早稲田大学大学院
2016 年 65 巻 9 号 p. 11-21
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明治三十四年頃の俳壇では、論者の「感じ」に依拠した俳人評・句評が蔓延していた。本稿では、そうした俳句言説における高浜虚子の位相を考察する。先行研究が看過してきた「澤蟹の句」論争や俳談会では、句の解釈や評価をめぐる議論のなかで、俳人間の権力関係が構築されていた。そのなかで、「主観」に根差した虚子の「感じ」は、時に迂遠な解釈を要請してしまい、「わからない」句風として同時代的な批判を浴びることとなる。
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