2025 年 22 巻 p. 309-326
本研究は、Global University Entrepreneurial Spirit Students’ Survey(GUESSS)における2021年調査と2023年調査の日本データを体系的に比較分析し、日本の大学生における起業意識の変化を明らかにすることを目的としている。分析結果は、日本の大学生における三つの特徴的な傾向を示している。
第一に、安定志向の強化が観察され、大企業志向が強まる一方、創業希望者は減少している。第二に、起業に向けた具体的な行動を起こす学生が著しく減少している。特に、起業準備活動を「何もしていない」学生の割合が57.8%から95.8%へと急増している。第三に、女性の起業意思は男性の約3割という水準で推移しており、この男女差は世界的に観察される現象ではあるものの、日本の場合は特に顕著である。
これらの知見は、日本の起業家育成における構造的な課題を示唆しており、実践的な起業家教育の充実、効果的な女性起業家支援枠組みの確立、そして段階的な起業支援基盤の構築など、より包括的な支援体制の必要性を示している。
This study aims to reveal any changes in entrepreneurial awareness among Japanese university students through a systematic comparative analysis of Japanese data from the 2021 and 2023 Global University Entrepreneurial Spirit Students’ Survey (GUESSS). The analysis finds three distinctive trends among university students in Japan.
First, there is a growing preference for stability, with students showing stronger inclination toward large corporations and fewer students aspiring to start their own businesses. Second, there is a marked decrease in students taking concrete steps toward entrepreneurship, with the proportion of students who are “doing nothing” in terms of startup preparation activities dramatically increasing from 57.8% to 95.8%. Third, women’s entrepreneurial intentions remain at about 30% of men’s levels and while a gender gap is observed around the world, this disparity is particularly pronounced in Japan.
These findings suggest structural challenges in entrepreneurship development in Japan, indicating the need for a more comprehensive support system that includes enhanced practical entrepreneurship education, establishment of a comprehensive support framework for women entrepreneurs, and development of a staged entrepreneurship support structure.
経済のグローバル化とデジタル技術の急速な進展により、世界的にスタートアップ企業の重要性が増大している。とりわけ、COVID-19パンデミックを契機としたビジネス環境の急激な変化は、新たな事業機会の創出と革新的なビジネスモデルの必要性を浮き彫りにした。日本政府も「スタートアップ育成5か年計画」を策定するなど、起業家育成を重要な政策課題として位置づけている。このような状況下で、将来の起業家候補となる大学生の起業意識を把握し、その変化を分析することは、効果的な起業家育成施策を検討する上で極めて重要である。
