歯車市場において、顧客は多品種少量生産を求める。短納期の多品種の製品提供を低コストにて実現するという本来矛盾する課題にあえて挑み、その課題解決をはかる企業を捉えた。本稿では、内部資源、組織外部のコンテクストや時間軸を考慮しつつ、企業がどのような戦略的な意思決定のもと、ビジネスシステムを変革することで、オリジナルのビジネスシステムをいかにつくったかを明らかにしようと試みた。過程追跡法の視点から、経営者の意思決定にまで立ち返ることで、ビジネスシステムの変革を成し遂げ、持続成長する企業の成功要因とその因果メカニズムを解明した。
In the mechanical gear market, customers demand high-mix, low-volume production. This is a company that has dared to take on the inherently contradictory task of providing a wide variety of products with short delivery times at low cost. In this paper, we attempt to clarify how the company has created an original business system by transforming its business system and the kind of strategic decisions on which this was based, taking into account internal resources, external contexts and time horizons. By revisiting the decision making process of leadership from the perspective of the process tracing method, we identify the success factors and causal mechanisms of achieving sustainable growth and business system transformation.
近年、外部環境の変化は激しさを増している。変化に対して企業がいかに対応するかという点は大きな課題となっている。また、企業が持続成長するためには当然、ビジネスシステムの変革が必要となる。しかし、企業にとって変革を実行するための資源は無限ではない。動員できる資源が限られる企業も多い。これらの企業にとっては、当然ながら、限られた資源を有効に活用するための経営者の知恵が求められる。ビジネスシステムを形成し、変革しながら、持続的な競争優位性を築いていくその過程を、経営者の意思決定を起点に因果メカニズムレベルで理解することは実務において再現性を高める意味でも重要である。
この論文において議論するビジネスシステム概念とは、経営資源を一定の仕組みでシステム化したものであり、どの活動を自社で担当するか、社外のさまざまな取引相手との間にどのような関係を築くかを選択し、分業の構造、インセンティブのシステム、情報、モノ、カネの流れの設計の結果として生み出されるシステムである(加護野・井上, 2004)。ビジネスシステムに関する研究はPorter(1985)の価値連鎖に基づくものが多い。そして、価値創造の理論をベースにしており、戦略系のビジネスシステム研究は、国内ではビジネスシステムとして、海外では価値創造システム(Value Creation Systems: VCS)として研究が進められていった(井上, 2010)。企業にとって、価値は創造するだけでなく、繫栄していくために捉えなければならない対象とされている(Saloner et al., 2001)。そのため、ビジネスシステムを形成している企業の事業成長を理解するためには、どのような価値を創造し、事業を進展させているかという点を明らかにしようとする試みは重要である。事業成長を成すのは容易ではない。当然、そこには革新的なビジネスシステムの変革が必要となる。特定のバリュー・ネットワークでリーダー企業としての地位を築いた企業は、そこで求められるバリューを最も体現する存在であるが故に、そのバリュー・ネットワークの軛から逃れられなくなり、破壊的なイノベーションを自ら主導することができなくなるとされている(宮崎, 2013)。それでは、革新的にビジネスシステムの変革を成し、持続的に事業を成長させている企業の背後にあるメカニズムとはどのようなものだろうか。どのような意思決定を起点に、どのようなケイパビリティ(経営資源、オペレーション)を構築し、変革に成功したのだろうか。
具体的な事例として、本稿は革新的にビジネスシステムを変革し、持続成長をなした歯車市場のプレイヤである小原歯車工業株式会社を取り上げる。歯車業界における顧客ニーズは時代とともに多様な変化を見せてきた。1970年代、当初の主なニーズは、製品を必要とする際に、必要な製品を即納したいというニーズである。同社は製品を段階的に標準化し、紙のカタログに掲載することで、顧客ニーズを満たし、標準歯車という新市場の開拓に成功した。しかし、製品自体で差別化できないことをリスクとして認識し、製品の種類で競合との差別化を狙った。その後1990年には、同社は顧客の探索のコストを最小化するために電子カタログを導入し、さらに、追加工を求めるニーズに合わせて2006年には追加工受注を拡大するなど、ユーザーの満足度を向上させる取り組みに注力し、ビジネスシステムを変化させてきた。歯車市場ではメーカーが乗り越えなければならない課題として、コストと短納期を両立させるというパラドックスの問題が存在する。短納期と低コストの両立というパラドックスを解消し、多品種少量生産の実現を図り、ビジネスシステムを形成する小原歯車工業の取り組みは、顧客が抱える調達課題を解決しうるイノベーションである。
