イノベーション・マネジメント
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研究ノート
東南アジアの農林水産業に従事する障害者とイノベーション
佐野 竜平
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2024 年 21 巻 p. 149-159

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要旨

高度な経済成長を見せている東南アジアにおいて、多くの障害者が農林水産業に従事していると言われている。企業や団体による障害インクルーシブな事業に対して現地の投資家や消費者が関心を高めている中、農林水産業における慈善に留まらない障害者の役割の解明が必要となっている。一方、障害者はそのユニークな経験や生活スタイルから固有の知識である暗黙知があるとされるが、そこに焦点を当てた研究結果が集約されているとは言い難い。そこで、東南アジアの農林水産業に貢献する障害者が持つ暗黙知に関する調査を行い、イノベーションの源泉の検証を行った。障害者の事例を丁寧に掘り起こし、バリューチェーン上で現地に生きる障害者の暗黙知と各事業の主な論点の関係を明らかにする試みである。さらに分析の詳細を考察し、障害者の持つ知識の強みを明確にしつつある。本研究ノートでは、事例分析のポイント、カテゴリー等を整理した上で事例の概要を述べ、今次研究で明らかになった障害者の暗黙知と持続可能な農林水産業の要素を論じ、今後の整理につなげている。

Abstract

In Southeast Asia the economy is booming and it is estimated that at least one-third of individuals with disabilities are employed in the fields of agriculture, forestry and fisheries. Since local investors and consumers are showing an increasing interest in businesses that are inclusive of individuals with disabilities, there is a need to understand the role of persons with disabilities in these industries beyond charity. Moreover, there is a belief that individuals with disabilities must have tacit knowledge based on their unique experience and lifestyle. However, it is challenging to locate comprehensive research that focuses on this unwritten and informal knowledge. Therefore, this study aims to demonstrate the tacit knowledge held by individuals with disabilities contributing to primary industries in Southeast Asia and assess its significance as a source of innovation. The study examines case studies involving individuals with disabilities, emphasizing the connection between their tacit knowledge, which is deeply rooted in their local engagement along the value chain, and the main challenges faced by businesses. Furthermore, a detailed analysis was carried out to showcase the power of knowledge of persons with disabilities. This research note offers an overview of the case studies, outlining the key points of the analysis and applying categorization. The tacit knowledge of individuals with disabilities, and its relevance to sustainable agriculture, forestry, and fisheries, is discussed and the groundwork for future research in this field is laid.

1.  はじめに

アジア太平洋地域では、約4億7千2百万人もの就労可能な段階にある障害者がいると推定されている。身体障害、知的障害、精神障害、そして新たな障害として自閉症スペクトラム症(ASD)、注意欠陥・多動症(ADHD)、限局性学習症(LD)など発達障害を持つ障害者である。就労が障害者やその家族にどのような影響を及ぼすかを理解するには、さまざまな要因を考慮する必要がある。

この文脈には、高齢化の急速な進展に加えて、食料安全保障や生計および経済的自立に関連する深刻な問題も含まれている。世界の就労者の3割近くが農林水産業に従事しており、大部分がアジアに集中している。ポストコロナ禍のアジア各国にとって、農林水産業は経済成長と発展に不可欠な要素と言えよう。世界銀行によれば、農林水産業は貧困削減だけでなく、食料安全保障の向上にも寄与している。

東南アジアの開発途上国や中進国には、長い歴史を持つ農林水産業が存在している。一部の食材はこれらの国々から輸入されていることから、日本でも馴染み深いものとなっている。現地ではインターネットやスマートフォンの普及もあって食の安全と衛生への意識が高まっているが、生活様式の変化は激しく、農林水産業の新たなる展開には課題が残っている。

東南アジアにおける障害者の労働および雇用と農林水産業との関係を見てみると、障害への理解が少しずつ進展しているものの、国によってその施策と実践には隔たりがある。農林水産業に関する障害者の労働及び雇用関連施策は概して未整備である一方、その実践には斬新なアイデアが溢れている。障害者が農林水産業に従事する際、教科書に書かれておらず学校で学ぶわけでもない、いわゆる暗黙知を活用している点が要因の1つである。イノベーションの源泉であるユニークで個別の知識や経験に基づいた工夫が活用されており、生計を立てる手段として魅力ある取り組みが散見されている。