1.2 GUESSS調査の概要Global University Entrepreneurial Spirit Students’ Survey(GUESSS)は、スイスのサンガレン大学の中小企業・企業家活動研究所が主導する国際的な調査プロジェクトである。2003年に開始されたこの調査は、2~3年ごとに実施され、世界規模で大学生の起業意識を把握する重要な指標として確立されている。
2021年調査では世界58カ国から267,366件の回答を集め、このうち日本からは35以上の大学から3,417件の回答が寄せられた。2023年調査においては、世界57カ国から226,718件の回答を得て、日本からは30以上の大学から1,698件の回答を収集している。
なお、日本の有効回答数は、データクリーニングを行った後の件数であり、表の日本回答件数とは一致しない。
両調査における日本の参加状況は以下の通りである。
1.3 研究目的本研究は、2021年と2023年のGUESS調査結果の詳細な比較分析を通じて、日本の大学生における起業意識の実態とその変化を明らかにすることを目的としている。特に、両調査間における回答者の基本属性の変化、起業意識の推移、起業家教育の実施状況の変化の比較を通じて、日本の特徴的な傾向を浮き彫りにすることを試みる。
1.4 研究の構成本研究は以下の構成で展開される。第2章では調査結果の比較分析を行い、回答者の基本属性の変化を検討する。第3章では起業意識とキャリア選択の動向を分析し、第4章では起業活動の実態について考察する。第5章では起業家教育の現状を検討し、第6章では総合的な考察を行い、第7章で結論と含意を提示する。
GUESSS調査の実施規模は、2021年から2023年にかけて変化を示している(表1)。世界的には参加国数が58カ国から57カ国へと微減にとどまったものの、有効回答数は267,366件から226,718件へと約15%の減少となった。日本においては、参加大学数が35以上から30以上へ、有効回答数は3,417件から1,698件へと減少を記録している(表2)。
2021年(サンプル数上位20カ国) | 2023年(サンプル数上位20カ国) | ||||
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国 | サンプル数 | 比率 | 国 | サンプル数 | 比率 |
Spain(ESP) | 98,226 | 36.7% | Spain(ESP) | 76,889 | 33.9% |
Peru(PER) | 14,948 | 5.6% | Hungary(HUN) | 14,720 | 6.5% |
Colombia(COL) | 12,401 | 4.6% | India(IND) | 13,896 | 6.1% |
Chile(CHI) | 10,509 | 3.9% | Colombia(COL) | 13,041 | 5.8% |
Hungary(HUN) | 10,104 | 3.8% | Brazil(BRA) | 7,447 | 3.3% |
Germany(GER) | 8,199 | 3.1% | Chile(CHI) | 6,164 | 2.7% |
Brazil(BRA) | 7,738 | 2.9% | China(CHN) | 6,123 | 2.7% |
Switzerland(SUI) | 6,919 | 2.6% | Slovakia(SVK) | 5,997 | 2.6% |
Mexico(MEX) | 6,449 | 2.4% | Belgium(BEL) | 5,422 | 2.4% |
Poland(POL) | 6,012 | 2.3% | Ecuador(ECU) | 5,215 | 2.3% |
Slovakia(SVK) | 5,754 | 2.2% | Switzerland(SUI) | 5,145 | 2.3% |
Costa Rica(CRC) | 5,469 | 2.1% | Canada(CAN) | 4,687 | 2.1% |
Russia(RUS) | 5,407 | 2.0% | Russia(RUS) | 4,668 | 2.1% |
Panama(PAN) | 5,297 | 2.0% | Italy(ITA) | 4,374 | 1.9% |
Ecuador(ECU) | 5,085 | 1.9% | Saudi Arabia(KSA) | 3,746 | 1.7% |
Portugal(POR) | 3,595 | 1.3% | Bolivia(BOL) | 3,695 | 1.6% |
