民族學研究
Online ISSN : 2424-0508
イスラームにおける二つの「知」の在り方と音文化
鷹木 恵子
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2000 年 65 巻 1 号 p. 9-24

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抄録

イスラームは,その歴史的過程で二つの「知」, すなわちアラビア語でイルムとマァリファと呼ばれるものを発展させてきた。 本論は,イスラーム世界の音文化を,この二つの知の在り方との関連から検討するものである。イルムとは,コーラン学やハディース伝承学に始まる,イスラームの伝統的諸学,また現在では学問一般をも意味する 。それは学習によって習得可能な形式的知識,また差異化や序列化,規範化を指向する知識として捉えられる 。 他方,マァリファとは,イスラーム法の体系化に伴う信仰の形骸化に反発して生まれたイスラーム神秘主義において追求された,身体的修業を通して到達する神との神秘的合一境地で悟得される直観知,経験知を意味する 。

これら二つの知の主たる担い手,イルムの担い手ウラマーとマァリファの担い手スーフィーのあいだでは,音楽に対する解釈やその実践にも異なるものがみられた。ウラマーのあいだでは,当初,音楽をめぐり賛否両論の多くの議論があり,イスラーム法での儀礼規範にはコーラン読誦とアザーン以外, 音文化的要素はほとんどみられない。一方,マァリファを追求したイスラーム神秘主義では,サマーと呼ばれる修業法に,聖なる句を繰り返し唱えるズィクルや, 器楽,舞踊などが取り入れられ,豊かな音文化を開花させた 。またイルムの儀礼実践の中核にあるコーラン読誦では、啓示の意味を明確化し、他者への伝達を指向する。堀内正樹の分析概念に基づくならば,「音の分節化」がみられるのに対して,マァリファの儀礼実践ではズィクルにみるように,自己の内面への精神集中が目指され,神との合一境地ではその声は意味を解体させ,「音の脱分節化」という特徴がみられる。このようにイルムとマァリファの知の特徴の相違と同様,これらの儀礼的実践における音文化的特徴にも,それぞれ異なる特徴のあることを指摘し得る。またイスラーム世界ではコーラン読誦やアザーンは「音楽」の範鴎外とされていることから,より包括的な音の問題の検討の上では,「音文化」という概念が有効であることについても,最後に若干,コメントを付す。

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© 2000 日本文化人類学会
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