本稿では、先行研究をレビューしつつ東南アジアにおける障害者の農林水産業に関する概況に触れる。続いて実際の現地調査結果を踏まえて、障害者の経験に基づく暗黙知がどのように応用されているか具体例を紹介する。その上で、障害者による暗黙知活用の重要性と課題について提言を整理する。

2.  東南アジアの農林水産業に従事する障害者の課題

障害当事者団体の国際的なネットワークである国際障害者同盟(IDA)は、表1の点を改善できれば、農林水産業の文脈で障害者の生活の質が向上すると述べている(IDA, 2018)。一般的な意味での農林水産業とは、生産現場で始まり、消費者の食卓で終わる集団的な事業活動である。具体的には、調達、生産、加工、包装、配送、流通、販売、マーケティング、そして最終的な消費者に届けるための付加価値の推移、バリューチェーンを含む幅広い活動を指す。

表1 障害と食料安全保障:未完の政策課題

バリューチェーン上でインクルーシブな雇用と収入創出の機会を支援すること
技術、起業家精神、ビジネススキルを提供し、障害者の生計拡大を図ること
テクノロジーを応用させ、障害者に特有の要件を充足させること
農業普及サービスを強化し、農業を行う障害者のスキル向上の必要性に対応すること
林業や漁業を含む農林水産業全般において、事故予防を促進すること
食料安全保障への介入を通じて、栄養関連の障壁を減少させること
農林水産業を進める意思決定プロセスにおいて、障害者の完全な参加を促進すること

(出所)IDA報告を一部改変、筆者作成。

アジア開発銀行(ADB)の研究(Woodhill, 2016)によれば、「アジア地域の農林水産業は、長期的な経済構造の変化に対応し、セクター内の雇用を維持する重要な要因」とされている。この研究は、農林水産業が持続可能な開発を推進し、いわゆる世界的なアジェンダに再び焦点を当てる要素であると主張している。また、新興国において農林水産業が特に重要である理由として、GDPへの大きな貢献や輸出収益の主要源であり、多くの人々を雇用していることを挙げている。また、同研究は、生産性向上や起業を目指す農家が、経済全体と農村地域の発展に貢献するとも述べている。これは、効率的で生産性の高いシステムを構築し、何百万人もの人々が貧困から抜け出し、食料不安を克服する可能性を示唆している。小規模の起業家や生産者、特に「障害者による貢献は、農林水産業の推進という点で重要な役割を果たし、自然災害や人為的要因(例:森林伐採、都市化)といった社会課題にも対処する」と指摘している。

確かに障害当事者が地域社会と経済に対して積極的な貢献をする例が増えつつあり、農林水産業の現場への参加と有効性に対する社会的認識をさらに向上させていかねばならない。しかし、障害者が直面している課題は依然として存在し、その声はしばしば既存の主要プレーヤーによる騒音に埋もれてしまっている。同研究は、「障害者を含む小規模生産者や零細企業は新たな機会にアクセスできる一方で、依然として単一の購買者への依存、限界収益、組織的能力の不足や制約を克服しなければならない」とも述べている。

東南アジアの農林水産業に従事する障害者の暗黙知に焦点を当てた研究を進めていく中で、明らかになった課題は以下のとおり集約される。

まず、多くのコミュニティで障害者が農林水産業の重労働に従事できないとの誤解が広がっており、十分に活躍できないと見なされている点である。この誤解の一部は、障害者の労働および雇用環境の整備以前に医学的な面から見た障害に起因しており、その努力が正式な経済活動として評価されていないという考え方につながっている。

次いで、東南アジアの開発途上国に生きる多くの障害のある労働者は正規の雇用を受けておらず、自営業や自給自足の家族労働に依存せざるを得ない点である。農村部には、農林水産業の様々な段階で活動している障害者がいるが、園芸や食品加工などを通じて自身と家族を支える機会として従事している場合が多い。未だに誤解や偏見に直面している障害者の中には、そもそも軽度の発達障害等を背景とした就労上の課題が認識されておらず、必要な支援に至らないまま従事することを断念する者もいる。

