洛北史学
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論説
真言宗の門流分化と後七日御修法
泰地 翔大
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2021 年 23 巻 p. 29-42

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抄録
本稿では後七日御修法(以下、御修法)の分析を手がかりに、平安期真言宗における諸門流の分化とその意義を論じた。御修法は東寺長者―東寺定額僧により勤修される、真言一宗の基幹法会と言うべき密教修法であった。しかし、一二世紀の東寺長者は職権の範囲内で定額僧の人事に恣意性を発揮しており、自身の弟子をはじめとする非定額僧を御修法の修僧として多数動員していた。これらを通じて、長者は自派本位の御修法運営をおこなっていた。このことは、御修法の核心たる作法次第の相承および門流の成立・分化と連動していた。御修法の作法次第は長者加任の時点で現任一長者から相承することが原則であったが、一一世紀中後葉以降は師弟間で共有されるようになり、口伝が形成された。一二世紀前半には口伝の細分化と固定化が進み、西院流・勧修寺流・保寿院流など体系的な口伝を相承する諸門流が成立した。口伝に基づく御修法の勤仕は世俗側にも許容されていた。御修法は真言一宗の基幹法会という体裁を維持しながらも、諸門流の存在を前提とする運営形態へと変質したと言える。そのことは、国家体制の一翼を担う真言宗僧団の変容と評価しうる。
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