香川大学看護学雑誌
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伊吹島の出部屋で別火生活を送った女性の思い
伊吹島の出部屋で別火生活を送った女性の思い
松本 千佳佐々木 睦子
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研究報告書・技術報告書 オープンアクセス HTML

2018 年 22 巻 1 号 p. 11-21

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要旨

目的

伊吹島の女性がどのような思いを持って,出部屋で別火生活を送っていたかを明らかにすることである.

方法

研究デザインは半構造化面接法による質的帰納的記述研究である.観音寺市在住で,伊吹島の出部屋で過ごした女性8名を対象に,インタビューガイドに基づき半構造化面接し,データは質的帰納的に内容の分析を行った.香川大学医学部倫理委員会の承認後実施した.

結果

対象者8名の平均年齢は81.6歳,平均出産回数は3.5回であった.分析結果より,30サブカテゴリーから5カテゴリーが得られた.伊吹島の女性たちは,昔から重労働を強いられており,また,姑の権力が強く,結婚後は【辛抱・我慢で育てられた伊吹島の嫁】と言い聞かされていた.伊吹島では,出産時に出部屋で生活することは普通のことであり,当たり前のことであった.また,出部屋生活は【不便な生活でもみんなと一緒は気楽で楽しい】と感じる一方,【お産は命懸けなので信頼できる産婆が近くにいて安心】と感じていた.そして,出部屋生活をとおして,改めて【家族や出部屋友達に支えられた別火生活】であったと感じていた.さらに伊吹島の女性たちはこのような【島の風習を当たり前のこととして受け入れて継承する誇り】を強く感じていることが明らかになった.

考察

伊吹島の女性たちは,命懸けの出産をとおして,家族の大切さや出部屋友達との結びつきの重要性を改めて感じていた.そして,出部屋で生活するということを受け入れ,風習を守って継承することは,不便な伊吹島の生活の中で家業や家事,育児を担う役割を果たし,伊吹島の女性として,誇りを持って生きるために,なくてはならない時間と場所であったと考える.

結論

伊吹島の女性の出部屋での別火生活は,伊吹島で古くから受け継がれている風習を守り,その後も伊吹島の女性としての誇りを持って生きていくことに繋がっていた.

Summary

Objective: The present study aimed to examine the feelings of females on Ibuki Island who lived separated from other family members during the perinatal period.

Methods: The subjects were eight females on Ibuki Island who spent time in rooms referred to as “debeya” (rooms for postpartum females). A semi-structured interview was conducted based on an interview guide, and the results were analyzed qualitatively and inductively. The study was conducted with the approval of the research ethics committee of the Faculty of Medicine of Kagawa University.

Findings: The mean age of the subjects (eight females) was 81.6 years old. The mean number of deliveries was 3.5. The analysis results were classified into five categories including 30 sub-categories. In the past, females living on Ibuki Island were obliged to work hard. They were also told to be [patient and devoted wives]. It was usual for females on the island to live in debeya during the perinatal period. For them, [living together with other postpartum females was comfortable and fun, although it was sometimes inconvenient]. [The females living in debeya felt secure in that they were able to receive support from reliable midwives since childbirth is an event that may risk their lives]. They also felt that [their lives separated from other family members were supported by their families and friends in the same room]. [They took pride in accepting and handing down the custom practiced on the island to the next generation, and, at the same time, it was natural for them to do so].

Discussion: Through the experience of childbirth - an event that may risk their lives, postpartum females living on Ibuki Island recognized the importance of family members and ties with friends whom they shared the same debeya with. It was necessary for them to spend time in a room referred to as debeya to preserve and hand down the custom to continue to live with pride.

Conclusion: Postpartum females on Ibuki Island lived in debeya separated from their family members during the perinatal period, and it was related to the preservation of the traditional custom and their pride.

序論

日本における出産の歴史を見ると,1955年(昭和30年)以降,急激に施設分娩が増加し,現在は99.9%(病院50.9%・診療所47.9%・助産所1.1%)が施設分娩となっている1).施設分娩に移行する前は,施設外分娩が主流であり,日本には古くから,病院でも助産所でもなく,自宅でもない産屋さんやが存在していた.産屋は,産婦が産の忌の期間である産後の一定期間を家族と離れて過ごした場所である.産屋の分布は全国に広がり,海岸地域や山間地域に多く分布している特徴がある2).現在確認されているものが全国に90件あり,香川県の伊吹島にはその内の1件である出部屋と呼ばれる産屋の跡地が存在している.一般的に産屋は,個人で用いるものや親類・近隣同士で用いるものなど様々な種類があるが,出部屋は島共有の産屋であり,日本で最も遅くまで利用されてきた産屋である.

出部屋は約400年前から存在していたと言われている.産屋は穢れけがれを避ける方法として,その地で別火習慣が伝えられており,伊吹島の出部屋も穢れと大きく関わりがある.板橋3)により「産屋は不浄の産婦を家族・集落から隔離するための施設として存在したと理解されていた.漁や狩猟など危険を伴う仕事を生業とする集落や神社付近では,これを特に重んじる傾向があった.」とされ,板橋はそれが産屋習俗を持続させたと考えている.また,伊吹島は香川県観音寺市に属する島で,瀬戸内海の燧灘にあり,いりこの産地として全国的に有名である.特に漁業が盛んな島であり,穢れによって不漁になるという言われがあったため,特に重んじる傾向があった.よって,伊吹島の出部屋は日本で最も遅くまで利用されてきた.

このような産屋習俗も,1860年代に穢れ意識が薄れてきたことにより,1877年(明治10年)以降,全国に分布していた産屋の多くが消滅していった.地域によっては第2次世界大戦後も産屋は残存し,それらの産屋も1960年代の高度経済成長期に利用者がいなくなり,終焉を迎えたとされる.伊吹島で長く利用されてきた出部屋での生活も1960年代になると激減し,1970年(昭和45年)4月にはついに利用者がいなくなり同年閉鎖され,1983年(昭和58年)に解体された.

