年報政治学
Online ISSN : 1884-3921
Print ISSN : 0549-4192
ISSN-L : 0549-4192
最新号
選択された号の論文の12件中1~12を表示しています
《特集》
  • ―幕末駐日外交官の日本認識と外交1858~1862
    福岡 万里子
    2022 年 73 巻 2 号 p. 2_13-2_41
    発行日: 2022年
    公開日: 2023/12/15
    ジャーナル フリー

     安政の五ヵ国条約が天皇の承認を得ず調印されたことは同時代的にも国内に広く知れ渡り幕末の政治動乱を引き起こす重要な契機となったが、無勅許調印の事実は、1859年以降日本に着任した西洋外交官らには幕府により秘匿され、それをおそらく察知していたと見られる米国駐日総領事ハリスも、その経過については外交団内で沈黙を守った。そのため、駐日外交団や居留外国人の間で、日本の主権者により現行条約が批准されていない事態として、条約無勅許をめぐる認識が形成されるようになるまでには、最も早く見積もって1862年頃までの数年間がかかった。本稿は、こうして生じた西洋外交官らの間の日本認識上のギャップが、通商開国後に浮上した度重なる外国人襲撃殺害事件や開港開市延期問題等に関する彼らの対日外交に水面下で影響を与え、西洋駐日外交団の間の外交方針の分裂や転回を引き起こしていた実態を論じ、条約勅許獲得が最終的に外交団の政策目標になっていく経過を展望する。

  • ―北ドイツ連邦成立期の議論とドイツ帝国期の国法学説を中心として
    大西 楠テア
    2022 年 73 巻 2 号 p. 2_42-2_59
    発行日: 2022年
    公開日: 2023/12/15
    ジャーナル フリー

     北ドイツ連邦およびドイツ帝国において、外交権は連邦に一元化されず、部分的に邦の外交権が留保された。これはアメリカ合衆国やスイスが邦の外交活動を禁じたのと対照的である。

     北ドイツ連邦憲法の成立過程においては、可能な限り邦の主権を維持する形式での統一が目指され、邦が外交使節を派遣し、接受する権限は廃止されなかった。そのため、北ドイツ連邦およびドイツ帝国においては連邦と邦の複線的な外交ルートが存在し続けた。

     帝政期の国法学説においては、連邦と邦の外交の複層性をいかに理解すべきかという点が論点となり、連邦国家論との関連で広く議論された。特に連邦外交に抵触する邦の行為をいかに阻止するかが問題となるが、ほとんどの学説が帝国の監督権を認めている。

  • ―新潟津留問題を中心に
    松沢 裕作
    2022 年 73 巻 2 号 p. 2_60-2_78
    発行日: 2022年
    公開日: 2023/12/15
    ジャーナル フリー

     本稿では、維新後に開港された新潟を素材として、近世・近代移行期日本の地方の編成のあり方と、開港場において展開される対外交渉との関係について考察を加えた。近世社会における対外交渉は、それぞれの地点が、対外関係を担当する「役」を負うという点で、近世的な身分制の構造に規定されていた。幕末開港期にも、開港場の奉行は対外関係を取り扱う特殊な役人であった。維新後、開港場を管轄する直轄県の官員が、外国官、のちに外務省の官員を兼任するという形でこの状況は継続する。ところが、この方法は、開港場を管轄する直轄県当局の方針と、後背地で発生する諸問題を管轄する直轄県との間で方針の相違を生む。明治2年に新潟で発生した米穀移出の禁止(津留)問題はこうした問題の一例として理解することができる。こうした状況は、開港場が、対外関係を基軸に組織される特異な空間であるという点で、列強にとっても好ましいものであったが、廃藩置県による空間の均質化はこれを不可能とする。行政権の回収が列強と日本政府の間で問題として焦点化するのは、こうした状況を迎えたときのことであった。

  • ―細分化する行政規則
    稲吉 晃
    2022 年 73 巻 2 号 p. 2_79-2_97
    発行日: 2022年
    公開日: 2023/12/15
    ジャーナル フリー