さらには、農林水産業における障害のある女性の認知度が低い点である。国連食糧農業機関(FAO, 2022)によれば、開発途上国の農業労働力の半分近くを占める女性は、資源、教育、金融サービス、労働市場へのアクセスに制約を抱えていると指摘されている。東南アジアは日本に比べ女性の社会進出が進んでいるとされるが、実際に農林水産業における女性の役割はこれまで以上に重要なものとなっている。なお、障害のある女性は、障害のある男性よりも2倍の確率で雇用を受けられないという調査結果もある(ILO, 2007)。

3.  問題意識と事例分析のポイント

これらの課題に対して、本研究で提示する障害者の暗黙知の活用事例は後で触れる提言の根拠となっており、東南アジアの農林水産業に従事する障害者の役割について新たな洞察を提供している。特に図1のサイクルは、東南アジアの特定の国における障害インクルーシブな農林水産業の成果に焦点を当てた分析の基盤となっている。このサイクルは、4つの主要な要素が連携し合っている。同サイクルに基づく障害者が持つ知識・経験の活用は、生活の質の向上と持続可能な生計を確保するために欠かせない。イノベーションを包含する障害インクルーシブな農林水産業の事例が増えれば社会課題の解決に貢献すること可能と推察するが、具体的にどのような知識・経験を持っているかという点に言及している研究は多くない。

図1 障害者による持続可能な農林水産業の要素

(出所)筆者作成。

現地関係者の協力を受けて一連の初期訪問を行った後、本研究の対象となる障害者が参画する農林水産業の事例分析に必要な質問票を作成した(表2)。次いで、2回目の現地視察を通じて同じ質問票をテスト・評価し、修正した。同質問票は7つの項目で構成されており、分析の基礎となる概念的なフレームワークとなっている。事例の重要な要素を浮き彫りにすることを目的に、対面インタビューと現地での観察が行われた。

表2 事例分析のポイント

項目 論点・明らかにしたこと
個人情報 障害の種類
初期投資、融資へのアクセス
借金の原資
流動資産と生活様式
自己認識 対象となる障害者の自己認識
現在の生活状況に対する満足度
過去と現在で受けたサポートと種類
総合情報 農林水産業の種類
バリューチェーン上の役割
社会的貢献
持続可能性 従事している農林水産業の経済性
利益および競争力
アクセシビリティ 支援機器の使用、環境整備等
担当業務を行う際に必要な支援機器の確保手段
観察 培った知識・経験を実際に発揮している場面
その他補足 現地視察の情報以外の関係者による追加コメント

(出所)筆者作成。

また、東南アジアの障害者が従事する農林水産業の事例を大きく表3の3つに分け、分析の論点を予め整理していった。本稿では、特にオン・ファームについて論証していった。

表3 事例のカテゴリー

種類 説明
オン・ファーム 現場で行われ、障害者が収入を得ている活動(家庭用の農場または雇用先の農場であるか否かにかかわらず、障害者が実際に従事する労働および雇用) 栽培作物、繊維、畜産、園芸など
オフ・ファーム 現場から離れてはいるが、障害者への収入を伴う農林水産業関連の活動 裏庭または屋上での園芸、ガーデニング、農産物加工、包装その他付加価値を付ける活動
その他 農林水産業に関連した活動ではあるが、収入を得てはいない活動(有給労働以外の活動) 家庭菜園など自給のみを目的とした活動

(出所)筆者作成。

4.  障害者が暗黙知を活用している事例の概要

本稿では、まず東南アジアの障害者が従事する5つの農林水産業の事例のみを紹介する。確かに暗黙知を活用している障害者が安定した収入を得ており、障害者とその家族による生活の質が明らかに向上している事例である。障害者とその家族の食料安全保障を向上させる一環となっており、障害者が社会的に参加し活躍していることが伺える。

