抄録
慶滋保胤の作品には、おそらくふたつの系列があった。その中で、都市を題材として選びとった『池亭記』は、あくまでも「内記」の職にある律令官人の立場から書かれた作品であり、そうした限定の上で読まなければならないと思われる。なぜなら、円融朝末年の政情不安の中で書かれた警世の書としての性格を、この作品は、多分に有しているからだ。そこで、従来、何ら注目されることのなかった、前半の都市論の部分と後半の閑居論の部分とを繋ぐ重要なタームとしての<天>と<人>とについて、若干の考察を加え、その、都市への「まなざし」の質を問うことで改めてこの作品を読み直してみようとするのが、本稿の主旨である。「『池亭記』異論」と題した所以である。