Japan(JAP) | 3,494 | 1.3% | Mexico(MEX) | 3,082 | 1.4% |
Italy(ITA) | 3,294 | 1.2% | Costa Rica(CRC) | 2,603 | 1.1% |
Jordan(JOR) | 3,237 | 1.2% | Argentina(ARG) | 2,462 | 1.1% |
Austria(AUT) | 3,236 | 1.2% | Lithuania(LTU) | 2,448 | 1.1% |
Lebanon(LBN) | 3,224 | 1.2% | Austria(AUT) | 2,277 | 1.0% |
Saudi Arabia(KSA) | 2,921 | 1.1% | United States of America(USA) | 2,160 | 1.0% |
Kazakhstan(KAZ) | 2,791 | 1.0% | Germany(GER) | 2,087 | 0.9% |
Indonesia(IND) | 2,545 | 1.0% | Paraguay(PAR) | 2,020 | 0.9% |
Belgium(BEL) | 2,296 | 0.9% | Kazakhstan(KAZ) | 1,841 | 0.8% |
Lithuania(LTU) | 2,154 | 0.8% | Japan(JAP) | 1,837 | 0.8% |
(出所)GUESSS2021 Japanese Country Report, p.1–2、表1および2023 Japanese Country Report, p.1、表1をもとに筆者作成。
2021年 | 2023年 | ||||
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大学名 | 回答 | 割合 | 大学名 | 回答 | 割合 |
愛知学院大学 | 3 | 0.1% | 青山学院大学 | 1 | 0.1% |
跡見学園女子大学 | 90 | 2.6% | 跡見学園女子大学 | 45 | 2.7% |
大阪市立大学 | 18 | 0.5% | 大阪公立大学 | 8 | 0.5% |
大阪商業大学 | 55 | 1.6% | 岩手県立大学 | 55 | 3.2% |
小樽商科大学 | 2 | 0.1% | 学習院大学 | 18 | 1.1% |
お茶の水女子大学 | 10 | 0.5% | 関西大学 | 21 | 1.2% |
学習院大学 | 18 | 0.5% | 九州大学 | 38 | 2.2% |
関西大学 | 94 | 2.8% | 京都大学 | 24 | 1.4% |
九州大学 | 132 | 3.9% | 京都産業大学 | 42 | 2.5% |
慶應義塾大学 | 29 | 0.8% | 近畿大学 | 17 | 1.0% |
神戸大学 | 17 | 0.5% | 神戸大学 | 36 | 2.1% |
上智大学 | 126 | 3.7% | 静岡大学 | 8 | 0.5% |
情報経営イノベーション大学 | 1 | 0.0% | 摂南大学 | 27 | 1.6% |
摂南大学 | 41 | 1.2% | 専修大学 | 264 | 15.5% |
専修大学 | 408 | 11.9% | 中京大学 | 54 | 3.2% |
中央大学 | 22 | 0.6% | 東京大学 | 5 | 0.3% |
東京大学 | 9 | 0.3% | 東京理科大学 | 70 | 4.1% |
東京工科大学 | 99 | 2.9% | 南山大学 | 11 | 0.6% |
東北大学 | 81 | 2.4% | 日本大学 | 33 | 1.9% |
日本大学 | 29 | 0.8% | 日本女子大学 | 34 | 2.0% |
一橋大学 | 12 | 0.4% | 一橋大学 | 23 | 1.4% |
広島大学 | 19 | 0.6% | 福岡大学 | 61 | 3.6% |
福岡大学 | 96 | 2.8% | 福岡女学院大学 | 86 | 5.1% |
福岡女学院大学 | 85 | 2.5% | 福山市立大学 | 198 | 11.7% |
福知山市立大学 | 1 | 0.0% | 法政大学 | 369 | 21.7% |
福山大学 | 1 | 0.0% | 武蔵大学 | 28 | 1.6% |
福山市立大学 | 89 | 2.6% | 明治大学 | 17 | 1.0% |
法政大学 | 579 | 16.9% | 立命館大学 | 19 | 1.1% |
北海道科学大学 | 86 | 2.5% | 龍谷大学 | 65 | 3.8% |
武蔵大学 | 78 | 2.3% | その他 | 21 | 1.2% |