歯車市場1において歯車の使用量が最も多いのは自動車産業であるが、標準歯車はほとんど使われておらず、とりわけ、駆動系に使われる歯車は自動車の性能を左右するキーコンポーネントのため、各社とも内製、もしくは系列企業で製造するのが一般的であり、標準歯車は歯車業界の中でもニッチ市場の部類に該当する2という特徴を持つ。特に、1990年のフロッピーディスク全盛の時代に、歯車市場という小規模な産業で、一中小企業でありながら、いち早く、無償でソフトウエアを配布することで、電子カタログ事業に参入し、効率的に自社の受注システムに顧客を囲い込み、ビジネスシステムの変革に成功した例は他の業界では見られず非常に稀有なケースである。
価値創造の仕組みを解明しようとする研究にはNormann and Ramirez(1993)、小川(1996, 2015)、加護野(1999, 2006)、Parolini(1999)、浅羽・新田(2004)、加護野・井上(2004)、井上(2006)などがある。経済主体間の競争と価値分配の関係性を捉えた研究への発展も見られる(MacDonald & Ryall, 2004)。以下にてビジネスシステムの先行研究を概念に沿って見ていく。
価値の創造は、価値ネットワークに依存するとされる(Christensen & Rosenbloom, 1995)。この価値ネットワークという概念は収益を決める主体が所属する業界ではなく、例えば、自社とサプライヤや顧客との関係性のように、自社が埋め込まれている価値ネットワークだとされる点に特色がある。Brandenburger and Stuart(1996)は価値ベースの事業戦略を成す概念としてサプライヤ・自社・顧客(バイヤー)の三者間の価値創造・分配の概念を提示した。現代の競争環境下においては競争優位性を築くためには、むしろ、価値連鎖上の企業間の関係性は、価値連鎖上の企業間全体で主体的に協働関係を作り出し、それぞれの企業が価値の創造と分配の恩恵を受けるという関係性で捉える方が現実的であろう。
これまでの先行研究での議論の中心的な視点は流通事業を事例にして、「三者間にて、それぞれのプレイヤに価値が分配される仕組みを明らかにすること」に置かれてきたと思われる。つまり、日本のビジネスシステムは取引当事者間の協働による利益を設計の基軸に据えている(加護野・山田, 2016)。澤田(2014)はビジネスシステムの形成メカニズムをプロセスレベルにまで発展させた。どのターゲットセグメントにどのようなアクティビティシステムを通じて、どのような価値を提供することでビジネスシステムが編成されるかという点を明らかにした。事業を営む以上、ターゲットセグメントにアクティビティシステムを通じて、価値提供を行う仕組みは欠かせない。そうであるならば、価値を創造し、顧客に提供する仕組みをプロセスレベルまで捉える方法は実務上、貢献しうる方法である。
しかし、その限界は結果的に、ビジネスシステムを形成するプロセスの現象しか捉えていないことにある。ビジネスシステムを形成するにおいて、成功の因果メカニズムにまで踏み込んだものが見られない。つまり、原因と結果の論理にとどまる。
既存のビジネスシステム研究の限界に対して、成功の因果メカニズムにまで踏み込むにあたり、本稿では、過程追跡法を採用する。社会科学領域における従来の研究方法と比較した場合の過程追跡法の存在論的な意味からの本質とは、ある事象の原因と結果に対してではなく、両者の間で作用する因果メカニズムに分析の焦点を合わせていることであるとされるためである(東他, 2021)。また、筆者の見解ではビジネスシステムが形成される過程では経営者の意思決定要因までを分析の射程とすることで、事業活動の成長における因果メカニズムを、より詳細に捉えることができると考える。また、経営者の意思決定という観点から、これまでの企業(企業家)を対象とする研究を見ていくと、長期継続取引による協働関係にこそ、相互メリットが生じるという日本のビジネスシステム固有の叡智の指摘(加護野・山田, 2016)、液晶ディスプレイ産業を事例に、技術革新という成功要因を長期的視点で捉えたもの(沼上, 1999)があり、成功要因を長期的視点で捉えた点では、ヤマト運輸を事例にし、長期的良循環のサイクルに結びつくか否かによって、短期的な戦略的意思決定がなされるべきであるとした主張(沼上, 2018)、モスフードサービスを事例に、他社間の競争がもたらす結果をうまく利用し、自社の成功につなげる間接経営戦略の提示(沼上, 2000)がある。流通論に絞ると、セブンイレブンの持続成長への成功事例(田村, 2014)がある。
このような先行研究では、長期継続取引による協働関係や、長期的な良循環を考慮した意思決定の必要性を支持する長期的視点、経営戦略の視点、持続成長の視点といった、それぞれの視点で検討がされてきたが、限界もある。既存研究は新しい市場の育成や、確立された市場を拡大させることのできる大企業を理論的な前提にしている点、また、企業の持続的な成長を捉えるにあたり、事業活動を行う上での現実の実践的な諸側面が考慮されていない点に課題がある。時代背景、競争関係、業界特性といったあらゆるコンテクストを含めた持続成長プロセスの意味を理解する必要がある。つまり、個々の企業の現状に即し、内部資源、組織外部のコンテクスト、経時的視点(長期的視点)、経営者の戦略的意思決定の視点(経営戦略の視点)を複合的に考慮すべきである。また、田村(2014)によると、既存理論の中では持続成長のメカニズムが解明されていないため、過程追跡の多くは、理論(メカニズム)発見型の作業になるとされる。
このことからも、本稿では重点的に経営者の意思決定要因に理論の前提を置き、内部資源、組織外部のコンテクストや時間軸といった事業活動を行う上での現実の諸側面を考慮しながら分析を行うことで、ビジネスシステムを変革し、持続成長に成功する因果メカニズムを詳細に捉えていくこととする。
特に本稿においては実際のインタビュー調査や文献調査にて、長期にわたりビジネスシステムを変革する際の起点ともなる経営者の戦略的な意思決定に関して、2世代にわたる経営者の大変詳細でレベルの深いデータを得られたことは価値である。
