抄録
ニホンジカやイノシシ,ニホンザルなどによる農作物被害,ニホンジカによる森林生態系被害,クマ類による人身事故など,野生動物と人との軋轢が,全国各地で大きな社会問題となっている.そのなかでも農作物被害(以下,獣害)は,1970年代から 1990年代にかけて急増し,2009年以降は毎年 200億円を超えている.
日本における野生動物の保全と管理は,「鳥獣の保護及び狩猟の適正化に関する法律(以下,鳥獣保護法)」を根拠として国が定める鳥獣保護事業計画の基準に従って,都道府県が定める鳥獣保護事業計画にもとづいておこなわれている.このうち,獣害対策にかかわるものとしては,有害鳥獣捕獲制度と特定鳥獣保護管理計画制度が設けられている.
有害鳥獣捕獲は,後述する特定鳥獣保護管理計画制度が確立するまでは,行政による獣害対策の中心的な手段の一つであった.この制度では,被害の有無が捕獲を実施するかどうかの判断根拠であり,その地域に生息している野生動物の個体数や生息環境の状況などの情報がないままに捕獲が実施されることが多く,地域個体群への影響評価や被害軽減効果の分析などはほとんど行われてこなかった.
このような有害鳥獣捕獲の問題点を踏まえて,1999年に鳥獣保護法が改正され,科学的で計画的な順応的管理(アダプティブ・マネジメント)を目指した特定鳥獣保護管理計画制度が導入された.この制度は,「農林業被害の軽減」と「地域個体群の安定的な存続」を目標として,適切な保護管理によって人と野生鳥獣との共生を図ることを目的としている.順応的管理の特徴は,ある時点での最新の情報によって立てられた将来予測にもとづいた計画を遂行しながら,つねに現状をモニタリングし,その結果に応じて計画の目標や内容を変えるという,フィードバックを行なうところにある.この制度により,野生動物の生息状況や被害状況などの科学的なデータを長期的に蓄積し,必要に応じて計画を修正して行政施策に反映させるということが可能になった.
では,この制度が整備されたことにより,被害状況はどのように変化しただろうか.本来なら,それまで計画的に行なわれてこなかった捕獲や集落防護柵の設置が,科学的なデータにもとづいて計画的に実施されることによって,獣害対策が効率的に実施され,被害が軽減するはずである.しかしながら,その後の被害状況は,前述のとおり必ずしも期待どおりに推移していない.
特定鳥獣保護管理計画制度の理念はすでに十分理解されている段階にあり,この制度の柱の一つである「地域個体群の安定的な存続」については,個体群動態のモニタリングなどが実施され,順応的管理が軌道に乗りつつあるといえるだろう.一方,もう一つの柱である「農林業被害の軽減」に関しては,目標設定が明確でなかったり,目標を達成するための施策が抽象的なレベルにとどまり,モニタリングや評価ができないなど,順応的管理が十分行われているとは言えない状況にある.
ここでは,これまでの獣害対策の経緯と課題について述べるとともに,1990年代後半から現れた新たな視点を紹介し,今後の被害管理について考察したい.