明治大学 | 45 | 1.3% | 合計 | 1698 | 100.0% |
横浜市立大学 | 495 | 14.5% | |||
立命館大学 | 172 | 5.0% | |||
龍谷大学 | 1 | 0.0% | |||
早稲田大学 | 16 | 0.5% | |||
その他 | 358 | 10.5% | |||
合計 | 3417 | 100.0% |
(出所)GUESSS2023 Japanese Country Report, p.1、表1およびGUESSS2023 Japanese Country Report, p.2、表2をもとに筆者作成。
また、調査実施期間にも重要な違いが見られる。2021年調査が6–7月の2ヶ月間で実施されたのに対し、2023年調査は10月から翌年1月までの4ヶ月間にわたって実施された。この調査期間の違いは、回答者数や回答者属性の分布に影響を与えた可能性がある。
2.2 回答者属性の構造的変化 (1) 性別構成の変化回答者の性別構成は、この2年間で変化を示している。2021年調査では女性44.8%、男性54.3%、その他0.7%、無回答0.1%という構成であったのに対し、2023年調査では女性49.2%、男性49.9%、その他0.8%とほぼ同割合の性別構成となっている。
(2) 学籍構成の推移学籍構成においては、学部生の割合が支配的である点で一貫性が見られる。
2021年調査では学部96.6%、修士2.6%、博士0.4%、その他0.3%という構成であり、2023年調査では学部97.7%、修士1.6%、博士0.5%、その他0.1%となっている。この推移から、学部生の比率がさらに高まり、大学院生の比率が若干低下していることが観察される。
(3) 専攻分布の特徴専攻分布において特徴的な変化が観察される。
商学・経営学専攻の割合は2021年の53.8%から2023年には66.0%へと12.2ポイントの上昇を示し、回答者の専門分野の集中傾向が強まっている。一方で、工学(建築学含む)は7.9%から1.9%へ、コンピュータ・サイエンス/ITは8.8%から0.5%へと大幅な減少を示している(図1、2)。この変化は、調査参加大学の構成変化や各大学における回答促進方法の違いが影響している可能性がある。
(出所)GUESSS2021 Japanese Country Report, p.5、図2より引用。
(出所)GUESSS2023 Japanese Country Report, p.4、図2より引用。
回答者の国籍構成に関する情報の精度が向上している。2023年調査では無回答率が43.5%から11.5%へと大幅に減少し、より正確な国籍構成の把握が可能となった。日本国籍を持つ回答者が86.4%を占め、中国籍1.2%、韓国籍0.6%と続いている。この変化は、調査設定の改善を反映していると考えられる。
2021年から2023年にかけての日本の大学生のキャリア選択の変化(図3)を分析すると、大企業志向の強まりと起業意思の低下という特徴的な傾向が観察される。
(出所)GUESSS2021 Japanese Country Report, p.7、図3およびGUESSS2023 Japanese Country Report, p.6、図3をもとに筆者作成。
卒業直後のキャリア選択において、大企業(従業員250人以上)への就職希望が36.8%から38.4%へと増加し、中企業(従業員50–249人)への就職希望も15.3%から17.5%へと上昇している。一方、創業希望者の割合は3.0%から2.2%へと減少している。この傾向は、経済環境の不確実性の高まりを背景に、安定志向が強まっている可能性を示唆している。
世界平均との比較において、この傾向の特異性はより顕著となる。2023年調査では、卒業直後に創業を希望する割合が世界平均で15.7%であるのに対し、日本はわずか2.2%にとどまる。さらに、卒業5年後の創業希望率も、世界平均が30.0%であるのに対し、日本は8.6%と大きな開きが見られる。2021年調査においても同様の傾向が観察され、卒業直後の創業希望率は世界平均が17.8%であったのに対し、日本はわずか3.0%であった。卒業5年後の創業希望率についても、世界平均が32.3%である一方、日本は9.0%と顕著な差異が認められた。特筆すべき点として、2021年から2023年にかけて、世界平均の創業希望率は卒業直後で17.8%から15.7%へ、卒業5年後で32.3%から30.0%へと緩やかな減少傾向を示している。
