日本文学
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特集・日本文学協会第73回大会(第一日目)第三項がひらく文学教育――ポスト・ポストモダンの〈世界観認識〉
  • ――第三項と世界像の転換、島村の感受性と底抜けの現実――
    鈴木 伸一
    2019 年 68 巻 3 号 p. 2-12
    発行日: 2019/03/10
    公開日: 2024/03/27
    ジャーナル フリー

    〈近代小説〉の白眉である『雪国』について、田中実氏が提起する「客観的現実」をどのように考えるのかという問題を前提に、「〈ことばの仕組み〉」の解明に臨んだ。とりわけ、視点人物島村の感受性の生成とその内実の分析に重きを置き、日常的現実が底抜けで「哀れな夢幻の世界」へとつながる感受性を持った島村と〈他者〉としての駒子・葉子との関係がどのように語れるのかを検証し、『雪国』の世界観について考察した。

  • ――國分功一郎『中動態の世界―意志と責任の考古学』を補助線にして――
    小山 千登世
    2019 年 68 巻 3 号 p. 13-26
    発行日: 2019/03/10
    公開日: 2024/03/27
    ジャーナル フリー

    『城の崎にて』を「生と死が等価である」ことをテーマとする小説だと看破する田中実の「第三項理論」は、国語科の教室にパラダイムシフトを迫っている。文学教材は「通常の意味の場から対象を移動させる」芸術として教えるべきである。

    『城の崎にて』はその作中に先行作『范の犯罪』を登場させる。識域下で一如たらんとした夫婦の壮絶な愛の終着点が「カルネアデスの板」を現出させ、人が作り上げた思考体系の外側、法や制度が覆い隠してきた「生き物としての摂理」をえぐり出した作品である。その作者として「生と死を等価なもの」と認識する主人公が不慮の事故で殺され掛かった者として登場し、作品は総ての生き物の生を等価とする視線に貫かれ、「いもり」を偶然殺してしまうという「殺される者」から「殺す者」へと逆転していく感覚を「生きることと死ぬこと」に差はないとして、「死」の相対化という大転換へと昇華させる。このような文学世界を私たちの世界のリアルに繋ぐために國分功一郎が能動態、受動態の「する」「される」の思考様式の外側、意志が前景化しない「中動態の世界」を論じていることが注目される。『城の崎にて』冒頭は主語を明示せず、どこからか来た事故という出来事が「主語=主体をゆっくりと、しかし着実に動かしている」。「主語を座として自然の勢い」が生き物の「生き死に」を実現する様子が描かれているのであり「主体の関与が必要ない」中動態の世界を描いた作品であると言えよう。

    「中動態の世界」の復権から想像される新しい社会は、文学が追究してきた「人間の弱さ」に着目した法制度、社会制度としてあるのかも知れない。「第三項理論」という読みの方法は、文学を文学の世界に自閉させないために創出されたものであり、評論と小説を同時に学ぶ国語科の教室は、文学の言葉を文学の世界の外に通じる普遍言語にするための格好の場所である。

  • 斉藤 昭子
    2019 年 68 巻 3 号 p. 27-37
    発行日: 2019/03/10
    公開日: 2024/03/27
    ジャーナル フリー

    古典を「読むこと」、批評性への踏み出しの必要性がこれまで本誌誌上でも指摘されてきた。また、テーマである第三項理論を授業で真に生かすために、語り手を超える語りの問題を克服する教育道筋も求められている。本稿では、小学校教科書からくり返し取り上げられ、なじみのある古典教材からなしうること、古典教材そのものの理解に留まらず、近現代文学を扱う差異の「語り」と「語り手を超えるもの」への理解ともつなげる道筋を考える。

    源氏物語の言説は、「作者」の分身的な話主から離れた「語り手」が設定され、竹取物語などの伝奇物語とはまったく異なる質の物語となっている。「語り手(群)」が複数設定されており、ハナシとハナシの相関関係(≒〈機能としての語り〉)の水準の読みに読者をいざなう。これを、かなで書かれたテクストの始まりである竹取物語から、伊勢物語、土佐日記、蜻蛉日記、和泉式部日記など、それぞれの語りの特質の言説史的展開を追い、授業で捉える端緒を示す。

    〈語り―語られる〉相関のメタレベルの把捉例としてまず夕顔巻を再読する。夕顔巻は、他者性を欠いた(自己化した)夕顔像にしか出会わない源氏の、閉じた自己同一性があぶり出す。さらに、主筋を担う語り手(紫の上系)と短編系の巻々の語り手のありようが相互に照らし合うしくみを示した。源氏物語は主筋のプロット、短編系のプロットだけを追うのでは分からないメタプロット、〈機能としての語り〉レベルを摑みやすいしくみを持つ。第三項を授業で生かすために必要な「語り」と「語りを超えるもの」を捉える実践に接続しうると考えている。

  • 助川 幸逸郎, 山中 勇夫
    2019 年 68 巻 3 号 p. 38-56
    発行日: 2019/03/10
    公開日: 2024/03/27
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