1972年のニクソン大統領による訪中・訪ソ, および翌年1月のベトナム和平協定の成立により, 日米両国を取り巻く国際環境は劇的に変化し, そのなかで日米は, 両国関係をいかに位置づけるべきかという問いに直面した。日米関係は一時的に動揺を見せたものの, 1970年代半ばにかけて改善に向かう。その過程で, 両国政府が強調したのが, 「価値観の共有」 であった。本稿の目的は, その要因を明らかにすることにある。米国は 「価値観の共有」 を掲げ, 冷戦対立の緩和とグローバルな政治・経済情勢の混迷のなか, 西側同盟の結束を図るため尽力した。一方の日本も, 国際秩序の変容を受けて自国の対外政策のあり方を模索するなかで, 米国をはじめとする価値観を共有する西側先進諸国との協調路線を鮮明にした。そして日米両国は, 「価値観の共有」 を同盟関係の基盤の一つとして理解するようになった。それは両国が, 軍事的意義にとどまらない, 日米同盟関係のもつ重層性への認識を深めたことの帰結であった。そのことは, 冷戦終結を経てもなお日米同盟関係が命脈を保ち続けている所以を考察するにあたっても, 重要な示唆を与えうるであろう。