お茶の水女子大学大学院
1999 年 48 巻 3 号 p. 46-55
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『拾玉集』に収載される建久二年閏十二月二十八日の慈円・良経贈答歌は後白河院崩御直前に交わされた。和歌の明るさは院と疎遠であった九条家の展望に加えて、病悩に伏していた任子が内裏に還啓するという慶事による。慈円はこの頃院御悩の修法を行っているが、慈円の両義的立場は暗喩という表現法をもたらし、和歌の解析を困難とする。その晦渋さは遊戯性によるものではなく、「達磨」も「新風和歌」を示す歌語ではないと考える。
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