2025 年 22 巻 p. 39-79
企業・金融・情報のグローバル化と政府機能の新自由主義的転換を主要なダイナミズムとして展開した経済グローバル化は、IT・ITC技術革新、金融革新を含む幅広い制度・組織革新を誘発し、アメリカを軸として「グローバル成長連関」という新たなグローバルな経済成長のシステムを出現させた。しかし、とりわけその金融メカニズムの制度不備・システム欠陥が最大の原因となって、アメリカ発のグローバル金融危機・経済危機が発生したことを最大の転機として、「ディグローバリゼーション」の趨勢が現れ、「グローバル成長連関」の変質と再編が進むこととなった。危機対応で異例に大規模な財政・金融その他の政府機能の発動により国家が再び前面に現れ、市場主義と新自由主義的理念は大きく後退した。主要国で国内成長連関を重視する動向が現れ、なかでも中国の成長戦略の転換は、アメリカの政治・軍事・経済覇権に挑戦するものとなったため、中国の「デカップリング」・「デリスキング」と先端技術の対中国流出規制などアメリカの国家戦略的対応によって、「ディグローバリゼーション」の構造的趨勢を生じた。そこに新型コロナのグローバル・パンデミック、ロシアのウクライナ侵攻が加わり、「地政学的リスク」などグローバルリスクと不確実性が拡大し、GSC/GVCの再編など、中長期的にも「グローバル成長連関」の分断化や再編と、ディグローバリゼーションの趨勢を促している。そうした動向は、複雑な要因が関係するが、再び大きな制度・組織革新とシステム転換をもたらすものである。
As is discussed in the previous paper, economic globalization, propelled by major dynamic forces of globalizing corporations, finance, and information systems, coupled with the neoliberal transformation of government functions, has spurred extensive institutional and organizational innovations. These innovations extend beyond reforms in production systems, labor relations, and corporate structures, encompassing breakthroughs in IT, ICT, and financial systems. This process facilitated the emergence of a new global economic growth framework—the “global growth linkage”—centered around the United States. However, it brought about the global financial and economic crisis in the late 2000s. It marked a pivotal turning point toward “de-globalization.” In response to the crisis, unprecedented fiscal, monetary, and policy interventions by governments reasserted the role of the state in economic management. Market-driven ideologies and neoliberal principles, which had previously underpinned globalization, receded from prominence. Major economies, including the United States, have exhibited a tendency toward reconstructing domestic economic growth linkages. Notably, China’s shift in its growth strategy not only posed a direct challenge to U.S.-centered global growth linkages but also confronted U.S. global politico-economic hegemony. In response, the United States has adopted strategic countermeasures, including economic “decoupling,” risk mitigation (“de-risking”), and trade restrictions on advanced technologies targeting China. These measures have contributed to the structural trend toward de-globalization. These shifts have been further compounded by the impacts of the COVID-19 pandemic, along with the economic sanctions and logistical disruptions resulting from Russia’s invasion of Ukraine. These events have heightened geopolitical risks and deepened global uncertainties. While these trends are driven by complex factors and their medium- to long-term outcomes remain uncertain, the long-term fragmentation of global growth linkages—such as the reconfiguration of global supply chains and value chains—appears increasingly likely. Such developments are expected to necessitate large-scale institutional innovation and systemic transformation.
前稿(河村(2024a))では、企業・金融の制度・組織革新と情報技術革新、および政府機能の革新による経済システムの転換という視点から、1990年代に顕著となった企業・金融・情報のグローバル化と政府機能の新自由主義的転換を中心とした、経済のグローバル化によって、アメリカを軸としてグローバルに経済成長を加速する新しい経済システムとして、「グローバル成長連関」―「グローバル・シティ」の都市機能とそのネットワークの重層的発展およびニューヨーク金融ファシリティをグローバル金融センターとするグローバルな資金循環構造(「新帝国循環」)が複合した関係―が出現したことを論じた。
