年報政治学
Online ISSN : 1884-3921
Print ISSN : 0549-4192
ISSN-L : 0549-4192
最新号
選択された号の論文の17件中1~17を表示しています
《特集》
  • ―カール・シュミットの主権論
    西 平等
    2019 年 70 巻 1 号 p. 1_13-1_35
    発行日: 2019年
    公開日: 2020/06/21
    ジャーナル フリー

    本稿は、「主権者とは、例外状態について決断する者である」 という、カール・シュミットの主権の定義の意味を明らかにすることを目的とする。シュミットは、国家における主権の担い手という問題を回避する 「国家主権」 論への批判的視座を維持しつつも、規範主義や多元主義から提起された説得的な主権批判論に反論するなかで、この主権の定義を提示した。規範主義や多元主義が、国家を、法規範によって与えられた権限を行使する諸機関の集合体に還元することで、法を超越する主権国家という観念を批判したのに対し、シュミットは、規範なき決定としての 「例外状態に関する決定」 を主権者の指標とみなすことで、主権概念の再生を図る。このような主権論の背景には、媒介的世界と無媒介的世界の区別という秩序像がある。すなわち、他者の権限領域を尊重する適正な手続を通じてのみ、自らの価値や正義を実現しうる媒介的世界 (正常状態) と、そのような制約を度外視して、あらゆる事実的に必要な手段を用いて価値や正義を実現しうる無媒介的世界 (例外状態) との区別を基盤とする秩序像である。主権者は、その境界を司る者として定義される。

  • ―政治思想におけるcommunitas communitatumをめぐって
    早川 誠
    2019 年 70 巻 1 号 p. 1_36-1_55
    発行日: 2019年
    公開日: 2020/06/21
    ジャーナル フリー

    本論文の目的は、主権国家とは異なる非主権的政治体の可能性を、20世紀初頭のイギリス多元的国家論と現代イギリスの多文化主義論の比較を通じて、探ることにある。また非主権的政治体との対比によって、主権国家の一側面を明らかにすることも試みる。フィッギスやラスキらによって主張された多元的国家論と、パレクらの論ずる現代の多文化主義論は、連邦的な政治体の構想を共有しており、それはcommunitas communitatumあるいはその英訳であるcommunity of communitiesという概念で表現されている。しかし、リベラルな個人主義を組み込んだ多文化主義論は、多元的国家論の提示した共同体の団体性という論点について十分に取り組んでいない。連邦的な政治体を実現するためには、平等論の観点からだけではなく、代表論や代表制度の観点からの取り組みが必要となる。イギリスの議会主権も、もともとはシャーやバラからなるcommunitas communitatumとして議会が形成されてきたという歴史を考えれば、非主権的政治体とまったく区別されるものではない。むしろ非主権的政治体と同様、主権もまた何らかの代表の仕組みによって成立するものであって、その代表の性質の違いが主権と非主権を分けることになるのである。

  • ―グローバル市場で国家はどこまで自律性を維持出来るのか
    鈴木 一人
    2019 年 70 巻 1 号 p. 1_56-1_75
    発行日: 2019年
    公開日: 2020/06/21
    ジャーナル フリー

    主権国家システムと資本主義システムは近代のシステムの両輪として発達した。しかし、ニクソンショックによって変動相場制へと移行したことで自由な資本移動が可能となり、それが主権国家の自律的な経済財政政策を困難にさせるようになってきた。開放経済の下では資本移動の自由と安定した為替と自律的な金融政策の三つが同時に成立しないトリレンマが起こるが、ニクソンショックを契機に加速するグローバルな資本移動が所与のものとなり、不安定な為替に耐えられない多くの国は実質的な自律性を失っていく。また深刻な債務危機に陥った国家はIMFによるコンディショナリティによっても自律性を失っていく。自律性を失いながらも法的な主権を維持し続ける国家は、自らの自律性を回復させる運動として、他国に対する排他的な政策、すなわち保護主義的ないしポピュリスト的な政策を取るようになる。しかし、そうした排他的な政策もそれを実行する能力の有無によって不平等な状況が生まれ、法的な平等性は維持されながらも実質的な自律的統治能力の不平等性が生まれる状況になっている。

