横浜市立大学
2010 年 59 巻 7 号 p. 35-45
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花園院が三度にわたって記録した「北野天神」に関する夢想に描かれた時間帯を考察した。花園院の夢想は願望そのものを叶える装置としてではなく、その一歩手前で体験した示唆的な出来事である。しかし積極的に夢想の世界へと踏み込む花園院の姿は、夢想がもう一つの社会現実の方法として捉えられていたことを証左する行為であった。その記録となった<現在>的な時間帯は、同時に複数の時間帯を統合する中世のプラットホームとなるのである。
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