菊池寛は、大正後期に書き継いだ法廷小説のなかで、容疑者の陳述はもちろん、捜査担当者、裁判官、検事の心証から事件報道まで、多様な言説を駆使して法の矛盾や不備に迫ろうとした。裁判で勝つためにありとあらゆる戦略が練られる法廷のディスコースそのものが文学的レトリックによって構成されていることを的確に見抜き、文学という方法を用いて法の内実を問うた。また、菊池寛の法廷小説においては読者が陪審員の位置に立たされる。法廷において自らの言葉をもつことができないアウトサイダーが可視化され、公平性をめぐる基準線の引き直しが試みられる。語ることよりも語れないことに意味を見だし、語れない人々に言葉を与えること、語れないことを語ることが追求される。