1997 年 46 巻 1 号 p. 1-9
私達が生まれ育った場は、選択の自由の入り込む余地のない既定の世界である。日本人として生を受け、日本の風土に育まれ、日本語による共通観念を受け容れて生活してきたことは、単なる既定の事実に過ぎない。しかし、多くの日本人は、その事実に意義を見出し、そこから規範を導き出して自らの生の営みを規制してきた。このように存在と当為といった別次元の問題を、いとも容易に変換させてしまう領域が常識と呼ばれる知の世界である。国文学が、ともすれば批評精神を欠如した保守的イデオロギーに奉仕する役割を無自覚に担ってしまったのは、そうした常識と地続きの地平に組み立てられた知の体系であったからではなかろうか。日文協は、批評精神を拠り所に、既存の知の世界を、新しい生の創造の資に組み変え、普遍への道を探る人々の集まりということができる。