宗教と社会
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20 巻
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論文
  • 冨澤 宣太郎
    2014 年 20 巻 p. 1-16
    発行日: 2014年
    公開日: 2017/07/19
    ジャーナル フリー
    本稿は、徳川幕藩体制の支配の正当性と儒家神道及び朱子学との関係性を、世襲カリスマを支える〈血の資質〉Gentilcharismaという尺度から宗教社会学的に論じようとするものである。本稿ではまず、マックス・ウェーバーの理念型を検討しつつ、身分制的、官僚制的支配において〈血の資質〉が持つ対照的な意味を確認し、中国宋代において朱子学が持った〈血の資質に対する評価〉を浮き彫りにする。その上で、伊勢神宮外宮の度会延佳(1615–1690)の神道説における、「日用」と「宗廟」という背反する神道観に着目する。民衆の日常に神道の領域を見出そうとする「日用」と、皇室の祭祀の対象物としての「宗廟」の関係性を巡る延佳の思惟を通じて、彼の神道説における〈血の資質〉に対する両義的志向を明らかにする。以上の議論は、日本近世における朱子学と神道との習合を可能ならしめた宗教的状況および両者の〈血の資質〉に対する志向の相違を明らかにすることに繋がる。最後に、〈血の資質〉に対する両義的な志向を、徳川幕藩体制及び近代天皇制における〈血の資質〉との関係性で捉える為の視座を提示する。
  • 藏本 龍介
    2014 年 20 巻 p. 17-32
    発行日: 2014年
    公開日: 2017/07/19
    ジャーナル フリー
    スリランカやタイといった上座仏教徒社会においては、「近代化」と総称されるような社会変動に伴い、在家者のプロテスタント化(主体的な仏教への関わり)と、それに伴う出家者の周縁化が指摘されてきた。それに対し本論文では、ミャンマー(ビルマ)最大都市ヤンゴンを事例として、出家者が瞑想指導や教義解説といった仏教的なサービスを積極的に展開することによって、新たな装いのもとにその社会的影響力を増大させていることを示す。そしてその背景として、ウェーバーの「使命預言/模範預言」という概念を手がかりとしつつ、上座仏教にはキリスト教やイスラームとは異なる聖職者/一般信徒の関係があること、つまり在家者のプロテスタント化が進展・深化することが、かえって出家者の重要性を高めるという構造があることを指摘する。こうした作業を通じて、上座仏教徒社会における近代化のインパクトの複層性を浮き彫りにすることが、本論文の目的である。
  • 山本 達也
    2014 年 20 巻 p. 33-46
    発行日: 2014年
    公開日: 2017/07/19
    ジャーナル フリー
    本稿は、ネパールの首都カトマンドゥにある世界遺産の仏教聖地、ボーダナートで土産物として販売される、チベット難民が歌うマントラCDの商品化過程を対象とするものである。現在、欧米やアジアからやってくる観光客に癒しやリラックスを与えると言われるマントラCDがボーダナートで制作されている。70年代以降、欧米を中心に消費されているマントラCDの土産物としての商品化は、観光地に暮らす人々にとって儲けのチャンスである。本稿では、マントラCDの商品化という、様々な参加者が莫大な経済的益を得、それを通じて彼らが世界市場への展開を試みる観光地のビジネスを「下からのワールド・ミュージック化」と捉える。その過程に様々な思惑をもって参与する複数のアクターの実践や意味づけに着目することで、宗教ツーリズムの進展の中で新たに見出された宗教実践を提示するとともに、チベット難民が暮らす現在の複雑な社会状況を明示することを目的とする。
  • 高橋 沙奈美
    2014 年 20 巻 p. 47-60
    発行日: 2014年
    公開日: 2017/07/19
    ジャーナル フリー
    社会主義という独自の近代化を経験した、ロシアにおける宗教研究の発展についての考察は、宗教学という制度や宗教概念を脱構築するための重要な事例研究の一つである。ソヴィエト・ロシアでは、宗教の社会的役割を全否定し、宗教の克服を課題とする無神論が国是とされた。しかしそのようなイデオロギーのもとでも、宗教に対する学術研究は行われ、戦後社会においては「科学的無神論」として理論的に整備され、組織化されたのである。本稿では、宗教研究の組織的拠点として1932年に設立され、現在も活動を続ける「国立宗教史博物館」の活動を軸に、宗教・無神論研究の発展を論ずる。この博物館の設立過程、戦前の活動内容、戦後の宗教研究が置かれた文脈の変化と博物館の地位の低下、そして戦後の博物館におけるフィールドワークの成果の一端を分析することで、ソヴィエト・ロシアにおける宗教・無神論研究が近代の欧米宗教学を立脚点としながら、その実証主義的な側面だけを著しく発展させたことを指摘する。
  • 河野 昌広
    2014 年 20 巻 p. 61-71
    発行日: 2014年
    公開日: 2017/07/19
    ジャーナル フリー
    戦後の四国遍路の歴史をたどると、モータリゼーション以降、バスや自家用車などの車による巡拝が中心であった。しかし1990年代から「歩き遍路」が増大し、四国遍路ブームの主な担い手となっている。そのような中で、旧遍路道とよばれる、「歩き遍路」用の遍路道を復興・再生させる動きが四国各地で見られている。モータリゼーションにともない、政策による道路整備がすすみ、新たな国道、車道が整備される中で、旧来の生活道であった山の道などの中には次第に人通りも無くなり、獣道と化して消滅したものもあった。ところが「歩き遍路」の増大により、車の道から歩くための道への要請が高まり、失われた道の「再発見」が促されることになった。本稿では「柏坂遍路道」と「あしずり遍路道」の事例をとりあげ、遍路道の再生について論じる。道は元来、使われなければ廃れていくものであり、一方で、使われれば再生する。しかし再生するためには一定の条件が必要で、本稿の事例分析を通して導出されたのは、遍路社会の要請、物理的資源(道標などの装置)、記憶資源(道に関する人々の記憶)、人的資源(道を再生させる担い手の存在)、であった。
研究ノート
書評とリプライ
2013年度学術大会・テーマセッション記録
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