2007 年 56 巻 1 号 p. 31-42
一九五〇年前後、作家「金達寿」と「許南麒」は、日米講和条約への反対運動の言説の中で日本の「国民・民族」文学として高く評価される。それは、金と許が日本の革命運動の優先を語る言説と交錯している。この現象を、「日本人」対「朝鮮人」の民族単位の連帯として語る現在の枠組みは、一九五〇年前後のSCAP(アメリカ)への対抗を共通の基盤として持っていた「共闘」の言説について、歴史的な過程を見すえることなく、「抵抗する主体・共闘する主体」のみを浮上させることになる。本論では、そのことの危険性について議論した。