日本考古学
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埼玉県熊谷市北島遺跡の調査
吉田 稔
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2002 年 9 巻 13 号 p. 105-112

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抄録

埼玉県北部を東流する荒川が形成する熊谷扇状地末端部には,数多くの遺跡が存在する。弥生時代においても例外ではなく,県立さきたま資料館によって調査が行われた行田市,池上・池守遺跡を始めとして,小敷田遺跡,熊谷横間栗遺跡,前中西遺跡,平戸遺跡などの弥生時代中期の遺跡が点在している。過去十数ヶ次にわたる熊谷市北島遺跡の調査においても弥生時代前期末から後期にかけての小規模な遺構が検出されていた。
今回,第59回国民体育大会会場施設建設に伴う発掘調査では,いままでの弥生時代中期の遺跡規模を上回り,広範囲かつ当時の生活様相を示すさまざまの遺構を調査することとなった。
東流する2本の河川跡に挟まれた自然堤防上に,70軒の住居跡,掘立柱建物跡1棟,土坑が検出された。また,北側の河川跡には取水用の堰が設けられ,堰を起点として,集落を分断する形で南側に向かって水路が開削されていた。水路は,隣接する調査区で検出された水田跡に繋がる状況を把握できた。また,水田跡の大畔に張り付いて出土した土器は,やや新しい様相を示すものの,大畔の方向が集落の方向とほぼ一致することなどから,集落形成期に経営された水田である可能性が高いと考えられる。
この他に,北側の河川跡と水路を区画すると考えられる溝が検出され,南側の河川跡では,貯木場と考えられる施設が検出された。
墓坑としては,土壙及び土器棺が検出されたが,注目すべきは住居跡内から土器棺が出土したことである。このような例は,長野県佐久市北西の久保遺跡,埼玉県浦和市東裏遺跡など少数にとどまり当遺跡における特異性としてあげられる。
埼玉県内では,このような居住領域と生産領域を一体として把握できる遺構の調査事例は初めてである。近年調査された神奈川県小田原市中里遺跡や千葉県君津市常代遺跡などの大規模遺跡の調査事例と同様に,北島遺跡が拠点集落として捉えることが可能かどうか,今後の資料整理の検討課題としたい。

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