3.2 性別による起業意識の差異性別による起業意識の差異も、この2年間で興味深い変化を見せている(図4)。2023年調査では、男性の卒業直後の起業意思が3.1%であるのに対し、女性は1.2%となっている。卒業5年後についても、男性が13.1%であるのに対し、女性は4.2%と、依然として大きな差が存在する。
(出所)GUESSS2021 Japanese Country Report, p.23、図23およびGUESSS2023 Japanese Country Report, p.23、図21をもとに筆者作成。
なお、活動起業家は、「あなたは、すでに自分の会社を経営している、または自営業者ですか」という質問に、「はい」と回答した者を指し、起業家予備軍とは「あなたは、現在、会社を設立または自営業を開業することに着手していますか」という質問に「はい」と回答した者を指す。
2021年から2023年にかけての変化については、「卒業5年後起業(日本)」における男性の比率が、12.0%から13.1%へと1.1ポイント増加している一方、「起業家予備軍(日本)」における男性の比率は6.6%から5.3%へと1.3ポイント減少している。また、全体的な傾向として、いずれの時点においても女性の起業関連活動比率は男性と比較して低位に推移している。
世界の調査結果と比較すると、この男女差の大きさは日本の特徴的な傾向として浮かび上がる(図5)。世界データでは、女性の起業意思は男性の7~8割程度を維持して(図4)いるのに対し、日本では約3割程度にとどまっている。この差は、日本における女性起業家育成の課題を示唆している。
(出所)GUESSS2021 Japanese Country Report, p.23、図24およびGUESSS2023 Japanese Country Report, p.23、図22をもとに筆者作成。
起業を志向する学生のキャリアパス選択にも、日本特有の傾向が観察される。卒業5年後に創業を希望する学生の卒業直後の希望進路を見ると、2023年調査では41.8%が大企業での就職を第一希望としており、この割合は2021年調査時の35.5%から増加している。一方、卒業直後からの創業希望は27.0%から22.6%へと減少している(図6、7)。
(出所)GUESSS2021 Japanese Country Report, p.9、図6より引用。
(出所)GUESSS2023 Japanese Country Report, p.8、図6より引用。
この変化は、日本の学生が起業に向けた準備段階として、大企業での実務経験をより重視する傾向が強まっていることを示している。特に、経営知識や実務経験の蓄積、人的ネットワークの構築など、大企業での就業を通じた能力開発を重視する傾向が強まっていると解釈できる。また、「まだわからない」の回答者が世界と比較して多い点も特徴としてあげられる。これは、日本の学生のモラトリアム傾向の強さを示唆するものである。
2021年から2023年にかけて、日本の大学生の起業活動は顕著な変化を示している。
卒業後すぐに創業者になろうと思う者の起業準備、起業活動状況については、活動起業家(Active Entrepreneurs)の比率は4.9%から0.2%へと大幅に減少し、起業家予備軍の比率も21.6%から3.2%へと低下している(図8)。この数値は、世界平均(活動起業家11.1%、起業家予備軍25.7%)と比較して極めて低い水準にある。
(出所)GUESSS2023 Japanese Country Report, p.9、図7より引用。
特に注目すべきは、「何もしていない」と回答した割合が57.8%から95.8%へと大幅に増加している点である。この変化は、起業に向けた具体的な行動を起こす学生が著しく減少していることを示している。
なお「両方」との回答は、「あなたは現在、会社設立または自営業を開業しようとしていますか」および「あなたはすでに自分の会社を経営しているまたは、自営業者ですか」という質問に、両方「はい」と回答した者を指す。
4.2 起業家予備軍の意向状態起業家予備軍の意向にも変化が見られる(図9)。特に、起業を本職とする意向について、日本の学生は世界平均と比較して消極的な姿勢を示している。
(出所)GUESSS2023 Japanese Country Report, p.11、図8より引用。
2023年調査では、起業家予備軍のうち、大学卒業後に起業する事業を本職にしようと考えている者の割合は26.7%にとどまり、世界平均の44.6%を大きく下回っている。
また、起業準備中の事業の共同創業者の人数分布にも特徴的な傾向が観察される。
「自分だけ(共同創業者なし)」の割合が2021年の49.6%から2023年は42.3%へと減少し、チームでの起業を志向する傾向が若干強まっている(図10、11)。特に、「共同創業者3人以上」の割合が日本では17.3%となっており、世界平均の5.8%を大きく上回っている点は注目に値する。