当初,自宅の納戸で出産した女性は,その翌日から約1か月間,新生児とともに出部屋で過ごしていた.伊吹島における産屋の利用状況等については,伏見4)によって,伊吹島でも穢れや産の忌などを示す産育習俗が存在しており,出部屋では医療に基づく出産と穢れ意識に基づく行動が同居していたことが明らかにされている.したがって出部屋は,最後まで産屋であり続けたと言われている.そして,出部屋の存続と閉鎖については伏見2)が,女性は家族の事情を勘案しながら出産場所や産後の居場所を自ら選択するようになり,出部屋の存廃の歴史は,女性にとって,共同体の規範に従うか,家族の事情を優先させるか,その中で自分の安寧をどう確保するかという切実な葛藤の歴史だったと述べている.

また,伊吹島の助産婦のライフヒストリーについては伏見5)が明らかにしており,出部屋で主に活動してきた1人の助産婦についてまとめられている.その助産婦は伊吹島において初めての助産婦であり伊吹島の出産方法や出部屋の利用方法を大きく変えたキーパーソンであったと述べている.

さらに,民俗学の八木6)は,伊吹島では,出部屋は明らかに女性の労働からの解放の場とされ,多くの女性たちが出部屋に入って大変幸せであったと語っており,そこには過酷な労働を余儀なくされた島の女性たちの休養,あるいは産後の養生という意味をもって,産屋が長く存続したということは間違いないと述べている.

以上より,これら出産した女性と産育習俗に関する文献を見ても,女性の出産や各地域の産育習俗に対する思いなどを明らかにしたものはなかった.また,出部屋で出産した女性に関する文献はあるが,それらは伊吹島でどのような風習があったか,出部屋での生活はどうだったかを明らかにしたものであって,出部屋を利用した女性の出産への思い,島民たちの女性観や生き方,伝承される出産に関する文化への思いを明らかにしたものはなかった.

伊吹島の出部屋は1970年(昭和45年)まで利用されており,現在も出部屋利用者が健在であるため,聞き取り調査を行い,女性の思いを明らかにすることは日本の産屋における出産の歴史を知る上で意義あるものである.また,当時の妊娠・出産に対する思いや捉え方を知り,現代の助産ケアを考える貴重な手掛かりとなると考えた.

目的

伊吹島の女性がどのような思いを持って,出部屋で別火生活を送っていたかを明らかにすることである.

方法

1. 用語の定義

1) 伊吹島の出部屋

:出部屋とは観音寺市伊吹町に存在していた産屋である.民俗学辞典7)によると,産屋とは「産婦が産の忌の期間すなわち二十一日ないしは七十五日間,別火生活をする所」である.本研究において伊吹島の出部屋とは,伊吹島の女性が出産および産後の生活のために使用した産屋と定義する.

2) 別火生活

:広辞苑8)で別火とは,「神事を行う者が,穢にふれないように別に切り出した火で食物を調理して食すること.また,穢のある人が炊事の火を別にすること.」とされている.別火生活とは,寝起きを別にするだけでなく,生活の中心であり,命の根源となる「火」を別にすることを指す.したがって,本研究において別火生活とは,寝起き,食事などを別にし,穢れのために別の場所で生活することと定義する.

3) 女性の思い

:広辞苑8)で思いとは,「思う心の働き・内容・状態.その対象について,これこれだ,こうだ,こうなるだろう,または,こうだったと,心を働かせること.」とされている.したがって,本研究において女性の思いとは,対象者が産屋における別火生活をとおして感じたことと定義する.

2. 研究方法

半構造化面接法による質的帰納的記述研究である.本研究は,伊吹島の女性がどのような思いを持って出部屋で過ごしていたかを明らかにすることを目的としている.質的帰納的方法で行うことにより,インタビューによって当時の状況を鮮明に語ることができ,コード化することで,表面的なものだけではなく,内面的な気持ちや思いを導き出せると考え,研究方法を決定した.

3. 研究対象者の選定基準

観音寺市在住で,伊吹島の出部屋で過ごした女性8名とした.対象者の選定基準は,年齢は問わず,出部屋で出産もしくは産後を過ごした女性とし,出部屋での出産の有無は問わない.

4. 対象者の選定方法

伊吹島歴史研究会世話人に対し,研究説明書を用いて文書及び口頭で説明し,研究対象に該当する対象者の選定を依頼した.

5. 調査方法

調査期間は,平成28年5月から7月である.基本属性はフェイスシートを作成し,情報を得た後,インタビューガイドに基づいた半構造化面接を行った.インタビューの所要時間は40~60分程度とした.また,インタビューは,対象者の同意を得て,ICレコーダーに録音した.

6. 調査内容

対象者の背景(年齢,出身地,出産回数,出部屋における出産回数,出部屋で生活を始めた時期,出部屋以外の出産場所,出部屋における生活期間)は研究責任者自身が直接聞き取り,フェイスシートに記入した.またインタビューは,出部屋に入る前の生活,出部屋での生活,出部屋から帰ってきた後の生活に分けて,時系列に沿って行った.インタビューガイドの内容は以下の通りである.

1) 出部屋に入る前の生活

  1. ①   出部屋を利用することになった経緯を教えてください.
  2. ②   出部屋入りする前に家族・夫はどのような言葉をかけてくれましたか.それに対し,あなたはどう感じましたか.
  3. ③   出部屋入り前にいつ頃からどのようなものを準備していましたか.また,それらは誰から教えてもらいましたか.

