『古今著聞集』百五十九段は、応保二年正月に内裏で交わされた連歌の唱和を描く短い章段である。従来は二条天皇の女房と女御育子の女房による連歌と見られてきたが、本文からすると付け句を詠んだのは「蔵人の兵衛尉通定」である。本稿では、これまで未詳とされてきた「蔵人の兵衛尉通定」とは誰かを明らかにし、当該説話が持つ事情を分析する。さらに、説話のなかで時に風雅の一端を担う蔵人という存在に焦点を当て、『古今著聞集』のなかで当該説話が持つ意味を探る。
『源氏物語』古注釈書『河海抄』は、徹底した出典考証を行った点が評価されている。しかし、全ての注記に典拠が記されているのではなく、「或」を用いて典拠を朧化しているものもみられる。
本稿では『河海抄』「或」が指す文献や史料の特定を通して、「或」を含む注記の性格を検討した。その結果、「或」は四辻善成が主張する説には用いられておらず、自説とそれ以外の説との間に位相の違いが設けられていることが明らかとなった。
昭和三年一一月、川村花菱が脚色し、新派の一大興行として上演された「不如帰」劇は、当時広く流通していた原作や柳川春葉版とは大きく異なる展開が設けられていた。そのなかでも特に、片岡中将と千々岩という二人の軍人に新たな解釈が行われており、花菱は、軍人という職業ゆえに苦しむ男たち、というサブテーマを物語に書き込んでいた。それは、作者の手を離れた物語が特定の時代と結び付き、再創造された現象として、「不如帰」史のなかでも特徴あるものだった。
横光利一の「実いまだ熟せず」に描かれた女性の結婚は、一九三九年の「人的資源」「早婚奨励」をめぐる社会思想と無関係ではない。本稿では、同時代の厚生省・陸軍省を中心とする産児言説を新聞や婦人雑誌から辿り、作品の結婚のありようを読み替える試みを行う。主人公の結婚に対する拒否から決意への転換が、時局のコンテクストに迎合するものと短絡的に解釈するのでなく、これに従属しきれない女性の主体性をも描き出している点を評価する。