神奈川大学日本常民文化研究所
2005 年 54 巻 1 号 p. 2-11
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王朝時代の人々にとって、呪詛は他人の生命を奪う手段であり、それゆえ、それは一種の暴力であった。しかも、それが行使されているところを眼で見ることができないという意味で、呪詛は<見えない暴力>であった。その<見えない暴力>=呪謁は、王朝貴族社会で盛んに行われ、その結果、しばしば当時の物語にも登場することになった。そこで、本稿では、王朝時代の物語が呪詛=<見えない暴力>をどのように描くかを概観した。
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