1999 年 1999 巻 p. 1998-1-021-
「護送船団方式」とは、もっとも採算性の良くない金融機関の存在を考慮した、保護金融行政で、金利規制による十分な利鞘を保証していた。その金融規制は、ルールよりも行政指導に頼る程度が高く、金融当局は金融業界に対して店舗の認可、利子率規制などの規制に関して情報力の点で優位に立っていた。金融当局の規制は規制レントを生み出し、金融機関はレントを獲得するため、天下りを受け入れていたといえる。すなわち、民間企業が天下りを受け入れることは、レント・シーキングとして説明されうる。「天下り」慣行は、金融当局と民間金融業界の緊密な「政策ネットワーク」の一部を形成するノードで、「護送船団方式」のもとでの官民関係を象徴するものである。
本稿では天下りの実証的分析を通じて「大蔵省・日銀のゼロ・サム仮説」、「景気変動仮説」を提示する。1980年から1991年まで、大蔵省の天下りと日銀の天下りとの間には、「ゼロ・サムの関係」が見られ、ほぼ景気変動に並行して大蔵省と日銀の天下りの数が増減している。ここで、1992年以降の動きの解釈が問題となる。1992年以降、大蔵省と日銀との「ゼロ・サム関係」は維持されているが、景気変動とは関係なく、大蔵省と日銀の天下りの数が激減している。これは、レント・シーキング論からいえば、裁量的規制により生じる規制レントが低下し、「護送船団方式」のもとでの金融行政と金融業界との関係が変化した結果であると解釈できる。