajhi(1926年生まれ、2011年2月死去)は、はじめはリヤードの市場でポーターとして働くようになったとされる。後にスクラップ物資の売買などの商売で資金を貯め、1947年にリヤードに店舗を持つようになり、やがて両替商を開いた。Saleh al-Rajhiはリヤードではムフティなどの下で熱心にイスラームを学んだとされる5

Sulaiman al-Rajhiは1929年生まれで、リヤードでは食品雑貨店などを営み、後に兄のSalehと協力して両替商の事業を拡大することになる。他の2人の兄弟もそれぞれに事業を行っていた。

当時のサウジアラビアでは紙幣は存在せず通貨としては銀と金のコインが使用されており6、マリアテレジアドル(銀貨)やインドルピーなどの海外の通貨が流通していた。当時のサウジアラビアには銀行が存在しなかったこともあり、多種のコインの両替業務や、預金の受け入れや資金の貸付を行うなど、両替商は金融・経済で一定の役割を果たしていた。

Saleh al-Rajhiは両替商の事業を発展させ、メッカやジェッダへも事業を拡大するようになった。メッカやジェッダでは、毎年ハッジ(大巡礼)やウムラ(小巡礼)のために海外から多数のメッカ巡礼者がやってくるが、それらのメッカ巡礼者用に両替の需要が多くあり、事業をさらに発展させた。1978年には兄弟が行っていたいくつかの事業を統合しラージヒー両替・通商会社(ARCCEC、Al-Rajhi Co. for Currency Exchange and Commerce)を設立した。ARCCECは1970年代後半以降のオイルブームの中でサウジアラビアで働く外国人労働者の数が急増し、その海外送金が大きく増加した追い風を受けて、さらに発展していった。ARCCECの会長はSaleh al-Rajhiが務めていた7

2. ラージヒー家の銀行統治

ARCCECは1980年になるとサウジアラビアでの支店数が200支店を超えるようになり、有力銀行と肩を並べるような規模に育っていたが、イスラーム金融部門を設立してイスラーム金融業務に乗り出した。両替事業の中で顧客の預金を預かるようになったもので、イスラームの影響力の強かったナジュド地方(リヤードなどのあるサウジアラビア中央部)を拠点としたARCCECが、イスラーム金融に乗り出したのは自然なことであった。経営者層のイスラームへの関心の強さもイスラーム金融への関与を後押ししたであろう。

しかし、銀行ではなかったARCCECが預金を受け入れるようになったことで、中央銀行に当たるSAMA(Saudi Arabian Monetary Agency)との間で軋轢が生じたため、ARCCECは業態を転換し銀行業を始めようとした8。長い交渉の期間を経て、最終的に1987年にSAMAから銀行としての免許を受け、翌1988年に銀行業務を開始した。合資会社(Joint Stock Company)として出発し、同年に株の公開を行っている。

ARCCECはイスラーム金融業務を行っていたため、銀行としての発足にあたりイスラーム銀行となることを目指したが、サウジアラビア政府はイスラーム銀行を制度的に認めていなかったため、与えられた銀行免許は通常の銀行としての免許であった。サウジアラビアの国内ではその頃までに銀行の設立が相次ぎ、国内ではすでに12行の銀行が存在するようになっていた。それらの12行はすべて通常型の銀行であった。もし新たにイスラーム銀行を制度的に認めるとその12行がイスラーム銀行ではないことを際立たせ、無利子を建前としていたサウジアラビアの金融制度の矛盾が露呈することになる。宗教界や保守層を巻き込んだ政治問題となることを避ける為に、ラージヒー銀行には通常の銀行の免許を与えたのであった。結局政府は1987年にラージヒー銀行の設立を承認し、イスラーム銀行として活動することを事実上容認したのであった9

ラージヒー銀行はその設立への歴史からも見て取れるように、ラージヒー家の4人の兄弟たちが作ったファミリー会社である。ラージヒー銀行の発足に際しては、会長にはSaleh al-Rajhiが就任した10。同氏がARCCECの会長を務めていた流れで、銀行の会長になったものと考えられる。GM(CEO、役員兼任)にはSulaiman al-Rajhiが就き、ラージヒー銀行の実務の舵取りを任された11。会長も含めた銀行の経営陣である役員会(board of directors)を構成する役員の中にはラージヒー家出身者が8人いた。ラージヒー家の4人の兄弟と4人の息子たちである。