2) 出部屋での生活

  1. ①   出部屋での生活(1日の流れ等)について教えてください.
  2. ②   出部屋での出産体験もしくは産後の生活で感じていたことや困ったことについて教えてください.

3) 出部屋から帰ってきた後の生活

  1. ①   帰宅後,家族・夫はどのような言葉をかけてくれましたか.それに対し,あなたはどう感じましたか.
  2. ②   出部屋での生活において一番印象に残っていることは何ですか.またこの体験が,その後の生活に何か影響したと感じていますか.

7. データの分析方法

本研究は,質的帰納的に内容の分析を行った.具体的な分析手順は以下の通りである.

  1. 1)   インタビュー内容を対象者ごとに丁寧に読み込んだ.
  2. 2)   インタビュー内容を逐語録化し,文脈的に意味のある文節で区切り,1つの意味になるよう整理し,データ化した.
  3. 3)   対象者に,逐語録の内容の確認を行い,データの正確性を図った.
  4. 4)   データの意味や表現を検討しながら,コード化した.
  5. 5)   コードを文脈の意味の類似性に基づいて分類し,その内容を表すようにサブカテゴリー化した.
  6. 6)   サブカテゴリーの意味が同質のものをグループに分類し,カテゴリー化した.

また,本研究の真実性の確保として,Holloway. IとWheeler. S9)が示すGubaとLincolnの質的研究を効果的に評価する明解性,信用可能性,移転可能性,確認可能性に基づき確認を行った.

対象者ごとに大学院生と大学院修了生でディスカッションし,研究過程を明確に記述するように努めた.また,研究者によってかかるバイアスを最小にするためにインタビューガイドを作成した.データの比較検討のプロセスで気づきを記述し,ディスカッションや指導教員にスーパーバイズを受けたことを記録に残し,研究遂行の証拠とした.

8. 倫理的配慮

本研究は香川大学医学部倫理委員会において承認後実施した.(受付番号平成28-007)

研究責任者が対象者に対し,研究の目的及び方法,倫理的配慮について口頭と文書で説明を行い,同意書に研究参加の同意を得た.また,研究に同意する意志を確認後,調査途中であっても中断・中止することが可能である旨を説明した.

結果

1. 対象者の概要

インタビューの協力が得られた対象者8名を分析対象とした.対象者の年齢は72歳から92歳で,平均年齢は,81.6歳(±6.4)であった.出産回数は3回から4回であり,平均出産回数は,3.5回(±0.5)であった.対象者は全員が伊吹島出身であった.出部屋の利用状況は,全出産で利用した者,全出産のうち数回のみ利用した者がいた.出部屋入りの時期は,出産前が1名,出産前と出産後を経験している者が4名,出産後が3名であった.病院での出産経験がある者が3名であった.出部屋入りの時期は,出産前から出部屋を利用している者は出産2日前~当日であり,出産後から出部屋を利用している者は出産当日~産後1日であった.全員が,産後1か月を出部屋で過ごしていた.病院で出産した者は,産後1週間で退院後に出部屋入りしていた.

インタビューの平均所要時間は,43.8分であり,インタビュー回数は1回であった.対象者一覧を表1に示す.

表1 対象者一覧
年齢 出身地 出産回数 出産場所及び養生場所 インタビュー時間
〈第1子〉 〈第2子〉 〈第3子〉 〈第4子〉
A 70歳代後半 島内 3回 自宅(納屋)➡産後1日~1か月出部屋 観音寺の病院➡産後1週間~1か月出部屋 出産前~産後1か月出部屋 30分
B 80歳代前半 島内 4回 出産前~産後1か月出部屋 自宅(納屋)➡出産当日~産後1か月出部屋 出産前~産後1か月出部屋 出産前~産後1か月出部屋 30分
C 90歳代前半 島内 4回 自宅(納戸)➡産後1日~1か月出部屋 自宅(納戸)➡産後1日~20日出部屋 自宅(納戸)➡自宅で過ごす 自宅(納戸)➡自宅で過ごす 40分
D 80歳代前半 島内 3回 自宅(納屋)➡産後1日~1か月出部屋 自宅(納屋)➡産後1日~1か月出部屋 自宅(納屋)➡産後1日~1か月出部屋 50分
E 70歳代後半 島内 3回 出産2日前~産後1か月出部屋 観音寺の病院➡産褥1週間~1か月出部屋 観音寺の病院➡自宅で過ごす 50分
F 70歳代前半 島内 3回 自宅(納戸)➡出産当日~産後1か月出部屋 自宅(納戸)➡出産当日~産後1か月出部屋 観音寺の病院➡自宅で過ごす 50分
G 80歳代後半 島内 4回 出産前~産後1か月出部屋 出産前~産後1か月出部屋 (分娩室使用) 自宅(納戸)➡出産当日~産後1か月出部屋 自宅(居間)➡出産当日~産後1か月出部屋 50分
H 80歳代前半 島内 4回 出産前~産後1か月出部屋 出産前~産後1か月出部屋 出産前~産後1か月出部屋 出産前~産後1か月出部屋 50分

2. インタビュー調査内容の分析結果

8事例の分析結果より,30サブカテゴリーから5カテゴリーが得られた.カテゴリーとサブカテゴリー一覧を表2に示す.なお文中の【 】カテゴリー,≪ ≫サブカテゴリー,「 」語りは斜体で表し,語りの内容がわかりづらい部分は( )で補足した.

伊吹島の女性たちは,昔から重労働を強いられており,また姑の権力が強く,結婚後は【辛抱・我慢で育てられた伊吹島の嫁】と言い聞かされていた.伊吹島では,出産時に出部屋で生活することは普通のことであり,当たり前のことであった.また,出部屋生活は【不便な生活でもみんなと一緒は気楽で楽しい】と感じる一方,【お産は命懸けなので信頼できる産婆が近くにいて安心】と感じていた.そして,出部屋生活をとおして,改めて【家族や出部屋友達に支えられた別火生活】であったと感じていた.さらに伊吹島の女性たちはこのような【島の風習を当たり前のこととして受け入れて継承する誇り】を強く感じていることが明らかになった.

