抄録
明治の中期に九州で始まったクロマツとアカマツの大量の枯死は,その後繰り返し発生し,1980年には,北海道を除く全国に広がった.1980年代から1990年代にかけても,大量枯死は各地で続き,マツの衰退によって,マツ林の植生が広葉樹林に変化し,それに伴って,植物相も変化する様子が観察される.このことは,自然保護の観点からも,また人間の生存環境の保全の観点からも,注目すべきものと考えられる.筆者は,九州の長崎県に於けるマツ林の衰退と植生および植物相の変化について報告したが,本報告で引き続いて東海地方沿岸地域について報告する.
植生調査は1999年の3月から5月に神奈川県から愛知県にいたる以下の8ケ所で行った;真鶴町真鶴,伊東市川奈崎,沼津市香貫山,静岡市日本平,島田市色尾,掛川市小笠山,三ヶ日町都好,西尾市茶臼山.また,川奈崎と香貫山では,筆者によるそれぞれ1978年と1987年および1991-1992年に植生調査があり,それと今回の結果を比較して,マツ類の消滅後の植生の変化を予測し,それに対する自然保護あるいは環境保全について言及した.
調査の結果,1980年代から1990年代にかけてのマツノザイセンチュウによる激甚な被害のため,高木層を形成していたクロマツあるいはアカマツが消滅したこと,またマツ類の枯損と衰退は現在も続いていることが観察された.そして,マツ類の消滅した跡地の植物群落として,海岸部や標高が100 m 以下の低地では,照葉樹林が形成され,標高100 m 以上の山地ではコナラの優占する落葉広葉樹林が形成される傾向が認められた.香貫山では,クロマツが消滅した後に,非常に多くの林床植物が生育しているのが観察された.この群落は,照葉樹と落葉広葉樹の混生状態を経ていずれ照葉樹林化すると予想される.川奈崎はかつて1970年代には,樹高30 m 近い立派なクロマツ純林が茂っていたが,現在は上記で示唆した混交林が見られるのみである.マツ類の樹林が照葉樹林に変化した後では,マツ林内の明るい環境に生育していたガクアジサイ,トベラ,ツワブキ,カジイチゴ等の植物は光量不足で枯死する心配がある.これらの植物を保護するため,照葉樹の一部を伐採する必要性も考えられる.しかし,現在のところ,これら海岸性の林床植物の保護について考慮はなされていないようである.香貫山では,かつて,全山がクロマツ林に覆われ,それが市民の誇りであったが,クロマツが壊滅的な被害を受けた現在,沼津市は,サクラを中心とし,多様な広葉樹を生かす新しい公園として,この山を整備する方針で,それに向けての樹木の植栽が進行している.また,現在,マツ類の実生苗の生育が見られるので,以前のマツ林を復元することも考えられよう.日本平,小笠山,茶臼山では,コナラの優占する落葉広葉樹林となりつつあるが,それに対して,人為的な手が加えられている様子は無い.日本平は静岡県立自然公園として,小笠山は,自然環境の優れた地域として静岡県の行政に位置ずけられているので,これからの森林植生の在り方を検討すべきであると思う.小笠山は,江戸時代から1970年代まで,マツの多い山と知られており,現在,マツ類の実生苗の生育が見られるので,以前のマツ林を復元することも考えられよう.この場合,マツ類の幼木と競合する広葉樹を除去すると共に,マツノザイセンチュウによる激甚な被害を防止することが大切である.香貫山では,農薬スミチオンの空中散布を中止して3年後にクロマツの大量枯死が発生し,一方香貫山に近い千本松原では,その発生が極く少なく,農薬の散布が1999年代も続行されていることから,農薬の効果が期待できると考えられる.
今回調査の対象とした東海地方では,富士山麓や伊豆半島の照葉樹林帯でクヌギ—コナラ林が知られ,また,富士川以西の落葉樹林帯下部でクリ—コナラ林が認められているが,日本平,小笠山,茶臼山で見られたコナラ林は,種組成が前記ふたつの群集のいずれとも異なっている.このコナラ林は樹冠を構成するアカマツが枯死することによって,モチツツジ—アカマツ群集のコナラが急速に生長して,樹冠を占めるようになった群落と考えられる.このコナラ林は,かつては,繰り返し伐採されるという人間の力によって維持されてきたが,人為の営力が無くなった後で,どのような変化を遂げるか,あるいは,自然保護や景観の保全を含む自然環境の保全の立場から,どのような新たな人為の営力を加えるべきかについて,十分研究する必要があるように思われる.