発足時の銀行の株式の株主構成については、全体的な状態は後に述べることとするが、役員の株の保有状況はSulaiman al-Rajhiが23.5%と最も多くの株を持ち、Saleh al-Rajhiが17.5%、Abdullah al-Rajhiが6.5%、Mohammed al-Rajhiが4.5%を保有し、ラージヒー家の4兄弟が株式総数の52%を保有していた12。役員構成と株式の保有状況から見て、ラージヒー銀行がラージヒー家のファミリービジネスとして発足したことは明らかである。

ラージヒー家のファミリービジネスで主導的な役割を担ったのはSulaiman al-Rajhiであった。ARCCEC設立後からラージヒー銀行の開設までの動きについては情報が少なく、不明な点が多いが、ラージヒー銀行の設立に際してSulaiman al-RajhiがGM(CEO、役員兼任)に就任し、また総株数の23.5%を保有し4兄弟の中で最大の株を保有していたことは、彼が銀行の設立と経営において中心的な役割を担っていたことを示唆している。銀行設立後もSulaiman al-Rajhiとその息子のAbdullah Sulaiman bin Abdul Aziz al-Rajhi(以後はAbdullah Sulaiman al-Rajhiとする)が銀行経営で主導的な役割を果たしていた。Abdullah Sulaiman al-Rajhiは1996年にGM(CEO、役員兼任)となっている13。その後同氏は2015年に会長に就任し現在も会長をつづけている。

(出典)ラージヒー銀行の年報及び各種報道などより作成14

ファミリー支配についていえば、ラージヒー家が支配する状態は銀行の設立後も続いた。ラージヒー銀行の2006年の会社年報を見てみると15、銀行の会長はSulaiman al-Rajhiが務め、CEOには会長の息子のAbdullah Sulaiman al-Rajhiが就き、その他の9人の役員の中にはラージヒー家の者が4人入っている。その4人は、Abdullah al-Rajhi、Mohammed al-Rajhi、そしてSaleh al-Rajhiの息子のSulaiman bin Saleh al-Rajhi、さらにAbdullah al-Rajhiの息子のMohammed bin Abdullah al-Rajhiである。高齢で引退したSaleh al-Rajhiを除く3兄弟と兄弟の子供達で、会長とCEOを含む銀行の11人の役員の中にはラージヒー家の者が6人入っている。以上のような役員構成から見て、2006年の段階でもファミリービジネスの形態が維持されていることが認められる。

なお、その11人の役員の中には、al-Rajhiの家名をつけていない人物が5人いるが、ラージヒー家との姻戚関係などは不明である。サウジアラビアは制度的には一夫多妻制をとっており複数の妻を持つことが可能であり、とりわけ富裕層には一夫多妻のケースが多くみられる。Saleh al-Rajhiには60人の子供がいたとされ16、Sulaiman al-Rajhiは23人の子供を持っていたとされる17。4兄弟はそれぞれに何人かの妻をめとり、複雑な姻戚のネットワークを持っていたものと推測される。おそらくは、al-Rajhiの家名を持たない5人の役員の中にも、ラージヒー家との姻戚関係を持つ者がいるのではないかと推測される。ラージヒー家が銀行を育てていった時期のサウジアラビアの社会は、親戚関係を重視した部族社会であり、ラージヒー銀行の経営陣の構成にも当然そのことが影響を与えていたものと思われる。いずれにせよ、人的側面から見るとラージヒー銀行へのラージヒー家の支配は強固であったとみて良いであろう。

その後、ラージヒー銀行とラージヒー家との関係は後に詳しく述べるように変化していく。同行の2018年の年報を見ると、2018年末の段階で、ラージヒー銀行の会長はラージヒー家のAbdullah bin Sulaiman al-Rajhiが務めている。同氏は、創業4兄弟の一人で後に同行の会長となったSulaiman al-Rajhiの息子である。しかし、銀行の役員11人の構成を見てみると、会長を除くとラージヒー家の者は1人しかいないのである。それはBader bin Mohammed al-Rajhiで、Mohammed al-Rajhiの息子である。なおこのBader bin Mohammed al-Rajhiがラージヒー銀行で果たしている役割については、ラージヒー家のラージヒー銀行への関与の方法が変化したことを示す一つの事例として重要なので、最後の節で改めて説明することとする。

