日本考古学
Online ISSN : 1883-7026
Print ISSN : 1340-8488
ISSN-L : 1340-8488
支石墓研究
〓石墓
千葉 基次
著者情報
ジャーナル フリー

2002 年 9 巻 13 号 p. 67-92

詳細
抄録

朝鮮・韓半島における支石墓研究は鳥居龍蔵氏に始まる。そして,藤田亮策氏も支石墓研究に足跡を残す。鳥居・藤田両氏によって見分けられた卓子形支石墓と碁盤形支石墓の分類は,単なる外見の姿形と読むか,構造に基づく分類と読むか判断に難しい。結果として,多くの研究者は,構造に基づく分類と読み,一系一統論として「何れが古い形態か」の論議を繰り返してきた。
一方で,有光教一,石光濬,甲元眞之氏等は,沈村型支石墓と呼ぶ第三の形態を原形と認め,一系多統論として「最も古い形態は何か」の設問設定から,ある時期に枝分かれがあり,卓子形支石墓・五徳型支石墓が作られ始めたと論じた。「最も古い形態」の支石墓は何か,どのような「作り方・作られ方」かの設問設定は考古学研究法として正しい。しかし,石氏は半島南部地域の支石墓には触れず,甲元氏の沈村型支石墓と南方式支石墓の関係説明は,現状の資料からみて説得力に乏しい。
南方式支石墓は,野石で大きな上石を受けるのであり,本文は「〓石墓」の名称を用い,上石の受け方を分類基準とすると「不特定多数で上石を受ける」形と「特定数で上石を受ける」形の2種類があり,従来の「支石の無い支石墓」と「支石の有る支石墓」に対応する。卓子形支石墓研究に続き支石墓研究再検討の一環として,この分類基準から〓石墓はどのような「作り方・作られ方」であり,「最も古い形態は何か」,そして「最も新しい形態は何」に展開したかを述べてた。
「最も古い形態は」何か。それは,中華人民共和国遼寧省遼東半島地域で作られた積石墓系統の墓が,朝鮮・韓半島に伝えられた時,地表付近に作る個々の長方形の墓室に塊石・板石で蓋を設けた形と考える。遼寧式銅剣が半島内に多数発見される所以でもある。江原道春城郡泉田里のA・B号積石塚は半島に伝えられた例であろう。〓石墓の最も古い形態は,不特定多数で上石を受ける形と考える。
この時代にも半島内は,数は不明だが幾つかの地域文化があると考えるのであり,〓石墓もその地域文化に対応する可能性がある。沈村型支石墓は西部地域に作られた〓石墓であり,先ずはその地域内での変遷を考えるのが良いと言える。〓石墓は,紀元前7世紀頃には既に半島内に築かれ,紀元前5世紀頃に細形銅剣が形を整えると,墓も類似の形があると共に違う形も生まれ,半島内が新しい時代を迎えたと考えるのである。

著者関連情報
© 有限責任中間法人日本考古学協会
前の記事 次の記事
feedback
Top