年報政治学
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《特集》
明治期日本の海港検疫をめぐる政治外交
市川 智生
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2022 年 73 巻 2 号 p. 2_98-2_121

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抄録

 明治期日本の海港検疫制度の創設過程は、行政権とその運用をめぐる政治外交上の争点と、医療・衛生分野での学知をめぐる争点が交錯するものであった。1878年に外務省で開催された「検疫委員会議」には、医師検査法と停船法の対立という感染症をめぐる国際的動向が強く影響し、日本は検疫の方針に結論を出すことができないまま1879年のコレラ流行を迎えることになった。「海港虎列剌病伝染予防規則」の制定は停船法に基づく厳格な検疫の選択を意味したが、諸外国公使との協議を欠いた一方的な発令が反発を招き、検疫は機能しなかった。1882年以後、日本は「虎列剌病流行地方ヨリ来ル船舶検査規則」による簡易な検疫へと転換する。それは、イギリスが国際標準だと主張する検疫を追認することにより、諸外国公使から外国船舶への検査実施への協力を獲得するためであった。1880年代末から、繰り返されるコレラの蔓延や医学的理解の進展を背景として、日本は検疫の厳格化を計画するようになった。しかし、条約改正交渉との兼ね合いやコレラの常在化への疑念などから、日本は意に反して簡易な検疫を継続せざるを得ず、このような状況は1899年の「海港検疫法」まで続いたのである。

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