このように、閲覧可能な最新の年報である2018版によると、2018年末の段階では銀行の経営陣においてラージヒー家出身者の数が2名と少なくなり、ラージヒー家はまだ影響力を保持しているものの、かつてのような強固な支配的立場からは大きく後退していることが認められる。その背景には、どのような事情があったのであろうか。

3. 役員構成の変化

ラージヒー銀行はファミリービジネスとして始まったが、2010年代に入ると変化が起こり、ラージヒー銀行におけるラージヒー家の関与が次第に弱まっていく。

なによりも、ラージヒー銀行を創業した4兄弟が高齢になり死亡し、あるいは現役を退くようになったことがある。例えば、Saleh al-Rajhiは2011年に死去し、Mohammed al-Rajhiも2012年に死去している。Sulaiman al-Rajhiも高齢になり2014年を最後にラージヒー銀行の会長を退いた。4兄弟の一人のAbdullah al-Rajhiも2014年を最後に退任し、経営陣から銀行創設時の4兄弟は全ていなくなった。

注:年報が利用できる2006年以降の数字である。

(出典)ラージヒー銀行の年報

2015年からは前会長のSulaiman al-Rajhiの息子のAbdullah bin Sulaiman al-Rajhiが会長職に就いた。2015年に体制が変化し、2015年以降は4兄弟の男子4人がラージヒー銀行の経営を担うようになった。しかし、表2にも示したように、その後2人のラージヒー家の役員が退任し、2017年以後はラージヒー家の者は会長を含め2人のみとなっている。こうした変化につながったのは、4兄弟の一族が銀行以外の他の事業へ進出し事業や資産の分散が進んでいることと、ラージヒー銀行の株式をめぐる問題がある。

ラージヒー銀行の成功により、ラージヒー家の一族はラージヒー銀行以外の多様な企業や組織の運営に関与するようになった。Sulaiman al-Rajhiは世界で有数の資産家となり世界の長者番付表に載るようになったが、4兄弟の一族についても多額の資産を形成し、その資産を使って新規に別の事業を始めたり、他の企業の株を取得して役員になることが多くなった。ラージヒー家の社会的地位の向上により他の企業や組織の役員を引き受けることも多かった。また、第6節で述べるように、ラージヒー家が保有したラージヒー銀行の株式資産をワクフに設定して慈善団体を作り、ラージヒー家の一族がその運営にかかわる事例も見られる。さらにラージヒー銀行のグループ企業にもポストを得ている。

いずれにせよ、ラージヒー家の一族は多数の企業や組織に関与するようになったのである。それらは農業会社、鉄鋼会社、石油化学品製造会社、食品会社、建設会社、不動産開発会社など有力な企業も含め多数に上る。関連する企業や組織は多数に上るために本稿では紹介しないが18、そのことによってラージヒー家一族では事業や資産の分散が進み、ラージヒー銀行に関与し続けることを必ずしも必要としなくなったのである。

銀行の創業に当たった4兄弟は多数の子供を持ち、ラージヒー家の一族は巨大な規模に拡大している。サウジアラビアでは、1970年代後半以降のオイルブームを経て社会的変容が進み、その部族社会も変容し、部族的なつながりもなくなってはいないが、弱くなってきている。ラージヒー銀行は、かつては4兄弟を中心としたラージヒー家一族の統合のシンボルであった。その4兄弟が死去するか高齢になり、ラージヒー家一族のつながりも弱くなってきているなかで、ラージヒー銀行は現在でも一族の統合のシンボルではあっても、ファミリーにおける実際上の役割と意味は大きく減少しているものと考えられる。

また、ラージヒー銀行が株式会社として発足し、株を公開したこともラージヒー家の支配に大きな影響を与えている。株の公開と金融当局(SAMA)の強い規制を受けるようになったことによって、ラージヒー銀行の公的な性格が次第に強まるようになり、ラージヒー家の独占的な支配が困難になってくるからである。2016年に、ラージヒー家の2人の役員が退任し、その後任がラージヒー家からは選ばれなかったことも、そうした大きな流れを示していよう。また、死亡などに伴ってラージヒー銀行株の保有状況が大きく変化したことも影響している。ラージヒー銀行株の問題は、銀行とラージヒー家の関与を見る上で重要なので、次の節で詳しく検討したい。

