日本民俗学
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論文
福建の呉服行商人と近代日本の農村社会
―ある華僑の回想録への解読を通して―
張 玉玲
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2022 年 309 巻 p. 65-93

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抄録

 従来の華僑研究では、華僑の集中居住地である横浜、神戸などの開港場に焦点を当てたうえ、彼らをもっぱら中国の社会・文化の一部として捉え、その「異質性」についての分析に重点が置かれてきた。また日本の農村に関する研究においては、華僑について、ほとんど言及されてこなかった。この点を踏まえ、本稿では、一九世紀末期から戦前まで日本の農村地域で呉服行商をしていた福建省出身の華僑に注目し、彼らの生業・暮らしを含む生活実践の諸相を、その「生活世界の総体」としての日本(地域)社会という文脈から解読すると同時に、そこに映し出された日本の農村像の分析を試みた。

 一九二〇年に来日した福建の呉服行商人江氏の回想録を手がかりに、彼の足跡をたどることで、福岡の鉱業や足利の織物業など、明治以降の近代産業の隆盛が農村にもたらした物質的繁栄とともに、依然として生活必需品を行商人に頼らざるを得ない、近代化に取り残された「伝統的」な農村の一面を浮き彫りにした。逆説的に言えば、これらは福建出身の呉服行商人を引き寄せ、彼らの生業を可能にした要素であった。一方、市場経済と競争原理が農村まで浸透した結果、貧富の差が拡大し、子どもの売買、女性の「誘拐」(国際結婚)などの諸問題にも、行商人が何かしらの形で関わっていたことも明らかになった。

 「異文化」的な存在でありながら、村人と同じ生活空間を共有しつつ、「人間同士」の付き合いをしていた呉服行商人は、当時変貌しつつあった農村風景をなす一部であった。しかし一方、日本が国民国家、「帝国」として膨張していくにつれて、行商人は「日本人」の対極に置かれ、「よそ者」、「敵国人」として排除されるようになった。このプロセスも、行商人たちの実体験についての分析を通して明確にすることができた。このような福建の行商人と村人との多重的関係性は、今日の日本社会の多民族・多文化的状況を考える際の手掛かりにもなりうる。

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© 2022 一般社団法人 日本民俗学会
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