  • ―オバマ政権期のリビア紛争とシリア紛争への対応を事例として
    五十嵐 元道
    2019 年 70 巻 1 号 p. 1_76-1_95
    発行日: 2019年
    公開日: 2020/06/21
    ジャーナル フリー

    本稿は、主権概念を手掛かりに、国際社会における近年の介入の在り方について分析する。とりわけ、2010年代のリビア紛争とシリア紛争を事例として、オバマ政権期のアメリカによる介入政策を中心に検討する。リビアとシリアへの介入は、いかなる主権領域での、いかなる介入だったのか。本稿は、この時期のアメリカの介入政策が以下のような特徴を備えていたことを明らかにする。この介入政策は、 (1) 反政府勢力が結集し一体化するよう促し、 (2) 国際的な政治的承認を与えて段階的に外的主権を移行させ、 (3) 最終的に反政府勢力が現政権を倒し、新しい安定した統一政府 (国内主権) を樹立するよう助力するものである。本稿はこの政策をその特徴から 「及び腰の介入」 (reluctant intervention) と呼ぶが、これは現地勢力 (エージェンシー) の特質にその成否を依存するものだった。リビアとシリアの事例は、アフガニスタン戦争とイラク戦争後の世界で、欧米諸国が選択可能な介入政策の限界を示唆している。以下では、介入と主権についての先行研究を概観し (第1節) 、主権概念をもとにリビアとシリアにおける介入の特徴を明らかにする (第2節、第3節)。そして、最後に結論と示唆について論じる。

  • 石川 敬史
    2019 年 70 巻 1 号 p. 1_96-1_116
    発行日: 2019年
    公開日: 2020/06/21
    ジャーナル フリー

    一七七六年にイギリス領北アメリカ植民地がヨーロッパ諸国に公表した 「独立宣言」 は、イギリス本国において一六八八年の名誉革命を経て形成された議会主権が植民地にも及ぶという主張に対する異議申し立てであった。

     一七八三年のパリ条約で独立が承認されたアメリカ合衆国は、条約義務の履行のために統一的な国家を創設する必要に迫られたが、「独立宣言」 に記された革命の原則が、主権を有する国家の設立の足枷となったのである。

     アメリカにおいて主権的国家の設立の最大の障害となったのは、アメリカ入植以来約一六〇年にわたって主権を行使してきた一三諸邦の存在であり、それらを超えて存在する国家主権とは彼らの経験にないものであった。

     本稿では、ジョン・アダムズ、アレクザンダー・ハミルトン、ジェイムズ・マディソンら、「建国の父たち」 の議論を中心に、初期共和政体における主権国家の創設の試みを検討し、特にアメリカにおいては、司法権力がアメリカ合衆国における主権的機能の担い手となった経緯を明らかにするものである。

  • ―戦前からの視角
    西村 裕一
    2019 年 70 巻 1 号 p. 1_117-1_136
    発行日: 2019年
    公開日: 2020/06/21
    ジャーナル フリー

    本稿は、戦前日本の主権論という与えられたテーマについて、憲法学者・美濃部達吉の主権論に焦点を当てることを通じて検討しようとするものである。すなわち、「立憲学派」 を代表する美濃部は、一方において立憲主義と矛盾する主権概念の使用に消極的であった。もっとも、他方で彼は、国家が有する統治権概念を再構成することによって、国家併合に基づく領土高権や対人高権の移転を正当化していた。このようにして、戦前日本における立憲主義と帝国主義との親和的な関係の一端を論じることができれば、本稿の目的はひとまず果たされたと言えよう。

  • ―「独立の実質化」 の問題の視点から
    中島 琢磨
    2019 年 70 巻 1 号 p. 1_137-1_158
    発行日: 2019年
    公開日: 2020/06/21
    ジャーナル フリー