4. 銀行株の保有をめぐる変化

すでに述べたようにラージヒー銀行は株式会社として発足し、発足時に株を公開している。株の公開は銀行免許取得に際し公開が義務付けられていたためではないかと考えられる。株の公開時期は1988年7月のことで、1987年にラージヒー銀行に銀行免許がおりた翌年1988年の銀行業務の開始と同時であった。

当時のラージヒー銀行の総株数は750万株であった。額面では1株当たり100リヤルであったので、その金額で計算すると、発足時のラージヒー銀行の株式資本金は7億5,000万リヤルであった。サウジアラビアは1986年からドルペッグ制を維持しており、為替レートは現在と同じなので、1ドル=3.75リヤルで計算すると米ドルに換算した株式資本金は約2億ドルになる。

公開されたのは総株数の43%に当たる322万5,000株であった。公開、つまり売りに出された株の額面上の総額は3億2,250万リヤルで、アメリカドルに換算するとその金額は8,600万ドルとなる。公開された株への応募は7.6倍あった19。相当な人気である。

公開は今日でいえばIPOに相当するものであるが、当時は、サウジアラビアではまだ公設の株式市場は開設されていなかった。サウジアラビアでは1970年代後半に当事者による相対での株の取引きが始まり、その2、3年後に商業銀行が株の取引の仲介を行うようになったとされる20。ラージヒー銀行の株の公開の頃には、銀行のカウンターを通して株の取引が行われるようになっており、ラージヒー銀行の株の公開も主には銀行を通して行われたものと考えられる。その後のラージヒー銀行の株の取引は、銀行の窓口を通して行われていた。

このようにしてラージヒー銀行の株は公開され、総株数の43%が販売された。しかし、全体の57%、株数にして427万5,000株は販売されなかった。その57%の内訳としては、52%はラージヒー家の4兄弟が保有し、残りの5%は銀行創設時の関係者が保有していた。関係者というのは実際にはラージヒー家の家族・親戚や関係者、ラージヒー銀行の協力者がほとんどだと思われるので、株の公開後もラージヒー家とその支持者たちが株の過半数を保有していたのであった。販売によって新たに株を取得した43%の者たちの中にもラージヒー家を支持する者たちがいたと思われる。すでに述べたようにラージヒー銀行の経営陣はラージヒー家の者たちが多数を占めており、株の公開によってもラージヒー家の銀行支配は揺るがなかったのであった。

ラージヒー銀行の株はその後、無償の増資が繰り返し行われ、株の総数が大幅に増加していった。例えば、1991年には資本金を当初の7億5000万リヤル(2億ドル)から15億リヤル(4億ドル)に無償で増資し、資本金は2倍になっている。増資の原資にはラージヒー銀行が蓄積した利益が充てられた21。増資に伴い株数も750万株から1,500万株に倍増している。

その後も無償増資が繰り返されている22。無償増資は、例えば既存の2株に新規に1株、ないしは2株を無償で与えるなどの方法で行われており、株主間での保有株の比率が変化するものではなく、ラージヒー家の支配に直接影響を与えるものではないが、無償増資によってラージヒー銀行の総株数は大幅に増加した。

無償増資では、ラージヒー銀行が蓄積していた利益を原資として新株が発行されたが23、それは蓄積した利益を株に移し替え銀行の中核的自己資本金(Tier 1)として固定し、Tier 1資本金を大幅に増加させたことを意味している24。ラージヒー銀行の預金量は大幅に増加していた。その時期には、国際決済銀行BISによる銀行規制が強化されており、そのBIS規制では、銀行の安定を保証するために、預金量に比した一定の割合でのTier 1資本金の増加を求めていた。預金量が大幅に増加したラージヒー銀行はTier 1 資本を厚くして、規制をクリアーする必要があったのである。

無償増資はラージヒー銀行のさらなる安定化を進めたが、それは同時に株主に利益を還元する意味もあった。また無償増資はラージヒー銀行の経営が順調に発展していることを示し、ラージヒー家の銀行支配の安定につながったのであった。

なお、ラージヒー銀行の経営の中心にいたSulaiman al-Rajhiの持ち株比率(対総株数)は、銀行の設立時とその後を比較しても、大きくは変化していないので、第三者への新株割当による増資を行うと、ラージヒー家の支配が脅かされる恐れがあることも、無償増資の繰り返しにつながったものと思われる。

