2006 年 55 巻 3 号 p. 33-42
三年生の担任として進路について個別面談をする。遅刻欠席も少なく、大人しい一人の生徒と数回面談するが、なかなか進路が決まらない。最終的にまだ自分が何をしてよいのかわからないとの理由から大学を志望することにしたという。しかし、いざ志望理由書を書こうとしても何も書けず、面接練習にも答えられない。高校の国語で様々な作品を読み、文章も少なからず書いてきた。小学校から考えると十二年間の学習経験がある。しかし、なぜか彼はことばを発することなく、それ以前のところで止まってしまう。彼も生活の中で様々なことを感じ、考えているはずである。しかし、感じたことを掘り下げることのないまま、<私>と向き合うことを避けてきたのではないか。文学作品を読むこと、表現することは、認識の問題に直結する。教室という場における<私>を問題にしたい。