表4にあるように、各事例には環境に合わせた独自のアイデアが共通して見受けられる。一方で、バリューチェーンの透明化が求められるところ、東南アジアの農林水産業に従事する障害者が持つ暗黙知の活用には、表5のように家族を中心としたコミュニティのバックアップが大きな要素となっている。掲げた事例は障害者が持つ暗黙知が生計を立てる一助となっているが、今後も具体的な就労支援施策がない場合、表6にあるように事業に欠かせない主な論点(原材料、不動産、労働力、資本、市場動向)に課題やリスクがあることを確認できる。

表4 東南アジアの障害者が農林水産業において暗黙知を活用した事例の概要

事例1:自ら制作した補助具を利用して畜産業に従事するA(ベトナム)
幼少期に事故でAは下半身に障害を持つようになった。就労期に入ると、それまでの人生経験を活かし、自ら前進・後退できる移動用の「木製支え棒」を制作した。それによって移動力を向上させたが、その背景には現代の松葉杖や車椅子ではAのニーズを満たせなかったという点が挙げられる。やがて、Aは養豚場を経営し、日々の養豚業務を徹底的にこなすことができるようになった。豚の健康管理に非常に注意を払い、豚舎の清掃、餌や薬品の管理、食事の計画などを手がけるようになった。豚の需要に応じて業者に販売し、生産から営業、販売までのすべての業務をAは独力で遂行できるようになった。ビジネスを拡大する際のリスク管理を考慮し、畜産業の対象拡大を検討している。
事例2:輸出用商品の生産に関わるB(フィリピン)
最初に4人で始まった釣り用具の製造会社に、Bは勤務するようになった。やがてこの会社は、Bを含む聴覚障害のある5人の従業員を雇用し、総勢40人以上の障害者が働くようになった。工場で働くすべての従業員は女性で、手話を使ってコミュニケーションを取った。Bの仕事は、1日に20個から200個の釣り用具を生産するというノルマがあるものだった。その複雑さはデザインによって異なり、集中力が求められた。フレックスタイム制度(6:00から22:00まで)が導入され、従業員が希望すれば追加の収入を得ることができるようになっている点はインセンティブとなった。会社方針に、障害のある従業員の生活を向上させること、より働きやすい環境を提供することが採用されており、同社はやがて国際市場に製品を供給するようになった。具体的には、米国の販売会社と契約を結んで製品を輸出する一方、利益の一部をフィリピン国内の障害児学校支援に使用するようになった。
事例3:アートとデザインで生計を立てるC(ベトナム)
幼少時に小児麻痺にかかったCは大学で獣医学を専攻していたが、職に就くのに苦労した。Cの父親は蚕の飼育および絹織物業を営んでいた。親の経験から学びつつ、蝶の管理が比較的容易であることに気付き、自身の活動の出発点とした。その後、C自身の障害を考慮しながら、自宅の庭で蝶を捕まえ、プラスチック容器で飼育を始めた。初めはプラスチック容器を使用していたが、すぐに壊れてしまうことに気がついた。そこで、安全な囲いを独自に作り上げ、管理するようになった。障害のない従業員数名と共に蝶のアートと手芸に取り組むようになり、持続可能な事例となった。
この事例のユニークな点は、創造性に富んだ付加価値の高い製品を提供する一方で、生産コストが非常に低いことである。ベトナムの特徴を活かして、友人、家族、地元の学校や大学の教師など、地域社会とのネットワークを通じたマーケティングが成功を収めた。ビジネスの基盤が着実に築かれた背景には、幼少時から得てきた知識の積み上げがある。
事例4:農業資材・園芸用品の販売と農園管理を行うD(タイ)
感染症により視覚に障害のあるDは、農村部で農業資材や園芸用品、具体的には肥料、農薬、種子、農機具などを販売している。同じコミュニティ仲間から得られる非公式な情報を駆使し、Dは農産物市場の状況に合わせてビジネスを展開している。農作物の需要と予想される天候に基づいて、どの作物を植えるかを決定しているのはDである。Dの強みは、視覚障害者向けの特別な時計や計算機などの装置、点字機などの支援機器を利用した経験から説明できること、そしてそれを実際にビジネスとして提供している点である。
Dが管理している5ヘクタール以上の土地では、バナナやライチなどの果樹が育てられている。D自身が整枝や剪定などの作業に関与したことで、果物に触れる高さを保つことの重要性を身をもって学んだという。Dは触覚から果物の完熟度や収穫時期を見極め、販売価格を最大化するための直感を磨いており、地元からも信頼されている。さらに、木の葉や樹皮を触って果樹の健康状態を確認することもある。
事例5:義足の代用物を見出したE(ベトナム)
Eは、20年以上前に血液感染症で両足を切断した。Eは日常の活動を4脚の小さなプラスチック椅子を使用して行い、農場内での移動には三輪車を利用するようになった。Eは鳩用のケージを設計したが、座ったままでも最も高い位置から鳩を管理できるような工夫がその背景にあった。鳩は生後1カ月でレストラン向けに出荷されるか、生後5~6カ月で繁殖用として販売される。Eは協同組合の一員として、鳩の飼育に関する管理と日常の世話について指導を受けた。Eによれば、鳩は鶏と比較して病気にかかりにくく、障害者にとっても参加しやすい。鳩の飼育は収益性が高く、このビジネス形態を続いていく見込みとなっている。