また、一株当たりの額面の大幅な切下げ(株の分割)も何回か行われている。当初は一株当たりの額面は100リヤルであったが、2018年現在の一株当たりの額面は10リヤルで、分割によって10分の1になり、逆に株数は分割だけで10倍に増えているのである。

さて、ラージヒー銀行でのラージヒー家の株の保有状況はどのように変化したのであろうか。同行の年報では、2010年版以降に役員の同行株の保有状況が記載されるようになった。その2010年版でラージヒー家の株の保有状況を見てみると25、会長のSulaiman al-Rajhiは、3億7,406万7,025株を保有し、当時の総株数15億株の24.9%を占めている。会長の息子でCEOのAbdullah bin Sulaiman al-Rajhiは3,016万5,983株で2.0%、4兄弟の一人のAbdullah al-Rajhiは8,980万8,734株で5.99%、同じく4兄弟の一人Mohammed al-Rajhiは12万5,849株で0.008%である。一方、息子の世代ではMohammed bin Abdullah al-Rajhiは1万7,418株で0.001%、同じく息子の世代のSulaiman bin Saleh al-Rajhiは4,141株で0.0003%となっている。(兄弟関係や親子関係の一覧表については(表1)を参照、役員数の変遷については(表2)を参照)

(出典)ラージヒー銀行の年報2011年版

4兄弟のSulaiman al-Rajhi(会長)と同じく4兄弟のAbdullah al-Rajhiに関しては、銀行の発足当初と比べても株の保有割合(対総株数)は大きくは変化していない。ただし4兄弟の一人のMohammed al-Rajhiの保有株の割合は0.008%へと大幅に減少しており(ラージヒー銀行設立時には4.5%を保有)、彼が株の多くを手放したことが見て取れる。そのことについては次の節で説明する。

息子の世代について見てみると、会長の息子でCEOのAbdullah bin Sulaiman al-Rajhiは2.0%を保有しているものの、その他の息子の世代はわずかな株しか保有していない。なお4兄弟の最年長で初代会長だったSaleh al-Rajhi(2011年死去)についてはすでに役員を退任していたため、年報での役員の株の保有状況のリストからは除外されている。

会長のSulaiman al-Rajhiのその後の株の保有状況を見てみると、2011年版では21.7%になり、2013年版では20.1%へと少し減少している26。しかしそのSulaiman al-Rajhiの保有数は、2014年版によれば2014年の年初には542万5,206株になり、総株数の0.36%に激減している27。年報では年初と年末の株の保有状況を記載しているので、Sulaiman al-Rajhiの2013年の株の保有状況の変化を見てみると、すでに2013年の間に516万4,156株と、0.34%に減らしていたことが認められる。その後Sulaiman al-Rajhiは2014年に役員を退任したが、退任前に劇的に持ち株を削減したことを示している。削減の背景に何があったのかについては、次の節で検討する。

ラージヒー銀行におけるラージヒー家の役員の数は2014年を境にして大きく減少した。その変化については「(表2)ラージヒー銀行の役員11人の構成」に示したが、以下では2015年と2018年のラージヒー家出身の役員の株の保有状況について見ておきたい。2015年の状況については下の(表4)に示したが、ラージヒー家出身の役員の株の保有率が極端に少なくなっているのが見て取れる。

(出典)ラージヒー銀行の年報2016年版

確認できる最も新しい年報である2018年版で見ると(表5)、父親の跡を継いで会長になったAbdullah bin Sulaiman al-Rajhiの持ち株は全体の2.17%である28。2010年と比較して少し増えてはいるが、総株数の中で見るとわずかな株しか保有していない状況に変わりはない。2011年に役員に就任したBadr bin Mohammed al-Rajhiの保有は0.001%である。彼は4兄弟の一人の Mohammed al-Rajhiの息子である(表1参照)。

ラージヒー銀行経営陣の第一世代であった4兄弟の一人で前会長のSulaiman al-Rajhiは2014年に退任しており、同じく第一世代の役員だった4兄弟の一人のAbdullah al-Rajhiも2014年に退任した。(表4)と(表5)からは、その2人の退任を境にして、ラージヒー家出身の役員の株の所有数・率が劇的に減少していることが読み取れる。

すでに述べたように、ラージヒー銀行におけるラージヒー家の役員数は現在大幅に減少しており、株の保有も激減している。それらの数字からは、ラージヒー銀行におけるラージヒー家の影響がしだいに失われていく流れのようにも見られる。しかし実際には、ラージヒー家のラージヒー銀行へのかかわりは複雑であり、役員数や株の所有数・率の減少だけでは見えない部分がある。その点について次の節で検討したい。