表2 伊吹島の出部屋で別火生活を送った女性の思いを構成するカテゴリー・サブカテゴリー一覧
カテゴリー サブカテゴリー
辛抱・我慢で育てられた伊吹島の嫁 ・辛抱・我慢と言われて育ってきた
・姑に気を遣いながら,家に仕えなければならなかった
・お産が近くても出部屋仕舞い直後であっても,ずっと働かなければならなかった
不便な生活でもみんなと一緒は気楽で楽しい ・夜になると電気が消えるのでランプの生活が大変だった
・出部屋でも仕事をしなければならず,満足にお風呂にも入れない生活は辛かった
・水が貴重だったからオムツの洗濯が大変だった
・出部屋にいると欲しいものもすぐに手に入らなかった
・出部屋ではたくさんの人が生活していて,楽しかった
・出部屋生活は毎日が楽しくあっという間だった
・出部屋生活は気楽だから行って良かった
・出部屋友達とワイワイ話すのが楽しみだった
・味噌とイワシで自炊したご飯がおいしかった
・母乳が出るような食べ物をたくさん食べさせてくれた
お産は命懸けなので信頼できる産婆が近くにいて安心 ・お産は本当にしんどくて命懸けだった
・信頼のできる産婆が近くにいてくれた
・産後は産婆が出部屋に来てくれた
・産婆もいなくなると,病院でのお産が増えていった
家族や出部屋友達に支えられた別火生活 ・家族に教えてもらい準備をし,家族と一緒に出部屋入りした
・家族が食べ物を差し入れてくれ,困った時には助けてくれて嬉しかった
・日々出部屋友達と助け合って生活していた
・出部屋友達は今でも仲が良い
・今でも出部屋があればいいのに
島の風習を当たり前のこととして受け入れて継承する誇り ・穢れているから出部屋で生活したけれど抵抗はなかった
・八幡さんを除けて出部屋入りするのは大変だった
・出部屋は昔からみんなが利用していたから,子どもを産んだら出部屋に行くことにしていた
・家族にとっても出部屋に行くことが当たり前であり,姉や姑に勧められて出部屋に行った
・男子禁制の風習から夫は子供を見たくても来れなかった
・時代が変わり,夫も出部屋に行けるようになった
・妊娠・出産にまつわる風習は家族から言い伝えられた
・産後の母体のために食事制限がきつかった

3. カテゴリーとサブカテゴリーの説明

1) 【辛抱・我慢で育てられた伊吹島の嫁】

伊吹島の女性は,女の人は辛抱・我慢するものと言い聞かされて育ってきている.結婚して姑と同居することで気を遣いながら,出産前も出産直後も働き続けざるを得なかったことを意味する.これは,≪辛抱・我慢と言われて育ってきた≫,≪姑に気を遣いながら,家に仕えなければならなかった≫,≪お産が近くても出部屋仕舞い直後であっても,ずっと働かなければならなかった≫の3サブカテゴリーで構成された.

≪辛抱・我慢と言われて育ってきた≫

「私たちの時代の嫁住み注1は辛かった.辛抱・我慢と言われ,余裕もなかった.」(D氏)

≪姑に気を遣いながら,家に仕えなければならなかった≫

「自分の家だと,はやく起きないといけないけれど,出部屋ではそういう所は自由がきく.家に帰ると,姑に気を遣って寝るわけにはいかない.」(H氏)

≪お産が近くても出部屋仕舞い直後であっても,ずっと働かなければならなかった≫

「お腹が大きくても,お産前日まで畑に行っていた.それでお産が軽かったのかな.」(B氏)

2) 【不便な生活でもみんなと一緒は気楽で楽しい】

当時の伊吹島は天水のみに頼っており,満足にお風呂にも入れなかったり,オムツの洗濯に苦労していた.また,物が不足していたことから出部屋での生活は不便なこともあった.しかし,出部屋では,常に出部屋友達がおり一緒に食事をしたり育児をしており,家事や育児,姑から解放された.また,子どもと2人の生活は気兼ねなく気楽に過ごすことができるため,伊吹島の女性たちは,出部屋での生活は楽しいと感じていたことを意味する.これは,≪夜になると電気が消えるのでランプの生活が大変だった≫,≪出部屋でも仕事をしなければならず,満足にお風呂にも入れない生活は辛かった≫,≪水が貴重だったからオムツの洗濯が大変だった≫,≪出部屋にいると欲しいものもすぐに手に入らなかった≫,≪出部屋ではたくさんの人が生活していて,楽しかった≫,≪出部屋生活は毎日が楽しくあっという間だった≫,≪出部屋生活は気楽だから行って良かった≫,≪出部屋友達とワイワイ話すのが楽しみだった≫,≪味噌とイワシで自炊したご飯がおいしかった≫,≪母乳が出るような食べ物をたくさん食べさせてくれた≫の10サブカテゴリーで構成された.