(出所)GUESSS2021 Japanese Country Report, p.12、図9より引用。
(出所)GUESSS2023 Japanese Country Report, p.12、図9より引用。
すでに起業を始めている活動起業家については、経営している企業のパフォーマンスに関する自己評価において、興味深い変化が観察される。
売上高の増加、市場シェアの伸長、利益の増加、雇用創出、革新性の5項目に関する7点尺度評価において、日本の活動起業家の評価平均は2021年の3.89から2023年には3.92とわずかな上昇を示している。しかし、世界平均(2023年:4.82)と比較すると依然として低い水準にとどまっており、特に5点以上の高評価をつけた割合は日本の11.1%に対し、世界平均は約40%と大きな開きが存在する。
2021年から2023年にかけての起業家教育の実施状況には、顕著な変化が観察される。
「起業家活動に関する科目を履修したことがない」との回答が45.6%から56.8%へと増加し、過半数の学生が起業家教育を受けていない状況が明らかとなった。一方、必修科目としての履修率は11.9%から10.8%へと微減している(図12、13)。
(出所)GUESSS2021 Japanese Country Report, p.18、図17より引用。
(出所)GUESSS2023 Japanese Country Report, p.17、図15より引用。
特に注目すべきは、2023年の起業家予備軍の者や卒業後すぐに起業したいと考えている者の履修状況である。この層では、特別プログラムの履修率が15.9%と18.9%となっており、全体平均(4.4%)を大きく上回っている。起業家予備軍の必修科目の履修率も23.2%と高い水準を示している。この傾向は、起業家教育が起業意思の形成に一定の影響を与えている可能性を示唆している。
5.2 家族要因の影響力家族の職業背景と起業意識の関連性について、両調査の比較から興味深い知見が得られている。
両親の自営業状況は、2021年から2023年にかけて若干の変化を示している(表3)。両親とも自営業者ではない割合が82.1%から81.0%へと微減する一方、父親が自営業者である割合は12.3%から14.4%へと増加している。対照的に、母親が自営業者である割合は2.2%から1.7%へと減少し、両親とも自営業者である割合も3.3%から2.9%へと低下している。
2023年調査 | 2021年調査 | 2018年調査 | |
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両親とも自営業者ではない | 81.00% | 82.10% | 79.90% |
父が自営業者 | 14.40% | 12.30% | 14.80% |
母が自営業者 | 1.70% | 2.20% | 2.10% |
両親とも自営業者 | 2.90% | 3.30% | 3.30% |
(出所)GUESSS2023 Japanese Country Report, p.24、表5より引用。
特筆すべきは、親の自営業と子の起業意識との関連性の変化である(図14、15)。2023年調査では、母親が自営業者である場合、回答者の起業活動率が6.9%と最も高く、起業家予備軍の比率も17.2%と突出している。これは2021年調査と比較しても顕著な特徴となっている。また、卒業5年後の起業意思についても、母親が自営業者である場合が13.8%と高い水準を示している。
(出所)GUESSS2021 Japanese Country Report, p.24、図25より引用。
(出所)GUESSS2023 Japanese Country Report, p.24、図23より引用。
2021年から2023年にかけての分析結果は、日本の大学生における起業意識の構造的な変化を示唆している。特に以下の3つの側面から、この変化の本質を考察することができる。
第一に、安定志向の強化である。大企業への就職希望が36.8%から38.4%へと増加する一方、創業希望者は3.0%から2.2%へと減少している。この変化は、経済的不確実性の高まりを背景とした、キャリア選択における保守化傾向を反映していると考えられる。
第二に、起業準備活動の後退である。「何もしていない」との回答が57.8%から95.8%へと急増している事実は、起業に向けた具体的行動を起こす学生が著しく減少していることを示している。この変化は、単なる意識の問題を超えて、行動レベルでの起業離れが進行していることを示唆している。