よって、本稿では現実の諸側面を考慮しつつ、企業がどのような戦略的な意思決定のもと、ビジネスシステムを変革することで、オリジナルのビジネスシステムをいかにつくったかを明らかにしていきたい。具体的には組織外部のコンテクストや時間軸を考慮しつつ、ビジネスシステム形成における諸活動の起点となる経営者の戦略的意思決定と、意思決定に基づくケイパビリティ(経営資源、オペレーション)、それらの結果が反映する財務システムまで含めた一連のプロセスを捉えていく。なぜなら、実務での応用を考えた場合には、戦略的意思決定、経営資源や、それらを使いこなす能力の構築と、結果としての財務への影響まで探索範囲を拡大することで、実務上、再現性が高まると考えるからである。
本稿において明らかにする分析の枠組みを図1に示す。
(出所)田村(2014)26頁の図を一部改変。「消費者」を「顧客」へと変更した。
本稿は、過程追跡法という考え方に立脚し、企業は、いかにして、ビジネスシステムを形成したかを読み解くものである。過程追跡法という考え方は、Beach and Pedersen(2013)に依拠する。過程追跡法は因果連鎖及び因果メカニズムを特定するための試みであり(George & Bennett, 2005)、特定の単独事例の従属変数の結果を生み出す因果過程の諸段階を、歴史的なコンテクストにおいて識別する手順である(田村, 2006)。過程追跡法では、漸進的な変化過程をたどる場合が多く、キーとなる出来事間の因果連鎖を捕捉することで観察対象に関する因果メカニズムが明らかとなる手法である(横山・東, 2022)。また、行為者の位置や行動のプロセスを追うことが出来るため、変化が発生するメカニズムを時間と事例のコンテクストを元に戻しながら説明できる一方で、選好や制度的な変化といったような変化のメカニズムを明らかにしやすくするなど、社会科学における理論の構築と検証のさらなる発展において非常に重要な方法である(Trampusch & Palier, 2016)とされる。
田村(2014)の先行研究ではセブンイレブンの事例を取り上げて時間軸に沿って、事業活動の成長における因果メカニズムを解説している。田村(2014)は過程追跡法による分析を恐竜の足跡の分析に例え、事業活動における三種の足跡を時間軸に沿って探ることを提唱している。田村(2014)によると三種の足跡とは、消費者への価値提案を行うための諸活動から形成されるフロント・フォーマット、その活動を構築・維持するなど支える立場であるバック・フォーマット、価値提案の結果、売り上げと費用が発生し、様々な財務指標によって、収益性やキャッシュフローの状態が評価されるなど、財務システムによって評価され、個々の事業活動の背後にどのような経営トップの戦略が潜んでいるのかについて探るものであるとされた。
ビジネシステムの形成の成功要因を探るには、形成における諸活動の起点となる経営者の戦略的意思決定と、それに基づくケイパビリティ、それらの結果が反映する財務システムまで含めた一連の価値提供プロセスを捉えるべきであるという本稿の趣旨と親和性が高いことから、本稿では、この田村(2014)のモデルを一部修正した図1を採用し、ビジネスシステムの形成のメカニズムを検討する。なお、本稿においては田村(2014)のモデルでいうところの価値提案については価値提供と捉えて具体的な分析を行うこととする。
さらに、因果メカニズムの検討は公開情報やインタビュー調査をもとに事例対象企業の経営者の意思決定と、その結果生じた要因間の因果関係までを考慮した出来事構造図を作成し、検討を行う(図3)。
3.2 方法と対象研究方法は事例分析とする。情報収集源としては小原歯車工業の取締役などからの聞き取りを含む1次資料、及び、雑誌、インターネットデータなどの定性データを使用した。インタビュー形式は質問項目を事前に定めておき、調査対象者の回答を受け、重要と思われる点を随時織り込み、効率的にその心理を掘り下げていく半構造化方式を採用した。
小原歯車工業は1935年に創業した。主に産業機械に使用する歯車を製造・販売しており3、標準歯車では国内シェアの60%以上を占めるトップメーカーである4。主な競合は協育歯車工業株式会社や青木精密工業株式会社である。標準品(汎用品)に特化した小原独自の歯車を企画し5、それらをカタログに掲載して販売している。標準品は従来型との互換性があり、その数は2万種に及ぶ。
図2は、その小原歯車工業の各段階におけるイノベーションの成功を裏付ける売上高の変化を表したものである。1990年に電子カタログ事業に参入したが、検索機能とCADデータの作成機能を持つ電子カタログは、企業の設計担当者に重宝された6。自社で開発したソフトに対して、予想をはるかに超えた反響があった7。実際に、小原歯車工業の業績は大きく伸び、1991年度には前年度8%増の49億円の売上げを達成した8。2003年から2006年にかけて売上高は対前年比プラスの伸びを記録した。小原歯車工業の経営に曲がり角が来たのは、ITバブル崩壊後だ。大手を先頭に国内の製造拠点が急激に縮小し、小原歯車工業も2002年6月期決算で売上高が約3割落ち込み、赤字すれすれとなった9。2005年4月に新工場が完成すると、早速、トヨタ自動車式工場運営のコンサルタントと契約し、「仕掛かりをなくす」「顔が見える高さにしかモノを積むな」などの基礎を改めてたたき込んだ10。同社にとっては再生であった。2006年に行った追加工を施した歯車のブランド「歯車工房」の本格的な立ち上げは、同社にとっては大きな設備投資であった。NC旋盤2台と軸物加工用NC旋盤2台を約6000万円を投じて導入後、追加工ラインを整備した11。2006年6月期の売上高は約44億円に達し、汎用歯車市場の国内シェアトップ企業である12。
(出所)会社四季報 未上場会社版に基づき筆者作成。
小原歯車工業における価値創造システムの流れを確認していくと、以下の二段階に分けることが可能である。
4.1 第1次ステージ:標準化した歯車製品の電子カタログ販売を開始した段階〈1990年~2002年〉小原歯車工業は「企業の在庫が切れたときに数ある歯車メーカーの中から、自社を選んでもらうためには常に商品情報を手元に置いてもらうことが肝心だ13」と当時の社長である小原信治元社長が語るように、顧客獲得を意図して1972年には初版となる紙の標準カタログを用意し、販売代理店にカタログを無償で配布していった。「オーダー歯車のビジネスモデルに特化していると、下請けになってしまうため、標準品に特化して小原独自に企画した歯車を製造し、カタログに載せて売るという事業を始めた。」というのが、紙を用いた総合カタログ導入の経緯である。しかし、標準歯車の発想は良いとしても在庫が必要以上に膨らみ、生産ラインの改善の取り組みも遅れていた14。