     本稿は、開港場行政を日本と列国の合意によってのみ有効となる「行政規則の束」と捉え、そうした行政が如何に成立したのか、「港規則」の内容の変遷を検討することで明らかにする。和親条約が結ばれた1854年から明治維新直後の1870年までの「港規則(案)」の内容を検討した結果、初期には水域における船舶にかんする内容のみならず、陸上における乗組員の行動や治安維持にかかわる内容が含まれていたが、時代が下るにつれて徐々に水域の規則に内容が絞り込まれていくことが明らかになった。切り離された陸上部分については別に規則を定める努力がなされたが、日本と列国の交渉が成立しなければ規則は実効性をもたなかった。その結果、各開港場では行政規則が成立している行政領域と、成立していない行政領域がまだら状に存在することになったのである。交渉が難航した行政規則は、地方レベルから国家レベルへと交渉の場が移され、それはその後の条約改正交渉の主要な一部を占めていく。本稿の成果により、開港場行政のあり方が条約改正交渉を複雑化させるひとつの背景となったとみとおすことができる。

  • 市川 智生
    2022 年 73 巻 2 号 p. 2_98-2_121
    発行日: 2022年
    公開日: 2023/12/15
    ジャーナル フリー

     明治期日本の海港検疫制度の創設過程は、行政権とその運用をめぐる政治外交上の争点と、医療・衛生分野での学知をめぐる争点が交錯するものであった。1878年に外務省で開催された「検疫委員会議」には、医師検査法と停船法の対立という感染症をめぐる国際的動向が強く影響し、日本は検疫の方針に結論を出すことができないまま1879年のコレラ流行を迎えることになった。「海港虎列剌病伝染予防規則」の制定は停船法に基づく厳格な検疫の選択を意味したが、諸外国公使との協議を欠いた一方的な発令が反発を招き、検疫は機能しなかった。1882年以後、日本は「虎列剌病流行地方ヨリ来ル船舶検査規則」による簡易な検疫へと転換する。それは、イギリスが国際標準だと主張する検疫を追認することにより、諸外国公使から外国船舶への検査実施への協力を獲得するためであった。1880年代末から、繰り返されるコレラの蔓延や医学的理解の進展を背景として、日本は検疫の厳格化を計画するようになった。しかし、条約改正交渉との兼ね合いやコレラの常在化への疑念などから、日本は意に反して簡易な検疫を継続せざるを得ず、このような状況は1899年の「海港検疫法」まで続いたのである。

  • ―条約改正史研究の多角化の試み
    靏岡 聡史
    2022 年 73 巻 2 号 p. 2_122-2_144
    発行日: 2022年
    公開日: 2023/12/15
    ジャーナル フリー

     1896年の日独通商航海条約には、法権回復を達成した1894年の日英通商航海条約に比べ余り関心が払われてこなかった。

     しかし、条約改正交渉では、ドイツもイギリスと並んで主導的な役割を担った国であり、決して無視し得ない。

     そこで、本稿では、新たにドイツ側の史料に基づいて、日独通商航海条約を巡る交渉過程を明らかにした。

     ドイツは、日英通商航海条約に衝撃を受け、当初慎重であったものの、ドイツの孤立を恐れたグートシュミット駐日独公使の催促を受け、交渉に臨むことになった。対日要求の作成には、外務省等の関係省庁の他、グートシュミット独公使や在日ドイツ人、産業界が加わり、その際、イギリスには対抗心が、日本には警戒心が、それぞれ示され、ドイツはイギリスより多くの利益を獲得しようとすると共に、日本を抑え込もうと、自国利益の最大化を図ることになった。

     一方、日本は、ドイツの主張を認めようとする青木周蔵駐独日本公使の姿勢等もあって、特許等の保護等で譲歩を余儀なくされた。

     日本がドイツから厳しい姿勢が示されたのは、ドイツから今後競合の恐れがあるとして認められた結果であり、明治期の日独関係が対等な関係へと一歩前進し、新たな段階に突入した証拠である。