    日本は1952年に念願の主権回復を果たしたが、その後も政府・与党内では独立の実質化が重要な外交テーマとなった。本稿では安保改定と沖縄返還の二大交渉に着目し、これらに向けた日本政府の取り組みのなかで浮上した、核兵器の持ち込み問題に関する複数のフォーミュラの作成経緯と内容を検討する。そこから、独立の実質化をめざした戦後日本外交の取り組みの一斑を示したい。

     安保改定交渉と沖縄返還交渉では、①占領に由来する米国との不平等な関係を是正する国権回復の問題と、②冷戦下の米国の軍事活動に対する日本の協力のあり方とが同時に争点化し、かつそれらが複雑に関係し合っていた。とくに②の問題に関して米国側には、日本での核兵器の貯蔵および一時持ち込み、ならびに在日米軍の外国への出撃を自由に行いたいという本音があった。日本政府はこうした米国の本音を見据えつつ、複数のフォーミュラを検討し、高度な政治判断を重ねていたのである。本稿では、新たに公開された外交文書や口述記録も踏まえながら、核のフォーミュラの経緯を検討する。そのうえで、「独立の実態化」 という問題が未完の問いとして沖縄返還後も残った可能性を指摘する。

  • ―統一ドイツNATO帰属問題とゲンシャー外交
    板橋 拓己
    2019 年 70 巻 1 号 p. 1_159-1_180
    発行日: 2019年
    公開日: 2020/06/21
    ジャーナル フリー

    1989 / 90年のドイツ統一プロセスのなかで、ドイツは自らに課されていた 「戦勝四か国の権利と責任」 を解消し、「制約なき完全な主権」 を獲得することを目指した。そしてその際に越えるべき最も高いハードルは、統一ドイツのNATO帰属をソ連に承認させることであった。本稿は、1990年5月から7月にかけて、いかにして西ドイツがソ連から統一ドイツNATO帰属への合意を取り付け、「完全な主権」 を獲得したかを検証する。その際、近年公刊された西独外務省史料を中心的な史料としつつ、従来の研究では等閑視されがちだったゲンシャー外相の寄与にとりわけ注目する。

     ゲンシャー外交の貢献は次の3点に纏められる。第一に、CSCEヘルシンキ最終文書の規定を強調し、ドイツの同盟選択権をソ連に認めさせることに貢献した。第二に、1990年6月の 「ターンベリーのメッセージ」 などを通じて、NATOの性格の変容をソ連にアピールした。そして第三に、ソ連、とりわけシェワルナゼ外相との会談を幾度も重ね、信頼の構築に努めた。こうしたゲンシャー外交がなければ、90年7月の独ソ首脳会談における統一ドイツのNATO帰属合意もなかったであろう。

  • ―「一帯一路」 構想の示唆するもの
    石井 知章
    2019 年 70 巻 1 号 p. 1_181-1_203
    発行日: 2019年
    公開日: 2020/06/21
    ジャーナル フリー

    中華人民共和国の成立 (1949年) とともに、主権理論は共産主義イデオロギーとして、現行憲法においても社会主義 (共産主義) 原理の根幹をなす 「人民主権」 として規定されてきた。だが、1990年代以降、グローバリゼーションの急速な展開にともない、主権理論が再び脚光を浴びると、人権、人道的干渉、途上国への民主化支援、グローバル・ガヴァナンス、経済グローバル化などの展開とともに、国際関係・国際法における 「伝統的主権」 論が大きく動揺していった。こうしたなかで、主権の時代遅れ論、主権の再配分、ウェストファリア体制の終焉といった考え方が登場すると、主権理論をめぐる論争が展開され、新しい主権理論の探究も急速に広がってきた。それらのことを象徴的に示しているのが、現在、習近平体制が精力的に推し進めている中国主導による 「逆グローバリゼーション」 としての経済外交戦略、すなわち 「一帯一路」 構想である。本稿は、一党独裁体制下における 「伝統的主権」 論が、とりわけ現代中国で影響力を強めているC. シュミットの憲法論・政治論との関連で理論的にどのようにとらえられ、かつどのように変化してきたのかについて概観する。

