PLANT MORPHOLOGY
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追悼記事
田中一朗先生を偲んで
上田 健治
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2026 年 38 巻 1 号 p. 61-62

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令和7年5月3日、第7代会長(2006年〜2007年)の田中一朗先生(横浜市立大学名誉教授)が逝去されました。享年73歳。私が大学3年生の12月に研究室に配属されて以来、田中先生には公私にわたり大変お世話になりました。卒業生の一人として、先生のご業績を紹介すると共に、思い出を綴らせていただきます。

田中先生は、被子植物の花粉や、その内部に含まれる雄原細胞の細胞分化について研究され、植物生殖学分野に多大なるご功績を挙げられました。特筆すべき点は、テッポウユリの花粉からプロトプラストを単離する技術を世界に先駆けて開発されたことです(田中 Plant Morphology 2011, Vol,23, 53-59)。さらに、花粉プロトプラストを温和に破壊することによって、intactな状態の雄原細胞(雄性配偶子である精細胞の前駆細胞)を大量に単離する方法も開発されました。被子植物の花粉は、細胞壁の外側にスポロポレニンという、アルカリにも酸にも不溶の物質でできた外壁(exine)を有します。そのため、切片等にしないと内部構造が観察しにくいだけでなく、雄原細胞の生化学的解析等も困難な状況にありました。田中先生は雄原細胞の単離系を利用して、雄原細胞の遺伝的性質や細胞骨格系を明らかにすると供に、生化学的解析によって、雄原細胞が特異的なヒストンを有することを被子植物で初めて発見されました(田中 Plant Morphology 1998, Vol.10, 60-67; 2006, Vol.18, 13-18)。その後、この実験系は国内外の研究者らにも活用され、雄原細胞や精細胞が有する雄側の受精因子(GCS1、DMP9)の発見にもつながりました。日本植物形態学会では、会長職以外にも2002年〜2007年に庶務幹事、2000年〜2015年の間に通算8年間評議員を努められました。このような植物科学の進展と本学会への多大な貢献から、平成10年度に本学会「平瀬賞」を、平成22年度に「学会賞」を受賞されました。

思い起こせば、私が研究室選びで迷っていた際、田中研究室に所属していた1学年上の先輩から「自分はこの学年で一番おもしろい卒業研究をしている」との話を聞き、迷わず田中先生の研究室を志望しました。この先輩は花粉プロトプラストと雄原細胞プロトプラストを用いた電気的細胞融合実験を卒業研究の課題にされていました。先輩は学部卒業後に総合商社に就職され、現在は売上高2兆円規模を誇る関連企業の副社長に就任されています。このように、田中先生は研究職を志す学生のみならず、異なる道に進む学生に対しても、研究の魅力や醍醐味を伝える指導をされていました。

 田中先生は横浜市立大学に赴任される前に大手予備校で講師をされていたこともあり、学生の間では、非常にわかりやすい授業をされると評判でした。実際に、横浜市立大学論叢の退職記念号(第65巻、2017年)に掲載された授業アンケート(遺伝学)の自由記述欄には、「板書がわかりやすかった」、「先生の説明がとてもわかりやすかった」、「図や字がきれいで分かりやすく、見やすかった。」、「板書するの楽しい。てか授業楽しい(原文ママ)」など、同じ教職に就く私から見ても羨むほどの賛辞が並んでいます。また、プレゼンテーションの指導も大変丁寧なものでした。特に卒業研究発表会では、「原稿を暗記し、指し棒を手にスライドを指し示しながら、わかりやすく説明する」のが田中研究室の伝統でした。さらに、「真実は一つであり、実験者にしか本当のところは分からない。だからこそ、再現性を確信できるまで実験を続けなさい。」という、現在では当然となっている研究倫理の肝要さも説いてくださいました。田中先生から賜ったご指導は、そのまま現在の私の学生指導に反映させています。今でも学生対応などで困ったときには「田中先生ならばどうされるだろうか」と自問自答することも少なくありません。

田中先生はとてもお酒好きでしたが、酔って研究の話をされることは滅多にありませんでした。そのため、「真面目な学問の議論をしたい時は酔う前に」というのが学生たちの間の鉄則でした。二次会の定番はカラオケで、先生は一世を風靡したフォークソングの名曲をよく歌われていました。このようなときも、学生であった私たちは、先生からたびたびご馳走になりました。学位取得後、ようやく職を得て恩返しができるようになったのですが、その一部しか先生へお返しができなかったのが悔やまれてなりません。

今も昔も研究者を志す大学院生は、「学位取得、就職、結婚」という順序で歩むことを理想的な目標にしているのではないかと思います。しかし田中先生の場合は、「結婚、学位、就職」という順で、大学院後期課程の時に双子の愛娘様が誕生されたとのことでした。当時は奥様が家計を支えていらしたため、先生は当時のご自身を「ヒモだった」と冗談めかして笑いながら話されていました。まさに「昭和の男」というタイプでしたので、表立って愛妻家らしい言動を見せることは希でした。しかし、この自虐的なお話には奥様に対する深い感謝の念が込められているのだと拝察いたします。

通夜、告別式には、卒業生や教職員など多くの方々が最後のお別れに駆けつけました。告別式での最後のお別れの際、奥様やご親族の皆様と共に、立派に成長された3人の娘様方と8人のお孫さん方全員が大泣きされる姿が心に残っております。

田中先生から頂いた多大なる教えに深く感謝すると共に、謹んで哀悼の意を表し、心よりご冥福をお祈り申し上げます。

令和6年8月「卒業生の転職祝い」横浜駅地下にて
 
© 日本植物形態学会

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