抄録
本稿は、徳川幕藩体制の支配の正当性と儒家神道及び朱子学との関係性を、世襲カリスマを支える〈血の資質〉Gentilcharismaという尺度から宗教社会学的に論じようとするものである。本稿ではまず、マックス・ウェーバーの理念型を検討しつつ、身分制的、官僚制的支配において〈血の資質〉が持つ対照的な意味を確認し、中国宋代において朱子学が持った〈血の資質に対する評価〉を浮き彫りにする。その上で、伊勢神宮外宮の度会延佳(1615–1690)の神道説における、「日用」と「宗廟」という背反する神道観に着目する。民衆の日常に神道の領域を見出そうとする「日用」と、皇室の祭祀の対象物としての「宗廟」の関係性を巡る延佳の思惟を通じて、彼の神道説における〈血の資質〉に対する両義的志向を明らかにする。以上の議論は、日本近世における朱子学と神道との習合を可能ならしめた宗教的状況および両者の〈血の資質〉に対する志向の相違を明らかにすることに繋がる。最後に、〈血の資質〉に対する両義的な志向を、徳川幕藩体制及び近代天皇制における〈血の資質〉との関係性で捉える為の視座を提示する。