音楽学
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リヒャルト・ヴァラシェクの進化思想へのエピステモロジー的接近――ある科学テクストの基礎概念,受容,言説類型――
小川 将也
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2022 年 68 巻 1 号 p. 1-16

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抄録

  初期のドイツ語圏音楽学は対象の考察と専門用語体系の作成という二つの課題に同時に直面していた。当時の音楽学者たちにとってこれらの課題に応える意義ある方法のひとつは、隣接諸学の様々な知見を自らの知的領域に取り入れ、ひとつの科学ディシプリンとして特殊な専門知を作り上げることであった。リヒャルト・ヴァラシェクの『音芸術の始め』(1903年)はこうした音楽研究の〈科学化〉の一例である。本稿は、ヴィーン比較音楽学の最初期の試みとされるものの、現在ではほとんど読まれることのないこの著作を改めて取り上げ、主要論点の再構成、同時代受容の追跡、そして、同時代ヴィーンの音楽進化論との比較を通じた音楽学言説の型の解明を試みる。
  音楽の「起源」と「進歩」とを慎重に区別して扱い、また、C. ダーウィンやH. スペンサーらの主張を吟味するヴァラシェクの見解は、C. シュトゥンプとR. ラッハによって「リズム」起源論として単純化され、その意義を失ってしまった。ヴァラシェクと特にラッハとの間でのこの対立には、信頼に足る音楽学知とは何かというディシプリン意識の相違が表れている。すなわち、ヴァラシェクが音楽の内的起源としての「タクト」と外的起源としての「遊戯」を主張することで常に人間の行為としての音楽という視角から音楽研究の科学化を進めているのに対して、ラッハは「原初の叫び」を音楽の起源に据えることで響きとしての音楽観を強調する。さらにこの相違は、彼らが専門知としての進化論を援用する仕方とも相関している。ラッハによる〈抑圧的〉な援用は、常にE. ヘッケルの反復説を暗示することで音楽史と進化生物学との間の概念的相違を歪めている。対して、ヴァラシェクは〈保守的〉に進化生物学の知識に忠実であることで人間科学としての音楽学を構想しており、この構想は当時の自然科学指向テクストの裏面にある音楽学言説の複数性を浮き彫りにする。

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2022 日本音楽学会
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