(出所)対象者へのインタビューに基づき、筆者作成。

表5 事例別のリソースと知識の源泉

事例 主な活動 不動産 資金源 知識の源泉
1 養豚 家族所有 家族支援、近隣借入 家族での蓄積
2 釣り用具 財団法人所有 銀行借入、貯金 他社での研修
3 蝶の手芸品 家族所有 家族支援 フォーマル教育、独学
4 農機・用具 家族所有 家族支援、貯金 フォーマル教育、職業訓練
5 養鳩 所有 協同組合 協同組合

(出所)対象者へのインタビューに基づき、筆者作成。

表6 持続可能な事業への課題・リスク

事例 主な活動 原材料 不動産 労働力 資本 市場動向
1 養豚 維持 限定 限定 限定 維持
2 釣り用具 限定 維持 維持 維持 限定
3 蝶の手芸品 維持 維持 維持 限定 限定
4 農機・用具 維持 拡大可能 限定 限定 維持
5 養鳩 維持 維持 維持 限定 維持

(出所)対象者へのインタビューに基づき、筆者作成。

5.  ディスカッション

東南アジアの農林水産業における障害者がイノベーションのきっかけになっていることを検証してきた。社会に還元するためのさらなる投資や支援を提供することができれば、それは障害者の暗黙知の蓄積や共有につながり、綜合的な社会発展を維持・向上させることになろう。以下、主要な論点について述べていく。

5.1  障害インクルーシブな農林水産業

本研究の事例分析から分かるように、農林水産業に従事する障害者の暗黙知がこの分野で果たす役割を無視することはできない。農林水産業は、特に農村部と都市部の開発において包摂的であることから、障害の有無を問わず多くの恩恵を受けるであろう。アジアでは食料安全保障問題への取り組みにおける官民協力の強化が進められており、農林水産業では包括的に取り組みが展開されていると付け加えている。インクルーシブな農林水産業が正しく行われていれば、障害者に対し効果的な所得機会を提供することになる。

しかし、社会に食の安全と安心を保証することができるということを過度に強調することはできない。技術の進歩と急速な都市化のための発展にもかかわらず、農林水産業が人々の生活の中で重要な要因であり続けることは、誰もが認める必要がある現実である。障害を持つ農林水産業の実践者にとっては、収入の増加、生活の質の向上、多様な生計の源、そして彼らの能力、スキル、創造性、そして社会全体が恩恵を受けることができる知識を蓄積しているという点で、後押しになる可能性がある分野でもある。