カタログの重量が増えるのに比例して重くて持ち運びがしづらいとの顧客の苦情も増えてきた15。そして、「種類が多くて目当ての製品を選び出すのに時間がかかる16」という顧客の紙のカタログに対する不満も増えてきた。このように顧客を起点とした環境の変化にこたえて、1990年に小原信治元社長は大きな意思決定を下した。顧客が電子カタログで製品を容易に取捨選択ができるようにした。つまり、その事業戦略の特色は電子カタログの導入によって、真の売り物をコンビニエンス17とした点にある。電子カタログによって、ネット受注、確率的な在庫保有などを組み合わせ、短納期での納入の仕組みを作り上げ、参入障壁を構築した18。
紙のカタログと電子カタログ、両者の受注システムの違いは電子カタログは利用企業の注文を促進するソフトを開発した点に特色がある。このソフトは歯の大きさや数値などを入力すると該当する製品を検索し、必要とあればCADデータや強度計算書を作成する仕組みとなっており、このソフトの利用企業は小原歯車工業の標準歯車を採用して設計するため、受注に直結するものであった。顧客が置かれた市場の状況の変化から見た、電子化のアドベンテージである。
当時、電子カタログ事業に参入した背景は紙カタログ提供の際に問題になっていた顧客がほしい製品を見つけるのに時間がかかるという点を克服するためである。また、他社との決定的な違い。つまり、強みを最大限に活かしたいという意向もあった。電子カタログ事業に参入した背景を小原哲司取締役は次のように語る19。「当時の一般メーカーの電子カタログは、生成した電子的な図面のデータを大量のプロッピーディスクで提供するのが普通であった。当社の場合、その当時から電子的図面をその都度、データから生成する電子カタログであったので、フロッピーディスクは1枚であった。電子カタログを提供した当時、電子的な図面を取り扱う顧客は1000社程度であり、それらの実際に歯車を使う顧客か、歯車の設計・製図を行う技術者に提供をしていた。電子カタログは時代の流れであった。当社はより効率の良い図面提供を考え、電子カタログの導入に踏み切った」。
平成に入ってからは、バブルがはじけて、加工業者の数が、極端に減ったために、顧客の側で追加工しにくくなるなど、景気の変動を受け、前年比で売上げがマイナスを記録する年が続いた20。標準歯車を取り巻く環境は厳しいものとなった。
1999年には大量の在庫を抱えることは経営効率を悪化させるというリスクを回避する目的もあり、パソコン上で製品の生産状況が把握できるシステムを導入し、在庫リスクの軽減を図った。
同社の最大手の取引先は伝導機関係商社の日伝である。歯車市場は株式会社MonotaRO、株式会社ミスミ(以下ミスミ)といった大手のEコマースの台頭と同時に価格競争が激化した。そのため、日伝は価格競争を回避するためにも、小原歯車工業から、歯車を仕入れ、それと組み合わせの良い他社から仕入れた製品をセットとして販売している21。また、特に、小原歯車工業はミスミの機械部品調達のAIプラットフォームを大きな脅威と認識している。その脅威を小原哲司取締役は次のように語る22。「3D CADで設計した機械部品のデータをWEBにアップロードするだけで瞬時に、見積もりと発注を可能にするミスミの機械部品調達サービスの登場は、歯車の領域に参入してはいないが、穴の大きさ、強度を計ると、見積から、即注文ができてしまうのは脅威である」。
4.2 第2次ステージ:短納期の多品種少量生産のビジネスシステムを確立した段階〈2003年~現在〉上述したように、バブルがはじけた影響で、加工業者の数は極端に減少していった。また、経済産業省の統計によると、2002年度における標準歯車の年間生産量は2年前に比べて3.2%低下した23。2002年6月期の決算では売上高が約3割落ち込み、赤字すれすれとなった。
このような環境変化に対して小原敏治社長は、大きな意思決定を下した。追加工による市場を取りにいくべく、2003年には追加工事業に参入した24。市場が縮小する中であえて、在庫回転率の低い「死に筋製品」への資金や人材の積極的投入を重視すること、つまり、製品を売れ筋に絞らず、品ぞろえに余裕を持たせる戦略を選択した。小原敏治社長は語る25。「同社のカタログには、在庫回転率の低い「死に筋商品」もある。死に筋商品であっても、顧客からの注文に備え、一定の在庫は持たなければならない。管理の手間も増える。必要以上に多い品ぞろえは、ムダに見えるかもしれない。だが、常に豊富な品ぞろえを維持することで、顧客は「どんな歯車でも小原で買える」というイメージを持つ。これで、既存顧客が当社で再び買ってくれる可能性は高まる。」
2005年には川口に新工場を設立し、2006年には追加工事業をセミオーダー製品「歯車工房」として本格的に事業展開させた。「歯車工房」は自社ブランド「KHK」の汎用歯車を取引先の要望に応じて加工するものである。この追加工サービスは一品から受け付け、尚且つ早ければ注文から1日で加工を可能にした26。ユーザーの仕様に加工して販売する準オーダー品は2万5500種類をそろえる27。追加工品である準オーダー品を積極的に受注することで、必要な時に、必要な部品を、必要な数だけ提供するなど、意図的にコンビニエンスの価値をさらに高めていった。すべての製品を大量に在庫しておくには負担が大きいため、同社は3つの製品群に分類して、これまでの出荷データをもとに、最適な在庫量を予測し、機動的に調整するなど、細かな管理を行っている28。製品群の分類は1つ目が「標準歯車」、2つ目が「オーダー品」、3つ目が2つの間の「準オーダー品」と、大きく3種類に分かれる。特に力を入れているのが準オーダー品である。歯車の製造に必要な歯切りの技術はあっても、旋盤やマシニングセンタを使いこなすだけの技術が育っていなかったため、事業化当初は苦しんだが、ライン単位にコンサルタントを導入し、生産改善を徐々に進めながら、時間をかけてノウハウを蓄えていった29。