(出典)ラージヒー銀行の年報2018年版

5. 株の相続とワクフの設定

ラージヒー家とラージヒー銀行との関係を見ていく上で、ラージヒー家の4兄弟が保有した銀行の株の所有権が兄弟の死去などによってどのように変化するかという問題は避けて通れない。

ラージヒー銀行を始めた4兄弟の内で、初代会長を務めたSaleh al-Rajhiは2011年に死去した。1988年の銀行設立時に、Saleh al-Rajhiが所有した株は総発行株数の17.5%であった。Saleh al-Rajhiは、ラージヒー銀行のその後の発展によって巨額の資産を持つことになったのである。彼は、2002年段階で推定80億ドルの資産を保有していたとされる。その巨額の資産をめぐり、サウジアラビアの高等裁判所は2002年に、Saleh al-Rajhi が高齢で健康状態が思わしくないとして、同氏の資産を裁判所の管理下に置くことを決定した29。裁判所が介入した背景については不明であるが、相続をめぐり争いが起こることを恐れた一族の誰かが裁判所に訴えた可能性がある。

Saleh al-Rajhiは2011年に死去したが、その相続はイスラーム法に則って行われた可能性が高いと思われる。サウジアラビアでは相続に際してはイスラーム法が適用される。イスラーム法の下での相続では、男子と女子では相続分に差があるものの、男子に関しては均分に相続される。実際の制度とその運用は国によっても異なるとは思われるが、男子間では均分相続が原則である。

Saleh al-Rajhiには60人の子供がいたとされる。男女で相続分に差があるが、仮にここで、Saleh al-Rajhi の当初の持株の17.5%が2011年にもそのまま続いていたと仮定し、それを仮に60等分すると0.29%ととなる。もっとも、Saleh al-Rajhは生前にワクフを設定して資産の一部をそのワクフに寄贈しており、そのことで本来の資産(ラージヒー銀行の株)はある程度減少していたであろうことを考慮すると、実際に相続されたものは0.29%をはるかに下回る数字になるものと考えられる。

Saleh al-Rajhiの息子でラージヒー銀行の役員になったSulaiman bin Saleh al-Rajhiのラージヒー銀行株の保有率の変化を見てみると(表3表4参照)、2010年には0.0003%に過ぎなかった保有率が相続後の2015年(1月)には0.22%に上昇している。0.22%という数字は、上述のイスラーム法の下での相続が行われたことを示していよう。

ラージヒー4兄弟の資産は、子供たちに相続される場合には、多数の子供たちがいるために細分化され、しかも年代を経るごとにさらに細分化されていくことになろう。

しかしその資産がワクフに設定されることがあれば、細分化は避けられることになる。次に銀行株のワクフ設定についても述べておこう。ワクフとは、イスラームの宗教や慈善活動などを目的として寄贈された金品や土地などの資産を示すが、ラージヒー家のワクフの場合、そのワクフ資金を用いて慈善団体が作られ活動を行っている。

とくに有名なものの一つはSaleh al-Rajhiが設立したAl Rajhi Endowment(Awqaf Al Rajhi)である。設立されたのはイスラーム暦1417年(西暦では1996年5月から1997年5月の間)で、同団体は慈善事業を始めとして多様な事業を行っている。Al Rajhi Endowmentの運営に当たっている理事会では5人の理事がおり、その内ラージヒー家出身者が2名いる。2名ともワクフ設定者のSaleh al-Rajhiの息子である。なおワクフ設定に際してSaleh al-Rajhiが拠出した金額は不明である。

もう一つ、Sulaiman al-Rajhiが設定した慈善団体がある。名称はSulaiman Bin Abdul Aziz al-Rajhi Charitable Foundationであり、Sulaiman al-Rajhiによりワクフとして設定されたものである。それはSulaiman al-Rajhiが、2013年にラージヒー銀行の株の19.7%を寄付して設立した慈善団体である30。前の節でSulaiman al-Rajhiの株の保有は2013年に20.1%から0.36%に激減したと記したが、その減少分はSulaiman bin Abdul Aziz al-Rajhi Charitable Foundationの設定に充てられたものであり、ワクフ設定はラージヒー銀行の年報の数字からも確認できる。

