本稿では、殊に延慶本・長門本『平家物語』の陰陽師の人物像に、泰親を起点とする流派の陰陽師による言談活動の影響が認められることを明らかにした。従前の論のように、「安倍系陰陽師」と概括的に捉えるのみでは、泰親と時晴の両者に対比的な人物像が見られる理由を説明できない。そこで本稿では新たに、両者の対照的な表現が生まれた背景として、一二世紀後半以降に見られる安倍氏内での正統をめぐる流派闘争の影響を指摘した。
謡曲「定家」に語られる時雨の亭は千本の地にあるとされ、『西林和歌集』成立時期にはすでに名所化されていたらしい。と同時に、時雨の亭は謡曲「定家」の舞台のみならず、定家その人を偲ぶ場としての機能を担うようになった。こうした役割の拡大により、後年になると相国寺や小倉山付近の寺院までもが時雨の亭と称されるようになり、文学の世界においても時雨の亭が小倉山にあるとする浄瑠璃「定家」が登場する。
横光利一の長編小説『紋章』には、最先端の理論的成果よりもむしろ日常生活に根ざした次元に〝科学的なもの〞の発露を読み取ろうという方法意識が投射されている。また、作中では雁金八郎という登場人物の発明行為の最終的な帰結として、国家事業への有用性という価値尺度が措定されており、その造型は職業技術者の社会参画という時勢と重ね合わされる。そこに、戦時下における横光の行き過ぎたナショナリズムの萌芽をも見いだせると考えられる。
「イノチガケ」(一九四〇)は、坂口安吾の一連の歴史小説の嚆矢として扱われ、先行研究では本文の典拠を明らかにすること、前後篇の差異を解消することが問題とされてきた。本稿では、史実と本文の差異や語りの特徴に注目し、テクストの孕む対立や矛盾について改めて論じる。さらに同時代の「歴史小説」文脈に照らして考察し、差異そのものを問題とすることで、このテクストの持つ「歴史小説」に対する批評性を明らかにする。