《公募論文》
  • ―アイスランドにおける憲法改正の失敗とその後
    塩田 潤
    2022 年 73 巻 2 号 p. 2_145-2_167
    発行日: 2022年
    公開日: 2023/12/15
    ジャーナル フリー

     熟議と政党に関する従来の研究では、政党外での市民による熟議が政党形成に果たす役割について光が当てられてこなかった。本稿では、アイスランドにおける憲法改正のための市民熟議と新政党アイスランド海賊党との関係性を分析し、市民熟議が政党の組織化につながる契機について解明する。

     アイスランドでは2008年の金融危機を背景に、2009年から2013年にかけて市民熟議を通した憲法改正の取り組みが行われた。憲法改正は失敗に至ったものの、その後に新憲法制定を中心政策に掲げるアイスランド海賊党が台頭した。本稿では、まず市民熟議がアイスランド海賊党の組織化に影響を及ぼす際の環境的条件として、政治的機会構造の変容を考察する。そのうえで、集合的アイデンティティに着目して憲法改正の市民熟議とアイスランド海賊党の組織化との連関を分析する。

     アイスランドの市民熟議は、政党なき民主主義の最重要事例として従来取り上げられてきた。しかし、本稿の事例分析では市民熟議がアイスランド海賊党の組織化に寄与していることが明らかとなった。こうした分析結果をふまえ、本稿は市民熟議が政党中心の民主主義にとって推進力となりうると結論付ける。

  • ―プライミング実験とリスト実験の融合による検証
    秦 正樹
    2022 年 73 巻 2 号 p. 2_168-2_189
    発行日: 2022年
    公開日: 2023/12/15
    ジャーナル フリー

     本稿は、軍事的脅威の高まりが、とくに日本の改憲世論に与える影響について、とりわけ2017年頃から発生した北朝鮮によるミサイル発射を事例にサーベイ実験を通じて検証した。先行研究では、軍事的脅威が高まると政府の支持が短期的に高まる「旗下集結効果」をめぐって理論的・実証的に様々な観点から検証されてきたが、軍事的脅威が個別具体的な争点態度に与える影響についてはさほど検討されてこなかった。そこで本稿では、緊急事態に際して政府から示されることとなった「Jアラート」を利用して、このような危機的メッセージを与える実験と、憲法改正に対する態度を測定するリスト実験を融合させることで、軍事的脅威と改憲態度の関連を明らかにした。また、ミサイル発射直後と、その半年後の二回に分けて同じ実験をすることで、その効果の安定性についても検討した。実験結果より、「どちらかといえば護憲」の態度を持つ人では、Jアラートの刺激を受けると改憲派に寝返る傾向にあることが明らかとなった。

  • ―1951–1952年
    藤田 吾郎
    2022 年 73 巻 2 号 p. 2_190-2_211
    発行日: 2022年
    公開日: 2023/12/15
    ジャーナル フリー

     本稿は、総司令部民政局文書や近年公開された関係者の日記などの一次史料を活用し、保守勢力内部の諸アクターの構想およびその相互作用に着目して、日本占領末期(1951‒1952年)における治安機構の統合問題を分析するものである。日本の独立回復が迫り、かつ治安情勢が緊迫化する中、吉田茂首相は、国家地方警察、自治体警察、法務府特別審査局、警察予備隊、海上保安庁といった諸治安機構を統合して単一の治安官庁である治安省を創設することで、日本政府の治安責任を強化することを試みた。しかし、大橋武夫を中心とする吉田側近が、警察国家の復活を懸念する観点から治安省の創設に強硬に抵抗したことで、この試みは挫折した。さらに、吉田はその後、国家地方警察の一部と法務府特別審査局の統合という限定的な機構統合を模索したが、機構の所管問題をめぐる論争が政府内で生じたことで、この動きも頓挫した。その結果、占領末期における治安機構の再編は限定的なものに留まり、治安機構の一括統合を通じた中央集権的な治安体制の再建は未完に終わった。本稿の議論は、戦後日本において「逆コース」が徹底されなかった経緯を説明する上で、保守勢力が果たした役割の重要性を示すものである。

《学界展望》
《学会規約・その他》
feedback
Top