音楽学
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最新号
選択された号の論文の6件中1~6を表示しています
  • 菅沼 起一
    2023 年 69 巻 1 号 p. 1-15
    発行日: 2023年
    公開日: 2024/10/15
    ジャーナル フリー
      1600年頃における音楽様式の転換の中で、装飾技法「ディミニューション」は演奏時に即興されるものから作曲時に楽譜に書かれるものへと変化した。しかし、先行研究は専ら16から17世紀の教本群を扱うことを主とし、16 世紀多声楽曲に萌芽的に見られる「書かれたディミニューション」に光を当てた研究は数が限られている。本稿では、16世紀における「書かれたディミニューション」技法の展開を調査することを目的とし、世紀半ばのマドリガーレ群、特にバルダッサーレ・ドナート(1529–1603)の楽曲に焦点を当てる。
      ドナートは、ヴィラールトに師事しヴェネツィアで歌手、教師、作曲家として活動した人物で、1590年からザルリーノの後任として聖マルコ大聖堂の楽長に就任した。彼の伊語作品集は3冊出版されているが、本稿第二節では彼の《四声のマドリガーレ集第二巻》(1568)から、「書かれたディミニューション」が多く用いられる前半6 曲の分析結果が報告される。そこでは、特に6部から成る連作ポリフォニーとなっている第一曲において「書かれたディミニューション」の割合とメンスーラ記号の変化が一致していることに注目した。そこで、続く第三節ではドナートをはじめとするヴィラールトの門弟や影響を受けたとされるヴィラールティアン Willaertian の作品へと視野を広げ、当時マドリガーレというジャンルにおいて新しく導入されたメンスーラ記号であるテンポ・オルディナリオ(C)の使用と「書かれたディミニューション」の書法を検証した。その結果、メンスーラ記号による「書かれたディミニューション」書法の明確な区別が見られ、1540 年代以降のいわゆる「黒色音符 note nere」記譜法の導入が、「書かれたディミニューション」の書法の発展を促進させたことを指摘し、40年代からドナートの楽曲が出版された60年代までの経過を要約することで本稿の結論とした。
  • 清水 康宏
    2023 年 69 巻 1 号 p. 16-30
    発行日: 2023年
    公開日: 2024/10/15
    ジャーナル フリー
      本論文は、ベネディクト16世(在位2005–13)として第265代ローマ教皇を務めたヨーゼフ・ラッツィンガーの1970年代における教会音楽論を取り上げ、彼が教会の歴史上つねに「葛藤」のあった典礼と芸術との関係をどのように神学的に総括し、その「葛藤」を乗り越えようとしていたのかを考察するものである。
      ラッツィンガーは、会衆による典礼への「行動的参加」 が謳われた第二バチカン公会議の後、芸術的価値を問わない実用的な(皆が歌えるような)歌曲が典礼にふさわしく、芸術的で荘重な教会音楽はふさわしくないと考える傾向があることを問題視していた。彼にとって教会音楽とは、会衆のために作られた易しい「実用音楽」ではなく、またエリートだけが理解できるような「秘教的」な「芸術音楽」でもない。それは「宇宙」に秘められた神の賛美である「宇宙の音楽」が、典礼において達成される「トランスポズィツィオーン」によって、耳に聞こえる感覚的な「人間の音楽」になったものである。それは、目に見えない精神的な神が、目に見える肉体を持った人間としてのキリストの姿に描かれるというイコンと目的を同じくするものであり、教会音楽でもイコンでも、精神的なものが感覚的なものへと置き換わること、つまり「受肉」としての「トランスポズィツィオーン」が実際にそこで行われているのである。彼にとって教会音楽は、単に人間の手による生産物ではなく、「宇宙の声」を呼び起こそうとする典礼に対して天上からもたらされる「贈り物」である。
      ラッツィンガーにとって典礼と芸術との関係を考えることは、精神的なものと感覚的なものとのつながりをどのように捉えるべきかという教父の時代から続く神学上の核心的な問題を考えることであった。ゆえに、彼の教会音楽論に着目することは、現代文化とどのように折り合いをつけるかが問われた公会議後の神学と典礼のあり方を見ていくうえで有益である。
  • 佐藤 由佳子
