抄録
一二七四年の第二回リヨン公会議において、ローマ・カトリック教会とビザンツの正教会の史上初めての合同が成立した。公会議の開催に先立って、ビザンツ皇帝ミカエル・パレオロゴスは合同を両教会の平和として提示し、総主教や高位聖職者の同意を求めたが、一部の反対派はラテン人を異端者と呼び、ミカエルの望む合同は魂を脅かす過ちの平和であると主張した。本稿の目的は、彼らの口とペンから発せられた、この特異な言説の意味を解き明かすことである。具体的には、まず、そうした言説の担い手と性質を現存する関連テクストの分析から明らかにし、次いで、それがビザンツ社会において広範な影 響力を持ちえた要因を、九世紀から一三世紀後半にいたるまでの、ビザンツ帝国と西欧世界の関係の歴史から把握することを試みる。この二組の考察は、リヨン教会合同が、帝国の存続よりも信仰の護持に重きを置く、末期ビザンツ特有の政治思想の発展を促したことを示すであろう。