≪夜になると電気が消えるのでランプの生活が大変だった≫

「電気がなかったからランプを使っていた.夜になれば電気が消えるから,夜中に子どもが産まれる時は大変だった.不衛生だった.」(D氏)

≪出部屋でも仕事をしなければならず,満足にお風呂にも入れない生活は辛かった≫

「出部屋で子どもの着物を縫ったことが印象的である.昔は出部屋に行くと裁縫をしなければいけなかった.子どもが寝ている間に裁縫をしていた.」(C氏)

「朝起きて,たらいで洗濯していた.井戸はポンプがあった.お風呂には入れないから,昼にお湯を沸かして,下半身だけ洗ったり,腰湯したりしていた.」(E氏)

≪水が貴重だったからオムツの洗濯が大変だった≫

「洗濯機もないから,手で絞って干さないといけない.早く起きて,外に洗濯物を干すのに竿の取り合いだった.洗濯が一番印象に残っている.」(E氏)

≪出部屋にいると欲しいものもすぐに手に入らなかった≫

「困ったことは,何か欲しいと思っても間に合わないことがあること.姑が大体毎日来てくれていたけれど,間に合わないこともあった.」(E氏)

≪出部屋ではたくさんの人が生活していて,楽しかった≫

「食事は1部屋に集まって食べていた.5つか6つある部屋に2人ずつ生活していた.食事はみんなで一緒にしていた.」(C氏)

≪出部屋生活は毎日が楽しくあっという間だった≫

「出部屋での1日は,朝起きて,ご飯食べて,オムツを洗っていた.産婆さんが子どもの沐浴に来てくれた.自分も腰湯をしていた.1人の子どものことと自分のことだけすればいいから楽しかった.」(G氏)

「出部屋仕舞いの日はすぐに来る.アッという間にはや1か月って言ってね.」(H氏)

≪出部屋生活は気楽だから行って良かった≫

「私はやっぱり出部屋に行って良かったって思う.出部屋で生活したら,気が楽で,遠慮もしなくていい.親戚や近所の人が産着や米や卵を毎日持って来てくれていた.」(G氏)

≪出部屋友達とワイワイ話すのが楽しみだった≫

「出部屋友達とワイワイ言いながら育児したことが思い出である.育児をするだけで,余計なことをしなくていいから.」(C氏)

≪味噌とイワシで自炊したご飯がおいしかった≫

「味噌とイワシを食べていたけど,産後だから美味しかった.」(A氏)

≪母乳が出るような食べ物をたくさん食べさせてくれた≫

「母乳が出るようにって,米の粉で団子を作って食べたり,うどんを食べていた.姑がいろんな物を運んでくれた.」(E氏)

3) 【お産は命懸けなので信頼できる産婆が近くにいて安心】

伊吹島には病院がないことから出産はより命懸けであり,伊吹島の女性はとても大変な思いをしたけれど,伊吹島には2人の助産師が住んでおり,出産時や沐浴時には駆けつけてくれた.よって助産師がいたから,伊吹島の人々は安心だと感じていたことを意味する.これは,≪お産は本当にしんどくて命懸けだった≫,≪信頼のできる産婆が近くにいてくれた≫,≪産後は産婆が出部屋に来てくれた≫,≪産婆もいなくなると,病院でのお産が増えていった≫の4サブカテゴリーで構成された.

≪お産は本当にしんどくて命懸けだった≫

「(出部屋で印象に残っていることは)お産が苦しかったこと.3人目は出部屋で出産して特にしんどかった.」「お母さんの体が戻るまで,産後は大事だと思う.出産は命懸け,女の一番大事なことだと思う.」(A氏)

≪信頼のできる産婆が近くにいてくれた≫

「産婆さんはやっぱ経験者だから信頼はあるよね.」(F氏)

≪産後は産婆が出部屋に来てくれた≫

「出部屋にいる間は産婆さんが見に来てくれていた.伊吹島には2人の産婆さんがいた.赤ちゃんをお風呂に入れてくれていた.」(D氏)

≪産婆もいなくなると,病院でのお産が増えていった≫

「私たちが出部屋を利用した最後の代で,産婆さんも大阪に行ってしまったから,私たちより下の代は観音寺の病院でお産していた.」(G氏)

4) 【家族や出部屋友達に支えられた別火生活】

出部屋では差し入れをしてくれたり,困った時にはすぐに駆けつけてくれる家族が近くにいてくれて,一緒に生活した出部屋友達が大切な存在であった.よって対象者らは,家族や出部屋友達に支えられて出部屋で生活を送ることができたと感じていることを意味する.これは,≪家族に教えてもらい準備をし,家族と一緒に出部屋入りした≫,≪家族が食べ物を差し入れてくれ,困った時には助けてくれて嬉しかった≫,≪日々出部屋友達と助け合って生活していた≫,≪出部屋友達は今でも仲が良い≫,≪今でも出部屋があればいいのに≫の5サブカテゴリーで構成された.

≪家族に教えてもらい準備をし,家族と一緒に出部屋入りした≫

「親戚や家族が出部屋に持って行く物・食べ物を準備してくれる.親戚や家族で出部屋まで運んで,連れて行ってくれる.」(C氏)

≪家族が食べ物を差し入れてくれ,困った時には助けてくれて嬉しかった≫

「出部屋で炊けない物は持って来てくれていて,姑は料理が上手だったから,すごく嬉しかった.」(E氏)

≪日々出部屋友達と助け合って生活していた≫

「出部屋は5~6人くらいいた.1番年上の人は最後の子で,私たち若い人は初めての子どもだからいろいろ教えてもらっていた.」(G氏)

≪出部屋友達は今でも仲が良い≫

「今でも出部屋友達は仲良しで,出部屋は良かったって話をする.」(H氏)

≪今でも出部屋があればいいのに≫

「出部屋友達は歳が一緒くらいの人ばかりだった.出部屋は今でもあった方がいいのにって思う.」「今でも出部屋みたいなのがあればいいのに.」(H氏)

5) 【島の風習を当たり前のこととして受け入れて継承する誇り】

伊吹島には妊娠・出産にまつわる様々な風習があり,伊吹島の女性もその家族もそれらの風習を受け入れて大事にしていた.また,それらの風習を次世代に受け継いでいきたいと感じていた.そして,その風習を守り,継承することを誇りに思っていたことを意味する.これは,≪穢れているから出部屋で生活したけれど抵抗はなかった≫,≪八幡さんを除けて出部屋入りするのは大変だった≫,≪出部屋は昔からみんなが利用していたから,子どもを産んだら出部屋に行くことにしていた≫,≪家族にとっても出部屋に行くことが当たり前であり,姉や姑に勧められて出部屋に行った≫,≪男子禁制の風習から夫は子どもを見たくても来れなかった≫,≪時代が変わり,夫も出部屋に行けるようになった≫,≪妊娠・出産にまつわる風習は家族から言い伝えられた≫,≪産後の母体のために食事制限がきつかった≫の8サブカテゴリーで構成された.

