抄録
Charles Dickens (1812-70) の『大いなる遺産』Great Expectations (1860-1) は、主人公が人生を回想する1人称形式で描かれた小説である。この作品はディケンズの長編小説としては第13作目であり、その手法はこれより10年前に出版された『デイヴィッド・コパーフィールド』David Copperfield (1849-50) と同様のものである。しかし、主人公Pipの自己のあり方、及び内面描写や主体形成の過程に関する描写は、前作のデイヴィッドの場合に比べ、遥かに上回っているといえよう。Davidが自分の半生における様々な出来事を、あたかも傍観者の一人であるかの様に受け止め、意識的に或は無意識的に問題に関わる事を避ける人物として描かれていたのに対して、PipはDavidと違い、当時の社会的規範となる人物ではなく、様々な誘惑に打ち勝つことができないという弱い部分を持ち、そしてまた、物事の善悪を判断しているか否かは別として、内観し、行動せざるをえない人物として描かれている。
Angus Wilsonは著書、The World of Charles Dickens (1970) の中で、The self in Great Expectations came from a much deeper, more bitter, and yet finally more secure, level of his review of his own life. (1) と、ディケンズの自己と絡めてこの二つの作品を比較している。作者の自己形成が作品に及ぼす影響も十分考慮しなければならないが、本論では、自己形成に重要な役割を担う父親の存在を軸に『大いなる遺産』の主人公Pipの自己形成の過程を考察するものである。