Sulaiman al-Rajhiが保有したラージヒー銀行株の大部分はワクフに設定されたわけであるが、残念ながらその理事の構成や活動など具体的な内容は公表されておらず、不明である。とくに理事の構成が不明なため、ラージヒー銀行との人的なつながりを明らかにすることができない。

ラージヒー銀行は1988年の設立以来、Sulaiman al-Rajhiが中心となって動かしてきており、2015年からはSulaiman al-Rajhiの息子のAbdullah bin Sulaiman al-Rajhiが会長になって取り仕切ってきた。Sulaiman al-Rajhiが設立したこのSulaiman bin Abdul Aziz al-Rajhi Charitable Foundationは、同銀行の多数の株を保有しており、現会長のAbdullah bin Sulaiman al-Rajhiを支えていく役割を果たすものと考えられる。また、銀行の株の相当部分がワクフに設定されていることは、他社によるラージヒー銀行乗っ取りの防止にも大きな役割を果たすことだろう。

また、4兄弟の一人のMohammed al-Rajhiは、2010年で役員を退任して2012年に死去した。その男子のBadr bin Mohammed al-Rajhiが、代わって2011年より役員に就任し現在に至っている。Badrの持株は2018年でも0.001%と極小である。しかし年報の中では、2016年より投資会社のMohammed Abdul Aziz al-Rajhi & Sons Co for Investmentが株の2.1%を保有すると記載されるようになった。役員のBadr bin Mohammed al-Rajhiがその投資会社を代表するものと記されている。死去したMohammed al-Rajhiは生前に自ら設立したその投資会社に保有株に移しており、息子のBadr bin Mohammed al-Rajhiがラージヒー銀行でのその権利を受け継いだことを示すものではないかと思われるが、詳細は不明である。

結論

本稿ではファミリー・ビジネスとして出発したラージヒー銀行をめぐり、ラージヒー家との関係がどのように変化してきたかについて検討した。ラージヒー銀行の設立から30年以上が経過し、その以前の両替商の時代から約70年が経過しており、ラージヒー家のファミリー・ビジネスの姿は大きく変化してきている。何よりも人と株の面で、ラージヒー家とラージヒー銀行との関係は弱くなってきている。このまま次の孫の世代になると、さらに関係が弱くなる可能性があろう。しかし一方でワクフなどを通した結びつきが続いていることも伺われ、ラージヒー家とラージヒー銀行との関係が完全に切れることはないものと思われる。将来を占う一つのカギは、現在の会長のAbdullah bin Sulaiman al-Rajhiの息子たちが、将来ラージヒー銀行の役職に就くことがあるかどうかという点にあるように思われる。

本文の注
1  英文の銀行名にInvestmentと記されているのは、銀行の資金運用の中でムダーラバ、ムシャーラカなどのイスラーム型の投資を行っているためではないかと思われる。

2  mu’jam qabail al-mamlaka al-arabiya al-suudiya, 1980, dar al-yamama lil-bahth wa al-tarjama wa al-nashr, Riyadh. 及び mu’jam isma’ arab, 1991, jamiat sultan qabus, Muscat.→固有名詞の単語は大文字で始めるようにしてください。

3  Annual Report 2018, Al Rajhi Bank.

4  4人の父親のAbdul Aziz bin Saleh al-Rajhiには、その4人を含め11人の男子がいたとされる。J.R.L. Carterがラージヒー家の系図を明らかにしている。J.R.L. Carter, Leading Merchant Family of Saudi Arabia, Scorpion Publication, England, 1979。なお、1991年にジェッダに両替商のAl-Rajhi Commercial Establishment for Exchangeがあり、その社長はAbdul-Rahman al-Rajhiであるとの報道があるが、その人物は本稿で取扱っているラージヒー家の4人の兄弟の弟である。President of Money Changer wants Company to become a Bank, Middle East Economic Digest(MEED)、1991年9月20日付け。

5  The Alrajhi Endowment of Sheikh Saleh bin Abdulaziz Alrajhi のホームページの記載。http://www.rajhiawqaf.org/en/aboutus/Pages/About%20The%20Waqif.aspx、2020年1月30日閲覧。Al-Rajhi assets placed under legal custody, Arab News, 2002年8月8日付け、2002年8月8日閲覧。ラージヒー銀行の年報では、同行は1957年に設立された(Founded in 1957)とされているが詳細は不明、Annual Report 2018, Al Rajhi Bank.