≪穢れているから出部屋で生活したけれど抵抗はなかった≫

「昔から出部屋に行っていて,出部屋に行くことがしきたりになっていたから穢れのことは思わない.昔は穢れているからと出部屋で生活していたが,出部屋に行くことに抵抗はない.」(C氏)

≪八幡さんを除けて出部屋入りするのは大変だった≫

「(出部屋までは)しんどいけど,歩いて行く.八幡さんを除けて出部屋に歩いて行くから,距離は結構ある.」(C氏)

≪出部屋は昔からみんなが利用していたから,子どもを産んだら出部屋に行くことにしていた≫

「昔から子どもができたら出部屋に行っているから,嫌ではなかった.子どもができたら行かないといけないことになっていて,皆行っているから.」(B氏)

≪家族にとっても出部屋に行くことが当たり前であり,姉や姑に勧められて出部屋に行った≫

「出部屋に行くのが当たり前だから,(夫からの)声かけはなかった.子どもを産むのが当たり前だから.」(F氏)

≪男子禁制の風習から夫は子どもを見たくても来れなかった≫

「出部屋といくら家が近くても,男は絶対に出部屋に来てはいけなかった.叫んだら聞こえる距離で,いくら子どもを見たくても30日間は会えなかった.」(H氏)

≪時代が変わり,夫も出部屋に行けるようになった≫

「穢れは考えてなかった.2人目の時はお父さんが来て,子どもを見ていた.我が子を見ないでどうするって言って.出部屋は男が来たらダメって言うけど,そんなこと言うのは昔の話よって言って.」(F氏)

≪妊娠・出産にまつわる風習は家族から言い伝えられた≫

「出部屋仕舞いを決めるのは姑だった.30日でなくても,良い日を見て決めてくれる.悪い日を避けて帰ってくる.」(D氏)

≪産後の母体のために食事制限がきつかった≫

「出部屋ではいろいろと食事に厳しかった.産後はたくさん食べたらいけないと言われて,食べさせてもらえなかった.」(A氏)

4. インタビュー調査時の対象者の様子

インタビュー導入時には「出部屋のことは何でも話してあげるで.」,「何でも聞いて.」などの発言があり,出部屋での生活を積極的に,そして前向きに話されていた.また,「出部屋のことが分かる人が減ってきたからね.話せることは若い人にも聞いてもらわないと.」と,出部屋での生活の様子を伝えていきたいと感じている様子であった.

インタビュー中には,1つの質問に対して,途切れることなく,次々と出部屋での生活について語られていた.インタビュー中の表情は笑顔であり,様々な思い出を懐かしむような状況もあった.しかし,出産時の様子については,苦しい思いをしたことを身体全体で表現する対象者もいた.そして,特に伊吹島の女性について話す時には,力強く語られる場面も見受けられた.

どの対象者にも共通していたことは,出部屋での生活について意気揚々と語られていたことである.そして,対象者全員が出部屋で生活したことを誇らしげに語っていると感じとれた.

考察

本論文においては,対象者の特徴,伊吹島の女性の出部屋に対する思い,別火生活をとおして伊吹島の女性として生きる意味の3つの視点から考察する.

1. 対象者の特徴

対象者は平均年齢81.6歳であり,対象者全員が70歳以上の高齢者であり,1名を除く7名が後期高齢者であった.約60~70年前の出産時のことをインタビューしたが,対象者全員が研究の目的を理解し,当時の事を思い出して出部屋生活について鮮明に語っていた.伊吹島の女性は,自分の出産の時だけでなく,家族,親戚や近所の人の出産の時に支える立場として出部屋に出入りすることがあった.そのため,伊吹島の女性は,出部屋で支えられる立場から支える立場まで経験しており,出部屋は子どもの頃から身近に感じていたことが推察される.また,その当時,出部屋で一緒に生活していた仲間を出部屋友達と呼び,出部屋友達との関係性は出産後でも続き,高齢者となった現在でも続いている.よって,出部屋友達との交流があり,現在でも出部屋について語り合うことが多く,また,出部屋については伊吹島の女性たちによって次世代に大切に語り継がれていることから,約60~70年前のことではあったが,鮮明に語ることができるのだと考える.また,伊吹島の出部屋の利用状況として,1949年(昭和24年)に116人とピークであり,その後約10年は伊吹島の出生数の内,70~80%が出部屋を利用していたことが明らかになっている注2.よって,対象者らは最も人口が多い時代に妊娠・出産を経験しており,出部屋を利用する頻度が最も多く,出部屋友達も多いことが推測される.

2. 伊吹島の女性の出部屋に対する思い

インタビュー結果において,伊吹島の女性特有の思いが多くあり,そのひとつに【辛抱・我慢で育てられた伊吹島の嫁】という思いがあった.伊吹島では島内結婚が多く,結婚後は同居することが普通のことであり,本研究の対象者8名の内7名は夫家族と同居していた.また,「昔はどんなことがあっても実家に帰ることはできなかった.そんな風に育ってきた.」という語りがあるように,結婚後は,実家にすら帰ることができず,嫁として家に仕えていたことが分かる.そして,対象者の語りに「子どものためにたくさん辛抱した.」とあるように,対象者らは妊娠や出産,子育てにおいて辛抱や我慢が強いられることにより,身体的,精神的な面が培われ,伊吹島の女性の強さが築きあげられたと考える.

