戒律振興・殺生禁断を主張する中世律僧が、旺盛な勧進活動を基礎として、非人救済・作道・架橋・造寺造塔・顕密寺院の再建に当ったことは周知の事実である。彼ら中世律僧は、聖霊回向・追善を事とする僧衆と、遺骸の埋葬に従う三昧聖としての八斎戒衆の二つの階層に分かれていた。一方、八斎戒衆は中世律宗寺院の勧進活動の担い手でもあった。勧進聖でもあった八斎戒衆が、一紙半銭の喜捨を衆庶に仰ぐ際、勧進にまつわる或る種の語りを行ったであろうことは容易く想像される。本稿は、『太平記』の成立基盤の一郭に、大和西大寺流の律僧、具体的には般若寺の八斎戒衆の語りの存したことを摘出するものである