  • ―台湾政治学と主権の現実性
    鵜飼 健史
    2019 年 70 巻 1 号 p. 1_204-1_224
    発行日: 2019年
    公開日: 2020/06/21
    ジャーナル フリー

    本稿は、行為遂行的な主権が生きている台湾の政治理論の分析を通じて、主権そのものの存在に関する説明を終えたとする現代政治理論に対抗して、主権論の意義を再検討する。その際、1970年代の台湾の主権的地位の歴史的な変化や80年代以降の民主化運動の中で蓄積された主権論を読み解くとともに、近年のヒマワリ運動にも伏在する主権概念を明確化する。第2節では、20世紀後半を通じて、台湾の主権論がどのように形成されたのかを追体験しつつ、国民主権論の定着を確認する。第3節では、主権論におけるマイノリティ問題への論及を皮切りに、ポピュリズムとの格闘という世界史的なテーマに対する固有の切り口や、中華圏での民主化運動とのつながりを確認し、台湾主権論が提起する理論的成果を明らかにする。本稿では、台湾主権論における行為遂行的な側面の強靱さと、それが実効的な民主主義と政治共同体の自立性とを同時に正統化する根拠となっている点を指摘する。

《公募論文》
  • ―半澤孝麿とオークショットにみられる保守主義政治思想の比較考察
    松井 陽征
    2019 年 70 巻 1 号 p. 1_225-1_247
    発行日: 2019年
    公開日: 2020/06/21
    ジャーナル フリー

    保守主義政治思想について、日本の政治思想史家半澤孝麿と英国の政治哲学者マイケル・オークショットそれぞれの保守主義論を比較検討する。両者の議論の共通項として注目すべき事柄は、通常は保守主義の代表とは全く考えられていないモンテーニュ、パスカル、ホッブズの三者こそが保守主義の典型とされていることである。その三者は、二つの根拠から保守主義とされる。その一つは、半澤の保守主義類型化論における 「懐疑主義的保守主義」 概念によって答えられる。懐疑主義的保守主義は、秩序の正しさを判定する正義への徹底した懐疑を重要な特徴とする保守主義であり、その重要な含意は、「伝統」 を共同体秩序の基礎として積極的に保守するのではなく、きわめて消極的にのみ保守する、そして場合によっては 「伝統」 をも懐疑の対象とすることだ。根拠のもう一つは、人間の生にとっては 「政治」 は二義的な重要性しかもたず、「非政治」 の領域にこそ最終的な救済が求められるという 「非政治主義」 思想によって答えられる。それは、可死性と救済の問題が現世的秩序とどのように関係するのかを考察したオークショットのホッブズ論を検討することで、明らかとなる。

  • ―「割拠」 論をめぐって
    佐々木 雄一
    2019 年 70 巻 1 号 p. 1_248-1_270
    発行日: 2019年
    公開日: 2020/06/21
    ジャーナル フリー

    明治憲法下の日本政治は、首相や内閣の力が弱く、割拠的だったとされる。憲法に 「内閣」 の語はなく、国務大臣単独輔弼が原則であり、首相は十分な権限を持たず、内閣はしばしば閣内不一致で瓦解した。内閣の外には軍や枢密院などの機関が分立的に存在し、内閣による政治統合を妨げていた。こうした割拠性は、当初、元勲・元老が統合者の役割を担っていたために深刻な問題を生じさせなかったが、1930年代以降、本質的な欠陥を露呈した、という。

     以上のような見方は大きく修正する必要があるというのが本稿の議論である。歴代内閣を通観すれば、明治憲法体制においても、首相の下で内閣が一体となって政治運営をおこなうのが常態だった。首相の他大臣に対する指導力が制度的に担保されず閣内不一致で内閣がしばしば瓦解したとか、元老が統合していたために円滑な政治運営がおこなわれたといった事実は存在しない。また、枢密院は内閣と並立するような機関ではなく、軍も元来は内閣の統制が及ばない存在ではなかった。 「割拠」 論は辻清明の戦時中の同時代的な問題意識に端を発し、長年通説として広く受け入れられているが、明治憲法体制の実態に関する具体的な分析と裏づけを欠いているのである。

