日本文学
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星の降る街 : <知>の越境、もしくはメディアとしての「未来記」(<特集>メディアという視座)
深沢 徹
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1994 年 43 巻 2 号 p. 14-23

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抄録

藤原頼長や藤原信西に代表される飽くなき<知>への欲望は、混迷する時代状況をより高次のレベルから把握し、その往き着く先を見通したいという切実な願いに端を発している。「未来を見通したい」というこの願望はやがて集合化され、その名もズバリ「未来記」というテキストの形を採って、多くの人々に共有されることになる。それは要するに、日本版の「讖緯説」であった。だが、聖徳太子が書いたとされる「未来記」など、本当にあったのだろうか。実在すらも危ぶまれる幻のテキストを次々と生み出していく奇怪な<情念>に想いを致すとき、院政期という時代の特異性が、ありありと見えてくる。「日本紀」の注釈、「野馬台讖」の発掘、「聖徳太子伝」の様々な読み換え等々、問題は多岐に亙る。それらはどれも、院政期という時代状況の中で互いにリンクしており、単純な図式化を拒んでいる。したがって本稿では、天の意志を地上に伝えるメディアとしての星の言説を通して、それがモノガタリの文脈に取り込まれ、やがて中世になると「未来記」という架空のジャンルを形成していくプロセスを、ごくごく大ざっぱに跡付けたにとどまる。問題のほんのとば口で終わってしまったことを、お許し願いたい。

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© 1994 日本文学協会
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