1896年の日独通商航海条約には、法権回復を達成した1894年の日英通商航海条約に比べ余り関心が払われてこなかった。
しかし、条約改正交渉では、ドイツもイギリスと並んで主導的な役割を担った国であり、決して無視し得ない。
そこで、本稿では、新たにドイツ側の史料に基づいて、日独通商航海条約を巡る交渉過程を明らかにした。
ドイツは、日英通商航海条約に衝撃を受け、当初慎重であったものの、ドイツの孤立を恐れたグートシュミット駐日独公使の催促を受け、交渉に臨むことになった。対日要求の作成には、外務省等の関係省庁の他、グートシュミット独公使や在日ドイツ人、産業界が加わり、その際、イギリスには対抗心が、日本には警戒心が、それぞれ示され、ドイツはイギリスより多くの利益を獲得しようとすると共に、日本を抑え込もうと、自国利益の最大化を図ることになった。
一方、日本は、ドイツの主張を認めようとする青木周蔵駐独日本公使の姿勢等もあって、特許等の保護等で譲歩を余儀なくされた。
日本がドイツから厳しい姿勢が示されたのは、ドイツから今後競合の恐れがあるとして認められた結果であり、明治期の日独関係が対等な関係へと一歩前進し、新たな段階に突入した証拠である。
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