理論と方法
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特集 意味と社会システム―社会理論のフロンティア―
意味の社会的次元
─意味の理論はいかなる必然性のもとで社会の理論でもあるのか?─
大澤 真幸
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1990 年 5 巻 1 号 p. 23-42

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抄録

 我々にとっては、任意の事物・事象は「意味」を帯びたものとして現象する。(1)最初に、我々は、意味についての現象学的な規定から出発し、意味に対する志向性が、一種の選択の操作として記述できることを示す。選択の操作は、異なる可能性の排除と保存によって特徴づけられる。すなわち、ある特定の「意味」において対象の同一性が規定されたとき、対象の他なる同一性は排除されると同時に、可能なるものとして保存されてもいるのだ。(2)ついで、我々は、意味の概念と情報の概念を区別することによって、意味に向けられた選択の操作が、自己準拠的な構成を取らざるをえないということを明らかにする。このことは、対象の同一性が意味を通じて決定されるとき、同時にその対象が所属する世界の同一性が指し示されていることを含意している。しかし、世界と自己準拠的な選択の操作は、その根本的な単一性(孤立性)のゆえに、同定不可能なものにみえる。というのも、我々は、選択の操作や世界がまさにそこからの区別において存在するような「外部」を、積極的に主題化することができないからだ。(3)そこで、我々は、分析哲学が提起した、「志向的態度(信念)についてのパラドックス」を検討する。志向的態度についての言明は、意味を規定する選択の操作を言語的に表示するものである。我々の解釈では、パラドックスは、他者が存在するときそしてそのときのみ、世界や選択の操作の同定を可能ならしめる「外部」が、構成される、ということを含意している。したがって、意味は、ただ、他者の存在を根源的な事実として認める理論の中でのみ、正当に論ずることができるのだ。言い換えれば、意味は、本質的に社会的な現象なのである。

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© 1990 数理社会学会
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