障害者が自立して質の高い仕事をし、自立した生活を送る権利など、バリアフリーで包摂的な社会に対する障害者の権利を強調することが重要である。2022年に国連の障害者権利委員会で採択された「障害者の労働及び雇用の権利に関する一般的意見第8号」パラ26では、次のように明記している:「公正かつ良好な労働条件を得る権利は、機能障害、性別、年齢、文化的・言語的背景、移住の有無、正規・非正規部門での雇用、自営業、農業部門や農村・遠隔地での雇用にかかわらず、あらゆる環境における全ての障害のある労働者の権利である。さらに、公正かつ良好な労働条件に対する権利は、いかなる状況においても、障害を理由に最低賃金を下回る報酬が正当化されないことを要求している」。

要約すると、障害者は、自分自身の生活と食料の安全を確保し、社会に十分に参加することができるように、自分の可能性を最大限に発揮して働く機会を与えられることを含めて、働くあらゆる権利を持っている。このような権利を持つということは、少ない労働に対して同一賃金であるということではなく、むしろ、同一労働と同一賃金を見つける機会を持つことを意味している。

すべての個人の違いを受け入れる社会こそ、インクルーシブな社会である。それは、アクセスのよいスロープや柔軟な時間帯の対応だけを好む社会ではない。社会がバランスよく機能するために、農林水産業を営む障害者が、多様な適性・興味・スキルを持って個性を発揮し、様々な興味のある分野で自由に活動し、社会全体のために価値ある貢献をしていくことが必要である。

5.2  障害者の暗黙知

障害インクルーシブな社会では、障害を持つ人の暗黙知への真の理解と受け入れを前提に、農林水産業で活躍する障害者に対する集団的な考え方をレビューする必要がある。東南アジアにおける農林水産業の事例が示すように、自分の価値を証明する機会を与えられた障害者は、創意工夫の溢れる取り組みを実行している。暗黙知を元に成功している良い例であり、同情されたり、可哀想な者として見られたりするべきではないことを世界に示している。

そこで、事例分析と調査結果に基づき、障害者の能力、暗黙知、経験と農林水産業との間の補完的な関係を、相互に関連した以下の構成要素で確認した。

まず、障害者の能力、知識および経験が、生計を維持するために利用されている点である。時代遅れの信念に反して、障害が生産性の低下、製品やサービスの質の低下、または効率の低下をもたらすというのは事実ではない。適切な支援機器の使用、特別な仕掛け、障害特性に配慮した生産プロセス、またはアクセスしやすい環境を持つことは、障害者が直面する社会的な障壁を克服するためのアプローチである。すべての課題の中で最も困難である障害者への理解を妨げる障壁が続く場合、引き続き障害者を特別視し、排除することになる。だからこそ、家族や社会の強い支援を受けながら、障害者が自分の能力やスキルを発揮するための様々な機会を提供できるような法施策・実践を進めることが、社会にとって非常に重要である。

本研究から出てきた次の明確な点は、農林水産業における取り組みが、障害者のユニークな経験に基づく暗黙知の形で広がりを見せるということである。自営業者の例に示されているように、障害者による取り組み上の工夫それ自体が、農林水産業に関連した技術的革新の源である。また、手作りながらユニークな製品や設計に採用された創造的で革新的なアプローチは障害者自身によるものであったことも証明された。実際、より良い変化を起こそうとする自発性と決意、研修プログラムに参加して新しいことを学び続けることで、十分な技術力と管理能力を発揮している自営業を営む障害者がいる。その臨機応変さを証明するかのように、特別な適応策や革新的なアプローチやデザインを開発し、成功を収めてきた。確かに、障害を持つ農林水産業の実践スキルは様々である。障害のある経営者が非常に優れた経営能力を発揮しているケースもあれば、蝶の手芸のように、事業者の創造性が際立っているケースもある。いずれにしても、各事例は、それぞれのニーズに合った様々なレベルの成功を経験している。

