抄録
「万川集海」は、従来考えられてきた「伊賀本」と「甲賀本」の分類の他に「巻子本」系統が存
在していた。その系統は比較的原本に近い初期の写本であり、これが「伊賀本」へ派生し、後に
「甲賀本」へと派生していった。「万川集海」に収録された各巻はすべてが同じ年に成立したもので
はなく、一部成立年が違う巻も存在した。著者は「藤林左武次保武」であると考えられてきたが、
正確には「冨治林傳五郎保道」であり、藤堂藩伊賀者の役職との関連で、特定の枠組の中で伊賀地
域を中心に流布し、やがてそれが甲賀地域などの他国へと流れ、江戸幕府へと伝わっていったとい
う流布経路を辿った。
「万川集海」はこれまで「甲賀本」を中心に内容解釈が進んできたが、今後は「伊賀本」、中でも
「沖森本」を善本とし、必要に応じて他写本を参照すべきである。