高知大学
1988 年 37 巻 6 号 p. 72-91
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『撰集抄』の序にある「過忙しかた四十余年」が天台五時教判に拠るとする解釈をてこに、まず大鏡の語りや源氏物語蛍巻の物語論、中世源語古注釈の享受認識を手懸かりとして、法華経に対する<方便の諸教>に比定される撰集抄の<物語>としての位相を狂言綺語観とからめて考察し、それに連動する語り手の<愚者>の位相を語りの機能面より検討を加えながら、併せて西行仮托にちなむ<往生者>の面影との二重性という観点から作品の機構をとらえ直した。
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