従業員として農林水産業に従事する障害者について、高い信頼性、仕事の定着性、生産率や品質があることも提示されている点も見逃せない。例えば、釣り用具事業では、聴覚障害のある者が大半を占めるが、障害のない少数の労働者と同等かそれ以上のパフォーマンスを発揮していたことが明らかになった。技術力と創造力に加えて、手話を通じたコミュニケーションの良さで全体が管理されていたことからも明らかである。また、知的障害を持つ従業員が養豚場の維持管理に関わっている事例では、豚の病気や死亡率を減少させた。農林水産業における障害者の事例をよく見てみると、重大な懸念や課題に直面した場合のほとんどが、破壊的な気象条件や病気、疫病などの予測不可能で制御不能なリスクによるものである。障害のある人とない人の両方に影響を与えるものであることに注意することは興味深いことである。遭遇する危機がどのようなものであれ、障害の問題とは何の関連性もないことが多い。無論、このような予測不可能な自然発生的な苦境も、適切な情報を発信し、十分な普及支援や技術支援があれば、回避することも可能である。

東南アジアの農林水産業に従事する障害者の社会貢献という点についてはどうだろうか。自営業者であろうと従業員であろうと、労働および雇用の安定と定期的な収入が提供されることで、十分に確立されていると言える。安全な雇用や効率的に運営されている事業を持つことで、障害者は、自立しながら安全で生活の質の高い生活を送る機会を得ることができる。厳密には、東南アジアの農林水産業は、障害者の持つ知識や経験に頼るだけではない。有益で新しい仕事を学びたいと考えている障害のある従業員がいる場合に特に有効である。事業を拡大し、多様化することを可能にし、同時に仕事を必要とする障害者のための正規雇用を促進し、その収入を増加させ、特定のリスクを減らすことができるからである。いずれにせよ、成功している東南アジアの農林水産業の事例は、障害者が社会参加の場を獲得し、家族の結束と支援を強化する機会となっている。また、家業の舵取りをしている障害者が、障害者団体のリーダーになったり、地域社会の長として尊敬されたりする機会も与えられていることを示している。

6.  まとめ

本研究ノートでは、障害者が持つ暗黙知と「働きやすい環境、コミュニケーション、態度、政策、規制にポジティブな影響」のつながりを中心に周辺情報を整理した。障害者の視点から見れば、様々な顧客、従業員、雇用主、起業家等が関わるのが農林水産業である。障害者の就労機会とイノベーションを模索する際、障害者の尊厳と理解向上につなげるためにも、暗黙知の掘り起こしは重要な意味を持つといえる。特に東南アジアの開発途上国のように、就労支援施策・制度が概して未整備な事情だからこそ、障害者が自らのユニークな知識と経験を活用しようとする傾向を確認できた。

また、イノベーションを創出する障害者の暗黙知を包含した取り組みをどう増やしていくのか、東南アジアの農林水産業の位置づけを今一度認識することが重要である。障害の有無に関わらず、誰もが「包括的な農林水産業の発展に資する障害者の暗黙知」を綿密に議論し、さらなる詳細な研究の必要性が示唆されている。表7は、農林水産業に従事する障害者の成功事例に基づいており、今回の分析結果に基づいた未来への提言である。

表7 農林水産業に従事する障害者の暗黙知を活用する未来への提言

障害者が従事する農林水産業を強化するため、政官産民のネットワークによる事例を確立・実施すること
農林水産業における生産的資源へのアクセスを改善するため、障害インクルーシブな農林水産業関連の公的な施策を策定すること
農林水産業における障害者の労働および雇用の機会を増やし、ビジネス環境と顧客サービスの向上が促進されること
障害者が農林水産業に効果的に関与できるように、障害者によるアクセスおよび利用可能な技術・インフラへの投資が行われること
農林水産業に従事する障害者が金融における信用を求める際、金利など合理的な条件を提示するよう金融業界を促すこと

(出所)筆者作成。

参考文献
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  • 佐野竜平(2022)『東南アジアにおける農林水産業と障害者が持つ暗黙知の実際』障害福祉NEWS、日本障害者リハビリテーション協会。
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  • 鈴木清覚・佐野竜平編著(2022)『循環型人材確保・育成とベトナムとの国際協力』クリエイツかもがわ。
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  • Woodhill, J. (2016) Inclusive Agribusiness: The State of Play Background Working Paper, Asian Development Bank.
  • World Bank (2023) Food Security Update | World Bank Response to Rising Food Insecurity.
 
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