第三に、女性の起業意思は男性の約3割程度にとどまる状況が継続している。また、男性より女性の起業意思が低い傾向は世界的に観察される現象であり、GUESSS調査参加国においても同様の傾向が確認されている。
6.2 起業家教育の効果と課題起業家教育の実施状況と効果に関する分析からは、複雑な課題構造が浮かび上がる。必修科目としての起業家教育実施率は11.9%から10.8%へと微減しているとともに、「履修したことがない」との回答は45.6%から56.8%へと増加している。この状況は、起業家教育の普及が一部の大学や学部に依然偏在している可能性を示唆している。
特に注目すべきは、起業準備中の者や起業意思を持つ者における起業家教育の履修率の高さである。起業準備中の者や卒業後すぐに起業したいと考えている層では、特別プログラムの履修率が15.9%と18.9%と全体平均(4.4%)を大きく上回っている。この事実は、起業家教育が起業意思の形成に一定の効果を持つ可能性を示す一方で、その効果が現状としては、限定的な層にとどまっている可能性も示唆している。
6.3 環境要因の影響力家族背景の影響力に関する分析からは、興味深い知見が得られている。両親の自営業状況と起業意思の関連性において、特に母親が自営業者である場合の影響力が顕著である。2023年調査では、母親が自営業者である回答者の起業活動率が6.9%と最も高く、起業家予備軍の比率も17.2%と突出している。
この傾向は、起業意思の形成における役割モデルの重要性を示唆すると同時に、特に女性起業家の存在が次世代の起業活動に与える影響の大きさを示している。しかしながら、母親が自営業者である割合自体が2.2%から1.7%へと減少している現状は、このような好影響が限定的な範囲にとどまっていることを示している。
6.4 政策的含意と展望本研究から得られた知見は、以下の政策的含意を示している。まず、起業家教育の質的転換が求められる。座学中心の教育から、実践的な起業活動を組み込んだプログラムへの転換が不可欠である。
次に、女性の起業活動支援の体系化が重要である。母親の自営業経験が子世代の起業活動に正の影響を与えるという分析結果は、ロールモデルの重要性を示唆している。
さらに、段階的支援の確立が必要である。卒業5年後の起業希望者の41.8%が大企業就職を希望している現状は、就業後のキャリアチェンジとしての起業支援の重要性を示している。
本研究のGUESS調査(2021年・2023年)の分析は、日本の大学生における起業意識と活動の実態について、安定志向の強化、起業家教育の限定的な効果、そして性別による顕著な差異という三つの主要な特徴を明らかにした。これらの発見は、日本の起業家育成における構造的な課題の存在を示唆している。一方で、教育機会へのアクセスと起業活動との関連性や、ロールモデルの重要性など、今後の施策展開において有用な知見も得られている。
しかしながら、これらの知見の解釈と応用にあたっては、本研究が持つ方法論的な制約についての検討も必要である。以下では、本研究の主要な限界と、それらを踏まえた今後の研究課題について考察を進める。
7.2 研究の限界と今後の課題本研究には方法論的観点から複数の限界が存在する。
第一の限界は、調査における回答者数の差異である。この差異は、年度間の比較分析の精度に影響を与える可能性がある。
第二の限界は、調査実施時期の違い(2021年:6–7月、2023年:10–1月)による季節要因の存在である。就職活動や学事暦との関係で、回答傾向に偏りが生じている可能性は否定できない。
第三の限界は、回答者の専攻分布の偏り(商学・経営学専攻者が2023年で66.0%)である。この偏りは、分析結果の一般化可能性に一定の制約を課している。
これらの限界を踏まえ、今後の研究においては以下の課題に取り組む必要がある。
第一に、起業家教育の効果に関する質的研究の深化である。特に、教育プログラムの内容や実施方法と、学生の起業意識や行動の変化との因果関係について、より詳細な分析が求められる。
第二に、女性の起業活動を促進・阻害する要因の詳細分析である。ロールモデルの影響力に関する知見を踏まえ、効果的な支援策の開発に向けた実証研究が必要とされる。
第三に、国際比較による日本固有の文化的要因の解明である。起業意識の形成における文化的背景の影響について、より体系的な分析が求められる。
以上の課題に取り組むことで、日本における起業家育成の実態とその課題について、より深い理解が得られることが期待される。特に、教育効果の測定方法の確立や、性別による差異の背景要因の解明は、今後の政策立案において重要な示唆を提供するものと考えられる。