『栄花物語』続編において、後一条院・後朱雀院・後冷泉院に関する記述には書き分けが為されている。後一条院は崩御後も繰り返し追慕され、後冷泉院は風雅な後宮や事績が評価される。両者とも藤原頼通に政務を任せ、「制」と呼ばれる奢侈の禁制に対して緩やかであり、温厚な人柄が称賛されている。だが、後朱雀院は歌の才などは評価されつつも、相対的な評価は低い。本稿は、これまで論じられてこなかった後朱雀院の位相に着目し、その理由を考察したものである。続編の姿勢は、藤原頼通と後朱雀院との関係及び頼通の子孫である師通・忠実父子らの後朱雀院に対する認識とも共通するのである。