一九四八年に交わされたアルチスト・アルチザン論争において、花田清輝ら戦後派は、丹羽文雄ら風俗派をアルチザンと呼び表し、彼らの小説は批評精神を欠いていると盛んに攻撃を加えた。これには、占領期の風俗小説の中心的な書き手がマルクス主義と距離を置く作家たちだったため、その批評精神が認められなかったという側面がある。
その後、「芸術家」と「職人」の二項対立図式は、中村光夫が『風俗小説論』で踏襲し、やはり丹羽らを「職人」の側に振り分け、定説化が進んでいく。だが、同書の第四章はそれ以前の風俗小説批判の集積に過ぎず、丹羽の「鬼子母神界隈」のような良質な風俗小説に見られる批評の論述を積み重ねることで、その磁場を切り崩すことが可能となる。
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