日本民俗学
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論文
鬼魅の名は
―近世前期における妖怪の名づけ―
香川 雅信
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2020 年 302 巻 p. 1-35

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抄録

 現在、妖怪には多くの種類が存在するように考えられているが、江戸時代に入るまでは、「鬼」や「天狗」といった限られた怪異のエージェントが想定されているだけで、個別の怪異に名前が与えられることはなかった。その状況が一変するのが十七世紀である。寛永年間(一六二四~一六四四)以降、妖怪の名称が急速に増えていくが、その背景には、怪異に対する認識の変容と、俳諧という新たな文芸の発達があったと考えられる。

 江戸時代初期、とりわけ寛永年間には流言としての妖怪が多く見られる。その一つに「髪切虫」があるが、同時代の資料を検討すると、それが一種の凶兆=「恠異」として捉えられていたことが分かる。しかし、「恠異」を判定し、しかるべき対処を行うという中世までの危機管理のシステムは江戸時代においてはすでに機能しなくなっており、怪異は凶兆としての意味を失って、ただそこに在るだけの「モノ」として扱われるようになっていったと考えられる。

 また、十七世紀の複数の文献に現れている妖怪の大半が俳諧に詠まれていることに注目し、「俳言」としての価値を持つものとして、妖怪の名称が俳諧にたずさわる者たちの関心を集めたのではないかという仮説を提示した。『古今百物語評判』という怪談集が俳人によって生み出され、河内国を代表する妖怪「姥が火」が俳人たちのネットワークの中から生まれてきたことがその証左として挙げられる。

 さらに、江戸時代の文献に記された妖怪の名称の中で最も大きな割合を占めるのは怪火の名称であったが、それは怪火が凶兆としての意味を失ってただ「見える」だけのモノになり、またそれゆえに俳諧の題材として捉えられたためだと考えられる。怪火ばかりでなく、名前をつけられた妖怪の多くは無害で日常的に存在するものとして捉えられており、そうした「怪異の日常化」と俳諧の題材としての意義が江戸時代における妖怪の「名づけ」を促したと推測することができる。

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