当時、追加工事業に参入した背景を小原哲司取締役は次のように語る30。「追加工の発注は100%代理店経由である。当時の追加工は、顧客が自社で加工する。販売店が顧客の依頼で加工業者に依頼する。代理店が販売店の依頼で小原歯車工業または加工業者に依頼するというように複雑であった。その後、追加工を行う業者が少なくなり、また、顧客はメーカーでの加工を希望するようになり、小原歯車工業の追加工受注は飛躍的に伸びていった。小原歯車工業は追加工品の標準タイプもシリーズとして揃え、顧客はそれを採用するようになった。これに合わせて、多品種少量短納期に対応できる会社方針に変えていった」。「オーダー品は手間がかかって、利益が出ていないが、標準品は利益が出ている。オーダー品は標準品を売るために、あえて、良心的な値段設定をしている。標準品だけというオーダーもあるが、オーダー品を頼みながら標準品を頼む顧客もいる。全体として2割がオーダー品。8割が標準品。追加工品は8割の中の1割を占める構成である31。」このように小原歯車工業は準オーダーを含めたオーダー品を計画的な顧客拡大に活用し、これらの拡大した顧客を対象に、標準品の同時購買を実現していた。一度、小原歯車工業と取引を行うと、顧客は「どんな歯車でも小原で買える」という利便性の高いサービスの提供を受ける。それらが小原歯車工業の高い信用に繋がり、オーダー品を頼みながらも同時に標準品を頼む要因にもなっていると推測できる。
在庫負担の軽減にも工夫があった。受注データを細かく分析し、グループ会社の株式会社KHK野田(以下KHK野田)で製造した標準歯車を予測発注量の多い順に配置している32。小原哲司取締役はその工夫を以下のように語る33。「別会社にKHK野田工場があり、標準品は野田工場にて生産される。なるべくロットを大きくして、段取りを変えず、生産ラインを稼働させるため、生産コストも削減できる。50個100個まとめて1個2個安くするのが野田工場の目的である。野田工場は小ロットでは生産しない。納期に間に合わせるために適切な在庫管理を行い、在庫が欠品しない手前で、リードタイムを考えた生産が行われる。一方、川口工場の役割は1個2個を加工して即納する。オーダー歯車においては注文に応じて加工して即納する」。この作りわけの仕組み化によって川口工場は短納期の小ロット生産を可能としている。平均ロット数は1ロットあたり3個であり、生産数は月平均2500ロット程もあるにも関わらず、納期遵守率は90~99%を維持している34。
このように、KHK野田の工場と川口の本社工場はそれぞれの強みを活かした効率活用が行われており、多種多様な製品を短納期で出荷する体制を整えた。システム面の連携もその一つだ。生産、在庫の管理にコンピューター管理システムを採用することで、本社と野田工場がオンラインにより直結し、本社にいて野田工場の生産工程がチェックできるようになった35。
改善活動にも余念が無い。2005年4月に新工場が完成すると、早速、トヨタ自動車式工場運営のコンサルタントと契約し、事業改革を行った。小原氏の改革はラインやレイアウトの効率化にも及んだ。同社はそれを「カメレオン工場36」と名付けた。U字や直線など、大まかなレイアウト変更は年に4回ほどあり、それは、毎日の注文に応じて、10センチメートル単位で位置を微調整することもしばしばであった37。工場配線にも工夫がある。通常は床に設置することが多い電源やコンプレッサーを天井に設置したことで、配線が絡まず機械を移動しやすくしており、工程の流れに合わせて加工機械を配置し、作業効率を高めるなど38、短納期を追求している。柔軟な生産工程を有する現場が誕生したことで、生産数は以前より2割アップし、小原歯車工業は再生を果たした39。
これらの短納期を可能にしたのは徹底した5S活動の支えである。小原哲司取締役は以下のように語る40。「5S活動は整理、整頓、清掃、清潔、しつけのローマ字をとったものである。例えば、工具の置き場を見やすくする。プラスチック箱によって製品を変えて、素材が違うものを入れる。目で見て管理がしやすいようにして、納期が許せば、たとえば鉄の次はナイロンだといったように、違う素材を加工するよりも、同じ種類の加工を優先することで、段取り替えの手間を削減している。これは明日の納期、3日後、4日後など、わかるように在庫を管理する作業者が置いていく。そうすることで作業者が遅延であること、当日の急ぎの対応を要する製品であるなど、把握しやすくなっている。山崩し的に処理していくイメージである。製造業では当たり前のように行われている5S活動であるが、月1回5Sができているか他部署の人がチェックする体制ができており、モニタリングや評価との連動もしっかりと行われている。一例が公開段取りである。他の作業員の見ている前で作業を行い、そのタイムを測り、ビデオ撮影をすることで、どのくらいの時間で作業ができるかの確認会を行っている。無駄な作業を洗い出して改善するのが狙いである。そこではベンチマークの作業員を設定し、効率的な点と非効率な点の差異を確認しあうなど、工夫がある。これらの会を月に一度の頻度で実施しており、日々オペレーションを磨いている」。
改善は評価とも明確に結びついている。評価の仕組みはこうだ。「私はこういう改善をしましたと登録をして上司が評価をする。例えば、今まで10分かかるところが5分へ削減した。一人当たり、経費をいくら削減したというようにお金に換算して等級化している。再発防止も徹底している。間違った製品をつくった場合には、是正処置を行い、同じ過ちを繰り返さないように結果をデータベースに載せる41」。これらの改善を下支えするのが研修制度である。小原歯車工業では多能工化を推奨しているだけあって、教育訓練においては年間計画を組み、取り組んでいる。ジャスト・イン・タイム生産方式42に詳しい指導者を呼んで、月に一度の頻度で改善研修を実施している43。2011年には2006年比で生産効率を5割向上させた44。
売上を拡大させる取り組みとしては、2009年以降、欧米を中心に代理店契約を開始し、現地の需要動向を見ながら代理店が持つ在庫のアイテム数を増やし、代理店や販売店が短い納期で出荷できる体制を敷いたことを契機に、販売網を拡大したことで45、売り上げを拡大させてきた(図2)。なお、同社製品の海外向け販売は主に追加工品とオーダー品を製造する川口工場が担う。