6  銀貨は海外から政府が大量に輸入した。1952年にサウジアラビア通貨庁(SAMA)が設立され、SAMAは同年に初めてのサウジアラビアのリヤル金貨を発行している。SAMAは1953年に外国人の巡礼者向けにpilgrim receiptsを発行したが、それは最初の紙幣の役割を果たすようになった。トラベラーズ・チェックの形態をしていた。紙幣はイスラーム初期には使用されておらず、初期イスラームを重視した宗教界には紙幣の発行に反対する声が根強かった。宗教界などには銀行の開設に反対する声も強かった。銀貨や金貨を補うものとして銅貨が補助貨幣として用いられていた。

7  Tale of Saudi Money -Changer, The New York Times, 1982年8月13日付け。

8  Dukheil, Abdulaziz M. al-, The Banking System and Its Performance in Saudi Arabia, Saqi Books, 1995, London, pp.172-178.

9  福田安志「サウジアラビアにおけるイスラーム銀行の発展」、『世界に広がるイスラーム金融』、濱田美紀、福田安志編、2010年、アジア経済研究所。

10  前掲のThe Alrajhi Endowment of Sheikh Saleh bin Abdulaziz Alrajhiのホームページの記載。

11  “The conversion of the banking operations of Saudi Arabia's largest moneychanger, Al-Rajhi Company for Currency Exchange and Commerce, into a fully licensed bank is imminent,” MEED, 1988年2月6日付け。

12  New Al-Rajhi Bank Seen as Major Challenge to Saudi Banks, MEES, 1988年6月20日号。

13  Abdullah Sulaiman al-Rajhi, MEED, 2011年12月5日付け。

14  the Alrajhi Endowment of Sheikh Saleh bin Abdulaziz Alrajhiのホームページ、2020年1月31日閲覧。The conversion of the banking operations of Saudi Arabia's largest moneychanger, Al-Rajhi Company for Currency Exchange and Commerce, into a fully licensed bank is imminent., MEED, 1988年2月6日付け。

15  Annual Report 2006, Al Rajhi Bank.

16  Al-Rajhi assets placed under legal custody, Arab News, 同上。

17  #37 Sulaiman Bin Abdul Al Rajhi, Forbes.com, https://www.forbes.com/lists/2006/10/OH45.html、2020年1月30日閲覧。

18  それらの企業や組織名の一部は、ラージヒー銀行の年報の中で、ラージヒー家出身の役員が兼任している他の企業や組織での職務の一覧の中でも紹介されている。

19  Al-Rajhi Offer Oversubscribed 7.6 Times, MEES, 1988 年 6 月 27 日付。

20  The story of the Saudi stock market How all the wheeling and dealing in share trade began, Saudi Gazette, 2017年12月8日付、2017年12月8日閲覧。

21  Saudi Rajhi Banking Corp Doubles Paid-in Capital, 1991年7月2日付け、Reuters News.

22  例えば2005年から2006年の増資、Annual Report 2006, Al Rajhi Bank.

23  ラージヒー銀行では当座預金の割合が大きく高収益を上げ多額の利益を貯えていた。それについては次の文献に述べてある。福田安志「サウジアラビアのラージヒー銀行-世界最大のイスラーム銀行発展の背景」『中東協力センターニュース』、2011年1月号。

24  銀行が蓄積した利益はTier 1 資本に当たらないが、無償増資によって株式化することで、バランスシート上の銀行のTier 1 資本を大幅に増やすことになった。

25  Annual Report 2010, Al Rajhi Bank. なお、年報の中では、年初めと年末における株の保有状況を記載し、年内における保有の変化が分かる形にしているが、本稿では年初の数字のみを取上げた。年初における株の保有状況を示している。

26  Annual Report 2011, Al Rajhi Bank、Annual Report 2013, Al Rajhi Bank.

27  Annual Report 2014, Al Rajhi Bank.

28  総株数は16億2500万株。

29  Al-Rajhi assets placed under legal custody, Arab News, 同上。

30  Sheikh Sulaiman Bin Abdulaziz Al Rajhi, Gulf Business, https://gulfbusiness.com/lists/100-powerful-arabs-2017/sheikh-sulaiman-bin-abdulaziz-al-rajhi/, 2020年2月1日閲覧。

 
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