2020 年 65 巻 2 号 p. 137-153
本論文は、義務教育とも音楽の専修課程とも異なる環境である女学校で音楽を学んだ日本人女性の卒業後の暮らしにとり入れられた音楽について明らかにすること、音楽の演奏を主たる目的としない生活空間としての住宅(あるいは家庭)のなかで実践された音楽について明らかにすることを目的とする。
上記の目的を遂げるため、松山女学校と神戸女学院を卒業した駒井静江を事例に、家族新聞『団欒』に掲載されたアメリカ紀行や、国内外で収集された楽譜資料を調査した。
第1の目的については、結婚するまでの間、出身校に加え日ノ本女学校で英語や音楽を教えて後進の日本人女性の教育を支えていたこと、また、遺伝生物学者の夫駒井卓の海外赴任に伴ってニューヨークに滞在する間、週に2回のピアノのレッスンを受け、音楽会に通って多様な時代・国の作品を鑑賞し、同地で活動する同時代の作曲家の作品も含む楽譜を収集するなど、豊かな音楽経験を積んでいた実情が明らかとなった。
第2の目的については、アメリカから来日したW. M. ヴォーリズWilliam MerrellVories(1880~1964)に自宅の設計を依頼し、矯風会などの社会活動に精力的にとり組むなかで、ピアノや蓄音器を囲むひとときを夫婦で楽しんでいたことが明らかとなった。
これまでの洋楽受容史研究では、日本の家庭に備えられたピアノは、中流階級以上のステータスシンボルとして論じられることが多かった。国内外でピアノのレッスンを受けた静江の事例は、既往研究からはみえてこない音楽との向き合い方を具体的に示す貴重な存在である。本調査を教養教育としての音楽、生涯教育としてのピアノについて学術的に考えていく緒として位置づけ、20世紀前半の日本人による自主的な西洋音楽の学びについて解き明かしていくことを今後の課題とする。