上記4章にて明らかになった小原歯車工業による顧客への価値分配や、それらを基盤として形成されるビジネスシステムの形成プロセスを整理した結果を解釈する。続いて、過程追跡法による事例内分析を通じて、ビジネスシステムの形成・変革に至る因果メカニズムを明らかにすることを試みる。
表1は事例記述を基に、図1のモデルに沿って、ステージ毎に顧客に創造される価値と、それらが顧客に提供されるプロセスを分析した結果である。以下では過程追跡法という考え方に立脚し、企業は、どのような価値を顧客に提供し、ビジネスシステムを形成したかを読み解いていく。
ステージ | 第1次:1990年~ | 第2次:2003年~ |
電子カタログによる歯車製品の標準化 | 短納期・多品種少量生産・低コストの実現 | |
ステージ毎の価値提供(対顧客) | コスト(取引コスト削減)、価格安定化、代理店営業の効率化 | 短納期・多品種少量生産の製品ラインナップの拡充 |
経営者の意思決定 | 顧客が電子カタログで製品を選定し、容易に注文できるようにする | 在庫回転率の低い「死に筋商品」への資金や人材の積極的投入/手間のかかる追加工を積極的に受注し、「KHK」の認知を高め、汎用歯車の拡販につなげる |
①フロント・フォーマット | 電子カタログを提供 | セミオーダー製品(追加工事業)「歯車工房」の提供 |
②バック・フォーマット | ITを活用した在庫リスクの軽減 | 最適な在庫量の予測と機動的調整、川口工場におけるラインやレイアウトの効率化、KHK野田工場と川口工場の最適活用 |
③財務システム | 91年度には前年度8%増の49億円の売り上げを達成 | 2011年には2006年比で生産効率が5割向上 |
(出所)筆者作成。
まず、表1の顧客への提供価値を見ていく。第1次ステージでは製品を標準化し、電子カタログに掲載したことで、顧客の取引コストを削減した。顧客がメーカーに製品を注文する場合、これまではメーカーごとに価格や納期はばらばらであった。しかし、製品が標準化され、紙カタログに掲載されることで、購買価格も安定した。これは、電子カタログになっても同じであった。また、顧客である代理店営業職員の代理店営業の効率化につながった46。第2次ステージでは2つの工場を効率的に活用し、追加工サービスを積極的に導入したことで、多品種の調達可能な製品ラインナップが拡充された。図1のモデルに沿って第1次ステージを整理すると、トップは顧客が電子カタログで製品を選定し、容易に注文できるようにする意思があったことが読み取れる。「フロント・フォーマット」では顧客の利便性向上を目的に、電子カタログが提供され、コスト(取引コスト削減)、価格の安定、代理店営業の効率化などが顧客への価値として提供された。「バック・フォーマット」では価値提供を支える仕組みとして、ITを活用して、細かな在庫の管理を行うことで、在庫を抱えるリスクが軽減された。これらの価値提供の結果、電子カタログ導入の1年後には財務的な成果として、前年度8%増の売上げを達成した。
第2次ステージの事例から読み取れることとして、トップはあえて、在庫回転率の低い「死に筋製品」への資金や人材の積極的投入を重視すること、そして、手間のかかる追加工を積極的に受注することで、「KHK」の認知を高め、標準品である汎用歯車の販売を促進する意思があったことが読み取れる。「フロント・フォーマット」では短納期にて提供できる多品種少量生産の製品のラインナップを拡充した。顧客の利便性向上を目的に、追加工事業が提供されていた。「バック・フォーマット」では価値提供を支える仕組みとして、最適な在庫量を予測し、機動的に在庫調整が行われていた。また、川口工場におけるラインやレイアウトの効率化や追加工事業の拡大後もKHK野田工場と川口工場の明確な作り分けを工夫することで、短納期の多品種少量生産を実現する際のコストを低減させた。このような顧客への価値提供の結果、2011年には2006年比で生産効率を5割向上させた。
5.2 ビジネスシステムの形成・変革に至る因果メカニズムの解釈出来事構造図により、経営者の意図と相互作用を分析していくとわかることがある。
図3は事例記述を参考に各要因相互の関係を描いたものである。要因間の因果関係を考え、経営者の意図や行為を十分に意識し、分析した結果である。経営者の意思決定を重視する理由は、各要因相互の関係を捉える際には、経営者の意図や行為を十分に認識することで、数ある出来事の中から、より重要な出来事や行為を特定できるためである。時間的な順序関係を加味し、出来事の起点となる経営者の意図や行為を十分に認識することで、出来事を一連の流れとして把握でき、ビジネスシステムを変革し、持続成長に成功する因果メカニズムを、より詳細に、深いレベルで捉えることができると考える。
(出所)筆者作成。
本章では、1990年代から始まる小原歯車工業が経験した急成長と、その後の事業戦略の転換によって、2000年代初頭から長期持続的な成長軌道に乗るまでの現象に着目した分析を行う。筆者は本事例において、ビジネスシステムの変革の結果を、2019年には、売上高や利益(純益)を右肩上がりで上昇させながらも、短納期の多品種少量生産を可能にし、結果的に納期遵守率を90~99%に維持することに成功したことから、短納期の多品種少量生産と低コストの事業の確立と捉えた。そして、どのような事業活動様式が観察の終点として設定した短納期の多品種少量生産と低コストの事業の確立を支えているのかを究明した(図3)。この一連の分析では、短納期の多品種少量生産と低コストの事業の確立を「結果」、つまり観察の終点として設定し、観察の「始点」については電子カタログ化に乗り出した期間を選択した。
その理由は、この期間は同社にとって、いち早く、無償でソフトウエアを配布することで、効率的に自社の受注システムに顧客を囲い込み、ビジネスシステムの変革に成功した重要な期間であるためである。そもそもの、電子化される前のカタログ販売の戦略は、取引コストの削減価値を提供することで、顧客のロイヤルティを高める意図があった。しかし、それでもなお、種類が多くて目当ての製品を選び出すのに時間がかかるという紙のカタログに対する顧客の不満はあった。