そして,実際の出部屋での生活は,【不便な生活でもみんなと一緒は気楽で楽しい】と感じていた.当時の伊吹島は天水に頼る生活であったため,≪水が貴重だったからオムツの洗濯が大変だった≫という思いがあった.伊吹島に水道が開通したのは1973年(昭和48年)であり,それまでは,雨水を貯める天水井戸が使用されており,坂道を上り下りして水を運ぶため,重労働であったと考える.また,出部屋では,姑と離れて生活し,経産婦であれば子どもたちを家族に預け,生まれたばかりの子どもと2人での生活であったため,気楽に過ごせたという印象が強いと思われる.姑との同居は気を遣い,嫁として生活することが大変であったからこそ,出部屋での生活は気兼ねなく過ごすことができる貴重な時間であり,出部屋生活に満足していたと考える.

【お産は命懸けなので信頼できる産婆が近くにいて安心】の中には,≪お産は本当にしんどくて命懸けだった≫と感じており,伏見の文献10)の中では「微弱陣痛で観音寺の産婦人科に連絡したものの,医師が到着するまでに胎児が死亡した例もあったそうである.」とあり,当時は死産や母体死亡も多かったことが伺える.「お産はなんとも言えない辛さ.本当に辛いけど,涙流したら笑われるから涙1つも出せない.こんなに痛い事が世の中にあるのかって言った.」という語りから,今も昔も変わらず,出産は何が起きるか分からないことから,大変であったことが分かる.また,万が一何か起きた時には対応ができなかったり,対応が遅れることから今と比べ,より危険性が高い状況であったと考える.

しかし,助産師が2人いることが,伊吹島の人々の安心感に繋がり,伊吹島の女性たちは出部屋で出産することができていたと考える.伏見5)は当時伊吹島で活動していた1人の助産師に聞き取り調査を行い,その中で助産師として,一番大切にしてきたことが妊産褥婦本人とのコミュニケーション,信頼関係であると述べている.このように助産師は現在でも,妊産褥婦の一番身近なところで支える役割を担っており,医療施設が整っていない環境で出産に従事した当時の伊吹島の助産師にも,同じように,特に分娩期にある産婦との信頼関係構築を重要視していたことが伺える.

このような出部屋での生活は,家族や出部屋友達の存在が大きく,【家族や出部屋友達に支えられた別火生活】であったと考える.出部屋で生活している時には,≪家族が食べ物を差し入れてくれ,困った時には助けてくれて嬉しかった≫という思いがあり,家族や親戚から食事や水,燃料などの差し入れがあり,それらを確保できていたと推察される.また,経産婦は,出部屋での生活中の子どもたちの世話は家族が担っており,このことからも家族の支えが非常に大きいと考える.そして,出部屋入り,出部屋での生活中,出部屋仕舞いのどの部分を取っても,家族は不可欠であり,特に姑や実母に支えられていたと推察できる.これは現在も変わらず,今でも特に実父母や義父母の支援は非常に重要であると考える.

また,「出部屋にいる間はみんなで助け合っていた.先輩が育児技術を教えてくれる.」という語りがあり,≪日々出部屋友達と助け合って生活していた≫と考えられる.この出部屋友達はピアサポート(peer support:仲間を支える)的な存在であり,特に初産婦は,出部屋友達から育児技術について学んでいたことが明らかになった.このように身近に相談できる出部屋友達がいることは,同じ年齢の子どもたちを持つ母親たちが自然と仲間づくりをする基盤となっていたと考える.また,一緒に過ごした出部屋友達との関係性は,出部屋仕舞い後も生涯続き,困った時には助け合う同世代間の強固な連帯感が培われていたと考える.

このような生活を送った出部屋は,穢れのために別火生活を送る場として作られたものであるが,インタビューを行う中で,穢れを意識して出部屋を利用したと語る者はいなかった.≪出部屋は昔からみんなが利用していたから,子どもを産んだら出部屋に行くことにしていた≫と家族や親戚から言い伝えられて出部屋を利用していたことが明らかになった.姉や親戚の女性たちがすでに出部屋を利用しており,出産の際に出部屋を利用することは当然であり,当たり前のこととして受け入れ,周りと異なる産後の過ごし方の選択肢すらなかったのではないかと考える.

また,全国には,妊娠・出産に関する風習が多く残っており,それらは地域による特性があり,特に島嶼においてはその特性が強く表れている.本研究の対象者が住む伊吹島にも多くの妊娠・出産に関する風習があり,【島の風習を当たり前のこととして受け入れて継承する誇り】を感じていたことが明らかになった.姑の権力が強く,辛抱・我慢で育った伊吹島の嫁は,姑の決めたことに従わなければならなかった.嫁の地位が低いことからこのように姑に従わなければならない傾向にあったと考える.

また,インタビュー調査で,どの対象者においても出部屋での生活を誇らしげに語っており,これらは,親から子へと自然と受け継がれ,風習を継承することで,伊吹島の女性としての誇りを感じていたと考える.よって,出部屋で生活することは,本人や家族にとって当たり前のことではあるが,伊吹島の女性として成長し,誇り高く生きていくことに繋がっていたと考察する.