  • ―静岡県の選挙を事例に
    小宮 京
    2019 年 70 巻 1 号 p. 1_271-1_292
    発行日: 2019年
    公開日: 2020/06/21
    ジャーナル フリー

    第三次吉田茂内閣は衆議院では絶対多数を確保した。だが、参議院では民主自由党 (のち、自由党) は第二会派にすぎず、多数派を形成するためには第一会派の緑風会の協力が必要不可欠だった。本稿はこうした中央政界の状況が地方政界にいかなる影響を与えたかを考察した。とりわけ注目したのは静岡県の選挙である。吉田首相は1950年の参議院議員選挙や1952年の参議院議員補欠選挙で、緑風会に配慮せざるを得なかった。一方、1951年の県知事選挙では緑風会に配慮する必要がないため、党内の調整だけで良かった。この間、吉田首相と緑風会の交渉の窓口は河井弥八参議院議員であった。河井は静岡県地方区選出で、後に参議院議長を務める、緑風会の有力者であった。本稿は河井の日記を用い、第三次吉田内閣と緑風会の関係を、静岡県の知事選や参議院議員選挙などの各種選挙を通じて明らかにした。これにより従来の吉田内閣像の見直しを行うと同時に、中央の政治状況が地方に直接的に影響を与えたことを明らかにした。

  • 安野 修右
    2019 年 70 巻 1 号 p. 1_293-1_315
    発行日: 2019年
    公開日: 2020/06/21
    ジャーナル フリー

    本稿の目的は、1950年代における後援会普及と選挙運動規制との関係を考察することにある。通説によれば、50年代における後援会普及は同士討ちなどを引き起こす中選挙区制に原因があるとされている。だがこの理解は必ずしも当時の詳細な過程にもとづくものではなく、また理論的にも問題を抱えている。一方で後援会普及の原因としては、日本の厳格な選挙運動規制の存在を指摘する先行研究も少なからずある。ゆえに本稿は、選挙運動規制の観点から50年代の現象を捉えなおすため、双方とも深刻な政党内対立が生じたことで中選挙区制の影響が比較的共通しているとみなせる1952年総選挙及び1958年総選挙を対象としつつ、両選挙で展開された選挙キャンペーンの相違点を明らかにする。そして本稿の結論は、52年総選挙時において個人票獲得戦術や選挙区サービスに相当する 「事前運動」 の一形態に過ぎなかった後援会活動が、政治団体を介した寄附行為のみを合法とする1954年公職選挙法改正を直接的な契機として、1958年総選挙時には事前運動の主流として台頭したということである。

  • ―二元代表制における協調と対立
    芦谷 圭祐
    2019 年 70 巻 1 号 p. 1_316-1_344
    発行日: 2019年
    公開日: 2020/06/21
    ジャーナル フリー

    日本政治における女性の政治的過少代表が問題とされて久しい。これまでの研究では、立候補過程における障壁が特に女性にとって高いことが注目される傾向にあり、リクルートメントを担う主体として政党の役割が重視されてきた。一方で、政党がどのような選挙区に女性の新人候補者を擁立するのかについては、理論的にも実証的にも十分には明らかでない。政党の役割が重視されていることとは対照的である。本稿では、1989年以降の政令市議会議員選挙を対象に、政党のリクルート過程の分権性と政党間関係に着目し、政党がどのような選挙区に、あるいはどのような場合に女性の新人候補者を擁立するのかについての理論構築とその検証を試みた。

     分析結果からは、以下の点が明らかになった。政党は自党に女性の現職議員がいる選挙区には女性の新人候補を積極的に擁立することが難しい。その一方で、対立的な関係にある政党の女性現職議員がいる選挙区には、積極的に女性の新人候補を擁立している。これらの結果は、活発な政党間競争が女性議員の数を増加させる可能性を示唆している。

《書評》
feedback
Top