名古屋大学大学院
1986 年 35 巻 9 号 p. 52-63
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『青猫』において、「みちゆき」以来朔太郎がモチーフとしてきた<エレナ>は嗅覚を媒介として夢の中に描かれる。<エレナ>詩篇の究極と言うべき<さびしい青猫>ではにおいと<腐爛>の孕む両義性(アンビギュイティ)によって主客未分の境界的世界が現出している。しかし『青猫』にはこれら母性的風景への溶解とともに、対峙すべき父性的風景としての風土・田舎が描かれる。このような二面性は同時に、詩と思想を併せ持てなかったこの詩集の限界をも暗示するものであった。
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