3. 別火生活をとおして伊吹島の女性として生きる意味

別火生活とは,寝起きを別にするだけでなく,生活の中心であり,命の根源となる「火」を別にすることを意味している.それほどまでに,出産の穢れ意識が強かったということが推察できる.かつて日本各地では,女性の月経や出産に対して穢れという考えがあり,死と同様に,一定期間忌み,そして慎まなければならないものであった.これは伊吹島に限られた事ではなく,日本産育習俗資料集成11)において,各都道府県にある「産の忌」が多数まとめられており,特に山間部や沿岸地域において,産の忌を強く言い伝えられており,堅く守られていたことが分かる.1860年代に穢れ意識が薄れ,1870年代以降に全国に分布していた産屋の多くが消滅している.出部屋の最後の利用は1970年(昭和45年)であり,約100年以上も前から穢れ意識が薄れていたにも関わらず,長く存続していた.これは,特に漁業が盛んな島であり,穢れによって不漁になるという言われがあったため,全国でも一番遅くまで産屋が衰退せずに使用されていたと考える.

また,対象者らの語りに,「昔は穢れが関係していたけど,私たちの時代は穢れがあったから出部屋に行くっていう考えはなかった.漁が不漁になるって言われていた.でも,私たちはあまり意識してないし,(そのことを)聞いてなかった.」とあるように,実際出部屋を利用した女性たちは,穢れを意識することなく,風習と言うだけで出部屋を利用していたことが分かる.よって,対象者の語りの中には,穢れへの考えや思いは見られず,穢れは否定的な印象であるが,対象者の大半は出部屋生活をむしろ肯定的に捉えていたと考える.別火生活は今考えると独特な風習ではあるが,伊吹島の女性にとって普通のことであり,別火生活を含め出部屋で生活することを受け入れていたと考える.

なぜ穢れの考えが薄れた後でも出部屋を利用していたか考える中で,八木6)は「産屋の存在する地域は概して女性の労働力が特に重視されるような地域が多い.このことからも,基本的には産屋には女性の休養,あるいは産後の養生という目的が付与されており,産婦と子どもの肉体的,精神的な安定のために設けられたと考えることもできる.」と述べている.対象者らも,「出部屋で過ごす1か月が良かったから,家に戻るのが辛かった.」という語りがあり,≪出部屋生活は毎日が楽しくあっという間だった≫や≪出部屋生活は気楽だから行って良かった≫という思いも見られている.日々重労働を強いられる伊吹島では,出部屋にいる間は過酷な労働から解放される唯一の時だったと考える.日常生活がとても大変だったが故に,出部屋での別火生活が非日常であり,母子だけで過ごせる産後1か月がとても良く感じており,出部屋での生活が肯定的に捉えられていたと考える.女性たちにとって,息抜きの場であり,出部屋友達と気兼ねなく過ごせる時間であるため,出部屋生活を楽しむ女性が多かったと推察できる.

したがって,出部屋で別火生活を送ることは,伊吹島で古くから受け継がれている風習を守り,不便な伊吹島の生活の中で家業や家事,育児を担う役割を果たし,伊吹島の女性として,誇りを持って生きることに繋がり,なくてはならない時間と場所になっていたと考察する.

結論

伊吹島の出部屋で別火生活を送った女性の思いを分析した結果,30サブカテゴリーから5カテゴリーが抽出された.伊吹島の女性たちは,昔から重労働を強いられており,また姑の権力が強く,結婚後は【辛抱・我慢で育てられた伊吹島の嫁】と言い聞かされていた.伊吹島では,出産時に出部屋で生活することは普通のことであり,当たり前のことであった.また,出部屋生活は【不便な生活でもみんなと一緒は気楽で楽しい】と感じる一方,【お産は命懸けなので信頼できる産婆が近くにいて安心】と感じていた.そして,出部屋生活をとおして,改めて【家族や出部屋友達に支えられた別火生活】であったと感じていた.さらに伊吹島の女性たちはこのような【島の風習を当たり前のこととして受け入れて継承する誇り】を強く感じていることが明らかになった.

謝辞

本研究を行うにあたり,ご協力頂きました伊吹島歴史研究会世話人ほか,快くご協力くださいました伊吹島の皆様に深く感謝いたします.

Footnotes

注1 結婚後,夫の実家で夫の家族と共に生活すること.

注2 「伊吹産院に就いて」:観音寺市役所伊吹支所 桧原保健婦作成,昭和32年2月26日五市保健婦会発表資料より.

文献
  • 1)    白井  千晶 : 自宅出産から施設出産への趨勢的変化―戦後日本の場合,社会学年誌, 40,125-139,1999.
  • 2)    伏見  裕子 : 伊吹島出部屋の存続と閉鎖をめぐる近代史,香川母性衛生学会誌, 15(1),1-19,2015.
  • 3)    板橋  春夫 : 出産の民俗学・文化人類学 Ⅰ自宅出産から病院出産へ―産屋習俗にみるケガレ・共助・休養(初版), 29-53,勉誠出版,2014.
  • 4)    伏見  裕子 : 島のお産から家族のお産へ―昭和20-30年代における伊吹島の出部屋と女性たち―,女性学年報, 34,145-173,2013.
  • 5)    伏見  裕子 : 産屋と医療―香川県伊吹島における助産婦のライフヒストリー―,女性学年報, 31,98-119,2010.
  • 6)    八木  透 : 出産をめぐる習俗とジェンダー―産屋・助産者・出産環境―,佛教大学総合研究所紀要, 15,1-23,2008.
  • 7)    柳田  國男 監修: 民俗学辞典, 62,東京堂出版,1951.
  • 8)    新村  出 編: 広辞苑(第六版), 424-2530,1951.
  • 9)    Holloway.  I ,  Wheeler.  S : 野口美和子監訳:ナースのための質的研究入門 研究方法から論文作成まで(第2版), 246-255,医学書院,2006.
  • 10)    伏見  裕子 : 近代日本における出産と産屋 香川県伊吹島の出部屋の存続と閉鎖, 34-36,勁草書房,2016.
  • 11)    柳田  國男 : 恩賜財団母子愛育会編 日本産育習俗資料集成 復刻, 194-207,第一法規出版,2008.
関連文献
 
© 2018,香川大学医学部看護学科

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