    2023 年 69 巻 1 号 p. 31-49
    発行日: 2023年
    公開日: 2024/10/15
    ジャーナル フリー
      本研究は、商船学校の「学校の歌の文化」を対象とし、その文化と俗謡の文化の相互関係のありようを詳らかにしてゆくことをめざすものである。筆者は、「学校の歌の文化」という概念を「校歌や応援歌、寮歌といった学校に属する歌だけでなく、生徒や学生が皆で口ずさむレパートリーをも含めた総体」として捉えている。従来の音楽研究には、学校の歌の世界と俗謡の世界が相互に作用し合いつつ展開してきた過程に着目するという観点はほとんどみられなかった。
      こうした本研究の位置取りを踏まえたうえで、本論文では、商船学校の《白菊の歌》に焦点を絞る。この歌は、当初は大島商船学校の歌であったが、その後書生節に転じ、さらに東京商船学校の歌になり、ついにはこの学校を代表する寮歌として表象されるようになった。
      その展開のありようをみてゆくために、《白菊の歌》の旋律やリズム・歌われ方の変移、および歌詞中の漢詩の改変について考察し、また、当時出版された唄本やそのレパートリー、東京商船学校の卒業生の証言や校内で発行された歌集、同窓会誌や新聞記事に記されている言説を調査・分析する。
      その過程で議論してゆくことを通じて、この歌が商船学校の歌の文化と俗謡の文化の間で往還を重ねるプロセスのなかで、書生節に転じた際に新たな変容が生じつつも(商船)学校の歌であるという記憶を保ち続けていたり、東京商船学校の歌の文化の中に俗謡の類として受け入れられたもののその後のこの文化の再編成につれてその位置づけを変化させていったり、といった商船学校の歌の文化と俗謡の文化の相互作用のひとつの特徴的なありようが明らかになる。また、巷の人々が抱く「商船学校の学生」の表象と商船学校の学生自らが抱くそれとの関係性という問題を提起し、この問題が、商船学校の歌の文化と俗謡の文化の相互関係を考える本研究において重要であることを指摘する。
  • 牧野 広樹
    2023 年 69 巻 1 号 p. 50-63
    発行日: 2023年
    公開日: 2024/10/15
    ジャーナル フリー
      1980年代以降の音楽史研究は、第三帝国期の音楽状況をヴァイマル共和国期から第三帝国期を経て第二次世界大戦後へと続く連続性というマクロ的な観点から理解しようと試みてきた。本稿は、ドイツ青年音楽運動からヒトラー・ユーゲントにおける音楽活動への移行過程をミクロ的に検討することで、この時代的連続性という観点の問い直しを試みるものである。
      従来の音楽史研究において、ドイツ青年音楽運動は第三帝国期におけるヒトラー・ユーゲントの音楽活動を準備したものとして記述されてきた。そこではドイツ青年音楽運動の活動家たちは既にヴァイマル共和国期より国民社会主義的なものとの親和性を持っていたとされており、あたかも国民社会主義的な思想を彼らが1933年以前から抱いていたかのように捉えられている。確かにドイツ青年音楽運動は、「開かれた歌唱の時間」をはじめとする活動形式と共同の音楽実践を通した共同体の形成という活動目的、そして雑誌や人材を第三帝国期の音楽活動へと継承させた。一方その継承の裏で、社会主義的な色彩を帯びた民族共同体を夢見たヴィルヘルム・カムラーの共同体理念や、フリッツ・イェーデの教育理念は切り捨てられている。彼らとは対照的に、ヴォルフガング・シュトゥンメはその教育目的を国民社会主義的な政治的・世界観的教化へとすげ替え、ドイツ青年音楽運動の枠組みを継承することに成功した。
      カムラーの社会主義的な共同体構想やイェーデの多様性を担保する教育理念が切り捨てられていることを鑑みると、ドイツ青年音楽運動はシュトゥンメによって形式的な枠組みのみ第三帝国期へと継承を果たしたが、その内実においては断絶していると評価すべきだろう。
  • 藤田 茂
    2023 年 69 巻 1 号 p. 64-66
    発行日: 2023年
    公開日: 2024/10/15
    ジャーナル フリー
  • 齋藤 桂
    2023 年 69 巻 1 号 p. 66-68
    発行日: 2023年
    公開日: 2024/10/15
    ジャーナル フリー
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