それを受けた第1次ステージにおける経営者の意図は種類が多くて目当ての製品を選び出すのに時間がかかるという紙のカタログに対する顧客の不満に対応し、従来のカタログと並行して専用ソフトを無料配布することで、顧客が電子カタログで製品を容易に取捨選択ができるようにすることであった(①)。カタログ販売は在庫リスクを抱えるが、製品の生産状況を把握できるシステムを導入したことで、リスクに対応してきた(③)。その後、第2次ステージではバブルの崩壊によって、追加工を行う業者が極端に減少したことを契機に(②)、顧客のニーズを積極的に拾う目的で、追加工事業に参入した(⑤)。また、製品の生産状況が把握できるシステムを導入したこと(③)は、標準品に比べて生産の管理が複雑になる追加工事業への参入を促進したと推測できる(⑤)。つまり、追加工を行う業者の減少や製品の生産状況が把握できるシステムの導入が追加工事業への発展を支えた要因と考えられる。
この第2次ステージにおける経営者の意図は、あえて、将来の収益拡大につなげるために、ムダを重視するというものであった。常に豊富な品ぞろえを維持することで、欲しい製品がすぐに手に入る会社であるという印象を顧客に植え付けることができる。このような意図があり、市場環境が厳しい中でも、むしろ、資金や人材といった経営資源を積極的に投入するべきとし、小原歯車工業は在庫回転率の低い「死に筋製品」へ資金や人材を積極的に投入した(⑥)。しかし、そのためには当然、業務や生産の改善は伴う。トヨタ自動車式工場運営の採用はその打ち手であった(⑧)。それ以前、2003年には追加工事業に参入したことから(⑤)、作業効率を向上させる必要が生じ、2005年には作業効率向上を目指したトヨタ自動車式工場運営が採用された(⑧)。また、2002年には6月期決算で売上高が約3割落ち込み、赤字すれすれとなったことから(④)、2005年には売り上げ向上を目指し、主に追加工品とオーダー品を製造する川口工場が新設される(⑦)など、追加の投資がなされた。また、トヨタ自動車式工場運営の採用など(⑧)、小原歯車工業は独自の生産改善の工夫を行った結果、2005年には臨機応変に生産ラインを変更し、短納期を下支えする生産体制が形成されたと推測できる(⑨)。主に追加工品とオーダー品を製造する工場の新設(⑦)と生産改善を徐々に進めながら、時間をかけて生産改善のノウハウを蓄えていったことで(⑨)、2006年に追加工事業は事業として発展を見せた(⑩)。標準品、準オーダー品、オーダー品という3つの製品群を備えたことで、短納期の多品種少量生産の製品ラインナップの拡充に繋がった(⑩)。カメレオン工場と言われるように、作業効率の高い、柔軟な生産工程を有する現場が誕生したことに加えて、歯車の特性ごとに、製品を3つに分類し、これまでの出荷データをもとに、最適な在庫量を予測し、機動的に調整するなど、追加工事業の本格化に伴い、細かな在庫管理を行ったことで、結果的に、短納期を維持しながらも、生産数を2割向上させた(⑪)。2006年には設備投資は追加工ラインの整備(⑫)などに広がりを見せた。作業効率の高い、柔軟な生産工程を有する現場の誕生(⑨)に加え、この設備投資(⑫)と2007年に増設したKHK野田工場と川口工場の分業体制(⑬)を積極活用することで、低コストでの追加工サービスの提供を可能とした。この結果、2011年には、2006年比で生産効率が5割向上している(⑮)。これらは2005年にトヨタ自動車式工場運営を採用したことを契機に、5Sの導入、改善研修、改善と評価が連結する評価制度の導入など、磨き込んでいった同社のオペレーションが下支えしていたことが推測できる。2009年には欧米を中心に代理店契約を開始したが(⑭)、これは、追加工品とオーダー品を製造する川口工場(⑦)が海外向け販売の製造を担ったことから、川口工場を有する利点を活かしたものであった。海外との代理店契約開始(⑭)以降、徐々に海外販売網を拡大したことで(⑯)、以降の売り上げは右肩上がりの数値を見せている(図2)。
これらの財務上の変化は、これまで築き上げ、強化してきたオペレーション基盤(⑨)や生産基盤(⑦・⑬)が原因となり、生じた結果と読み取れる。このように始点から始まり、海外販売網の拡充による売り上げ拡大に至るまでの継続した売り上げ拡大策(⑯)と、生産効率を向上させてきた(⑮)一連の継続した事業活動を経て、同社は、2019年には低コストにて短納期の多品種少量生産を可能にしながらも、納期遵守率を90~99%に維持するに至るまで事業を確立したことになる(⑰)。
事例のコンテクストを考慮しながら、経営者の戦略的な意思決定のもと、ビジネスシステムを変革することで、オリジナルのビジネスシステムを形成するメカニズムを紐解いた結果、上記事例記述と過程追跡法の解釈で説明したように、小原歯車工業のビジネスシステムの形成は経営者の戦略的な意思決定のもと、顧客の取引コスト削減を目的とした電子カタログの導入、追加工事業への参入、新工場設立、追加工事業の本格的な展開、海外との代理店契約の開始と、海外販売網の拡充による売り上げ拡大といった一連の連続した売り上げ向上策によってのみ実現したものではない。在庫回転率の低い「死に筋製品」への資金や人材を積極投入するという戦略的な意思決定を実現すべく、まずはトヨタ自動車式工場運営を採用し、生産改善を行った結果、通称カメレオン工場と呼ばれる作業効率の高い工場を完成させた。その工場を礎に、さらに追加工ラインの整備、工場増設といった一連の展開を経て、段階的に生産効率が改善されていった。売上高を向上させつつ、生産効率が向上する構造が確立するに至る。
5.3 小括以下では、経営者による各フォーマットへの関与、出来事構造図による分析結果を総合的に解釈し、企業がビジネスシステムを変革することで、オリジナルのビジネスシステムをいかにつくったか、その成功要因を同社の事例に即して議論したい。
