日本・ヨーロッパなどの不況のなかで,東アジアの経済発展はいぜんとして活力をつづけ,世界経済の「成長の極」となっている。アジア経済研究所はアジア8力関(中・韓・合ならびにアセアン5カ国)と日本・米露を含む10カ国の国際I-O表を一咋年9月に完成したが,本誌ではこのなかから日・米・韓とアセアン5カ国を中心に1975-1985年の期間について国際I-O分析を試みる。東アジアの激動はとくに1985年のプラザ合意を転機として始まるが,この前の10年間でもこの大変動のための底流が着実に起こっており,この興味深い発展のプロセスが日・米経済との関連において以下に紹介される。