2003 年 52 巻 11 号 p. 62-71
一九四〇年代は俳句の時代であった。戦争とともに膨張拡大する日本の植民地・軍占領地には、あらゆる階層の俳人が散らばっていった。しかし俳句にとって「外地」は伝統的な季題・歳時記が通用しない世界であった。「四季」とは、「歳時記」とは、「花鳥諷詠」とは何か。「季」の制度の"空白"から、このような問いが、伝統俳句・新興俳句・プロレタリア俳句それぞれの中から生まれた。本論ではプロレタリア俳人栗林一石路『生活俳句論』『俳句芸術論』を手がかりに、戦争と植民地主義の矛盾を体現していた俳句の一九四〇年代を辿ってみた。