(1) 戦略的意思決定に基づき、形成されたケイパビリティの構築歯車市場におけるビジネスシステムの形成と変革には経営者の戦略的意思決定が起点となっており、それに基づくケイパビリティの構築が重要な役割を果たすことがわかった。特に経営資源は、多品種短納期の製品提供を実現する知識やノウハウがそれにあたる。一方、オペレーションは変化に柔軟に対応できるオペレーション改善の知識や能力がそれにあたる。また、このオペレーション基盤の確立を支えたのは工程の流れに合わせて加工機械を配置し、作業効率を高めるなど、組織自体に変化に柔軟に対応できる仕組みが備わっていたからこそである。しかも、これらは多能工化の育成を目指し、年間計画を組み、取り組んでいる同社の研修制度によって下支えされていた。
このようなケイパビリティの育成は評価制度とも明確に結びついていたことから、同社では研修から学び、実践に結びつける改善意欲の高い組織が設計されていたことが推察できる。オペレーションの改善意欲の高い組織が出来上がった重要な背景として人事評価と綿密に連動する制度的な側面があったことが指摘できる。
(2) オペレーション改善の知識や能力を活用した顧客への価値提供歯車市場における顧客のニーズは多品種かつ短納期での製品調達にある。同社はそのニーズに応えるべく、経営者による戦略的な意思決定によって、品揃えの強化と複数の工場を巧みに使い、作り分けの工夫を成してきた。しかし、品揃えの強化と短納期と低コストの実現にむけた意思決定をしたところで、経営者の挑戦意欲だけでは、この難関な課題を解決することは不可能であっただろう。同社は戦略的な意思決定と、それを支える改善意欲の高い組織が生み出すオペレーション改善の知識や能力を活用しながら、顧客に対し、第1次ステージでは主に顧客の取引コストの削減を、第2次ステージでは主に製品ラインナップの拡充と多品種短納期での製品調達を価値として提供してきた。小原歯車工業は中小企業である。競合にはECプラットフォームを形成し、歯車製品を取り扱う生産間接材のEC大手のミスミが存在する。そうした競争が激しい環境下で、ミスミと比べ、中小メーカーの戦略的打ち手は制限される。しかし、だからこそ、生産基盤やオペレーション基盤といった既存のケイパビリティにじっくりと向き合ってきたために、評価制度との連動を成すような企業単位でのオペレーションの改善の知識が形成されたのであろう。
(3) 徹底した顧客満足の追求と3つの製品群の緻密なマネジメントの実現同社は、時期に応じて適切に顧客に価値を分配することに重点を置く、顧客志向の高さを強みに、ビジネスシステムを形成・変革してきた。顧客が、調達先として小原歯車工業を選択すると、どのようなオーダー品でも短納期での加工が実現したことで、同社は準オーダーを含めたオーダー品を求める顧客を計画的に自社の顧客基盤に取り込んでいた。さらに、同社はこれらの拡大した顧客基盤を対象に、標準品の同時購買を実現していたことは興味深い。この顧客満足を追求する企業文化と、標準品が売れれば、利益率も高いことからも明らかなように、戦略的に3つの製品群を緻密にマネジメントし、標準品を根幹に収益を獲得する能力があったからこそ、ビジネスシステムの形成・変革に成功したと考えられる。
本稿では、内部資源、組織外部のコンテクストや時間軸を考慮しつつ、企業がどのような戦略的な意思決定のもと、ビジネスシステムを変革することで、オリジナルのビジネスシステムをいかにつくったかを明らかにしようと試みた。
その結果、①ビジネスシステムの形成・変革の起点として、経営者の戦略的意思決定や、それらに基づき、形成された経営資源とオペレーション、つまり、ケイパビリティの構築が重要な役割を果たしていたこと、②オペレーション改善の知識や能力を活かし、顧客に対して時期に応じて適切な価値提供を行う仕組みを構築したこと、③徹底した顧客満足の追求と緻密な製品群のマネジメントを実現したこと、以上の3点がオリジナルのビジネスシステムをつくりあげた成功要因として明らかになった。また、一連の行為の結果として2つのステージを通じて、経営者による戦略的意思決定がビジネスシステムの形成・変革の起点となり、顧客に短納期出荷を約束できる多品種少量生産製品のラインナップが拡充されていた。同社では、顧客に価値提供を行う仕組みを重視し、その結果、顧客のロイヤルティを高め、顧客基盤を強固なものにしていくという因果的なストーリーが形成されていた。しかし、ビジネスシステムの形成・変革の成功要因はそれだけではない。顧客志向を徹底的に貫く、経営者の戦略に端を発しながらも、同社が組織として、それらを実現させる経営資源やオペレーションの構築に長けていたこと、戦略的に3つの製品群を緻密にマネジメントし、収益を獲得する能力に長けていたことは忘れてはならない。
歯車市場、中でも標準歯車を扱うニッチな市場において、小原歯車工業は製品自体で差別化できず、製品の種類で競合と差別化しなければならない特殊な環境において、いち早く電子カタログを導入したり、将来の利益獲得を意図し、投資的に低コストかつ多品種少量短納期の同時実現をはかるなど、サービスを高度化することで持続的な成長を重ねてきた。それらは限られた経営資源を活用し、オペレーションを精緻に設計することで実現されてきた。得られた知見は、むしろ、新しい市場の育成や、確立された市場を拡大させることのできる大企業を対象にした場合とは異なり、技術では差別化できず、市場拡大が難しい歯車市場特有のやや特殊な事業環境に即して理解することができる。生き残りをかけ、イノベーションを繰り返すことが求められ、また、それらを実現するために限られた市場で、経営資源を最大限活用せざるを得ない企業の取り組みを経営者の戦略的な意思決定段階から捉えたことは、成功の軛に囚われ、事業変革が滞ることの多い大企業にとって、新たな試行につながる可能性がある。また、本稿は長期にわたり、内部資源、市場特性や経済環境の劇的な変化、競争環境を経営者がいかに捉え、戦略的な意思決定を成したのかに分析の起点を置いた。つまり、遍くコンテクストを解釈し、分析を行った点は、企業の実践的活動の側面を捉えきれていないがゆえに、導かれる議論が限定されていた既存研究が抱える問題に対して、新たな視座を提供するものであると考える。
最後に、残された課題について触れておきたい。本稿は歯車の市場においてメーカーにおける顧客課題を解決するイノベーションに限定したが、すべての企業が同様のイノベーションを起こすことができるとは限らない。導出した結論は広く一般的にあらゆるタイプのメーカーに適用できるとは言えないであろう。他の事例への適応可能性を含めて更なる分析が必要である。