日本文学
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特集・日本文学協会第70回大会(第二日目)定番教材を問い直す――芥川龍之介『羅生門』
「羅生門」精読
――「下人の行方は、誰も知らない」と書く「作者」――
石川 巧
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2016 年 65 巻 4 号 p. 13-24

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抄録

「羅生門」が国語教科書の定番教材になったのは一九七三年から高等学校で実施された新課程以降のことだが、当時の指導書をみると、その前後に「羅生門」に関する解説内容が大きく変化していることがわかる。たとえば、一九六〇年代から「羅生門」を継続的に採録していた筑摩書房版の教科書指導書では、吉田精一の『近代文学注釈体系 芥川龍之介』(有精堂出版、一九六三年)を校訂、注釈、解説の下敷きとし、「この下人の心理の推移を主題とし、あはせて生きんが為に、各人各様に持たざるを得ぬエゴイズムをあばいてゐるものである」という吉田精一の把握を「スタンダード」としている。

だが、当時の研究状況においては、「彼ら(下人・老婆)は生きるためには仕方のない悪のなかでおたがいの悪をゆるしあった。それは人間の名において人間のモラルを否定し、あるいは否定することを許容する世界であるエゴイズムをこのような形でとらえるかぎり、それはいかなる救済も拒絶する」(『現代日本文学大辞典』明治書院、一九六五年)と主張する三好行雄の論が新風を巻き起こしていた。「羅生門」がいかに読者を深い読みの迷路に誘発する作品であるかを主張する三好行雄の作品論が浸透するなかで、「羅生門」は定番教材へとのぼりつめていくのである。

また、近年の教材研究では、「下人のあらかじめ所有していた観念を観念として保証させるものの無根拠さを説き」「下人の生きる観念の闇というアポリアに立ち向かう」のは〈語り手〉であり、「羅生門」はその〈語り手〉が批評の主体を獲得していく物語であるとする田中実の論考(「批評する〈語り手〉――芥川龍之介『羅生門』」、『小説の力――新しい作品論のために』所収、大修館書店、一九九六年二月)がひとつの読解コードとなっているように思う。

今回の発表では、「法・倫理・信心」というキーワードをもとに「羅生門」を精読し、この作品がなぜ定番教材としての人気を誇っているのかを検討したいと考えている。膨大な先行研究の間隙を縫うような論じ方ではなく、教室という場でこの作品が果たす〈ことばの機能〉そのものを考察するつもりである。

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