本稿では、「グローバル成長連関」の出現までを論じた前稿を受けて、「グローバル成長連関」の情報・情報通信技術の技術革新および「金融革新」と、1990年代後半のアメリカにおける「ITブーム」とその崩壊、それに代わって進行した「住宅ブーム」とその崩壊を通じたアメリカ発のグローバル金融危機・経済危機のインパクトのもとで生じた、グローバル化に逆行する「ディグローバリゼーション」の趨勢の出現と、それに伴う制度・組織転換を含む経済システムの転換の可能性について論じる。
最初に、1980年代以降、企業・金融の制度・組織革新とグローバル化に大きな影響を与えた主要な技術革新である、情報・情報通信技術革新の発展の動因とメカニズムをみて、次いで、グローバル金融危機・経済危機を発現して、経済グローバル化の大きな転機を与えることになった「グローバル成長連関」の金融的メカニズムに帰結した金融革新の特徴を明らかにする。続いて、グローバル金融危機・経済危機と、その下での中国の成長戦略の転換とアメリカの政治・軍事、経済覇権への挑戦の問題、そこにさらに加わった新型コロナウィルスCOVID-19によるグローバル・パンデミックとロシアのウクライナへの侵攻の問題を中心に、「ディグローバリゼーション」の趨勢とその主な論点を論じる。
前稿で見たように、1970年代後半以降、それまでのアメリカの戦後企業体制の経営環境が大きく変化し、企業システムの転換圧力が大きく増した。国内における高賃金・高エネルギーコストによるコスト圧力の高まり、変動相場制による国際競争基準の流動化、不安定化した成長と市場変動による不確実性が大きく高まった。アメリカの国内産業・企業は1960年代のような「成熟した寡占体制」を維持できる条件は大きく失われ、グローバル化した市場をめぐって、世界的規模で、アメリカ、日本およびヨーロッパ、さらには、新たに登場してきた韓国、台湾などアジアNINEsの大企業・巨大企業が、合従連衡を含んで、グローバルな市場で相互に激しく競争する「メガコンペティション」という事態が顕著となった1。1980年代以降顕著に進んだ、コンピューター、マイクロエレクトロニクス(ME)技術と情報ネットワーク技術(一括して、情報技術Information Technology=IT、ないしは情報通信技術Information and Communication Technology=ICTと表現する)の急速な発展は、そうした1970年代以降激変した経済環境に対応する、金融を含むアメリカの主要企業の経営革新、生産革新および金融革新の技術として、相互促進的に加速されたものであった。
第1に、労働コスト・エネルギーコストの高騰と国際競争の激化による市場変動の拡大に対応して、生産現場では、生産革新の重要な手段の一つとして、「ME自動化」が追求された。コンピューター・情報通信技術革新を軸とする、ME(マイクロエレクトロニクス)化技術は、技術学的に、従来のメカニカルな機械化・自動化と異なって、「伝統的な機械原理の制約」を離脱させる柔軟化・弾力化技術として、生産ラインの多品種生産化・フレキシブル化を促進し、同時に、省エネルギー・省力化を実現する新技術として脚光を浴び、1980年代から、FMS(Flexible Manufacturing System)や、CIM(Computer Integrated Manufacturing)などの導入を含む、FA(Factory Automation)化が幅広く追求された。
第2に、こうした生産革新と並んで、コンピューター・ME技術、さらに情報通信技術(IT/ITC)は、電子メールやLANの活用など事務部門の合理化や中間管理層の削減など、経営組織のフラット化などの経営組織の革新にも幅広く活用された。また、グローバルに広がったアウトソーシング、オフショアリングの管理としてサプライチェーンマネジメント(SMC)やグローバルな財務管理等、グローバルな事業管理の重要な手段となって、企業のグローバル化と相互促進的に発展することになった。
1970年代までの半導体・コンピューター・情報通信技術の発展―大規模集積回路(IC, LSI)の発展と相まったコンピューターの発展と一連のネットワーク技術革新―をベースとして、1980年代のME技術革新とネットワーク技術革新は、IBMを中心とするメインフレーム・コンピューターの発展とパーソナル・コンピューター(PC)の登場を大きな特徴として進んだ。PCがOA、FAに幅広く活用されると同時に、後のインターネットの爆発的普及につながる一連のネットワーク化の技術革新大きく進んだ。
コンピューターの普及に伴い、複数のコンピューターの相互接続によるデータ共有のため、当初は、クライアント-サーバ型の企業内ネットワーク(LAN)が発展した。とりわけ、1970年代初めのイーサネット(Ethernet)の発明(1973年、ロバート・メトカーフによる)とTCP/IPの登場、およびOSとしてUNIXが登場したことが大きな役割を果たした。1980年代に入ると、PCやワークステーションによるより小規模ネットワークが構築され、とりわけイーサネットが国際的な標準規格IEEE 802.3として承認され、LANの普及が加速した。1980年に設立されたNovell社は、LAN用のオペレーティングシステムNetWareを提供し、企業向けネットワーク構築に大きく貢献した。インターネットの原型となるARPANETやNSFNETが登場するとともに、AOLに代表される電子メールサービスが大きく普及した。金融面では、大規模な銀行間のオンライン決済システムが発展した。
とくに1980年代には、EDI(Electronic Data Interchange)システムの登場により、企業間のデータ交換が容易となり、グローバル・オフショアリング、アウトソーシングとそれに伴う生産拠点および部品・資材調達網の統合的管理に活用されることになった(1982年には、Supply Chain Management-SCMの用語が登場)。1980年代に、ANSI(American National Standards Institute)(アメリカ国家規格協会)により認可されたANSI X12が、北米およびアメリカとの取引がある国々、さらには特定の業界ではアメリカ国外でも広く使われ、特に国際取引やアメリカ企業のサプライチェーンで採用されることとなった。国際的には、1987年に、国際連合UN/CEFACT(United Nations Centre for Trade Facilitation and Electronic Business)によって、欧州のEDI標準であるTDI(貿易データ交換指針書)と米国のEDI標準であるANSIX12をもとに統合化して策定されたUN/EDIFACT(国連商業・交通・管理分野における電子データ交換)が、国際標準規格として幅広く利用されるようになった2。
1980年代のこうしたネットワーク技術革新をうけ、インターネットの登場とその爆発的な普及が1990年代の最大の特徴となった。インターネット技術そのものは、もともと核攻撃に対する通信確保のために開発されたともいわれる国防高等技術研究所(Advanced Research Project Agency: ARPA)による「アーパネット」(ARPANET)に起源をもつ3が、全米科学財団(NSF)・大学・研究所等の同様のネットワーク化のさまざまな試みの中で、戦後東西冷戦の終結直後の1991年に全米科学財団(NSF)が、インターネットの商業的使用に関する制約を外したことで初めて商用利用が可能となった。同年、スイスのCERNによるWWWプロトコルの公開を経て、1993年にグラフィカル・ユーザーインターフェイス(GUI)を備えたソフトウェア「モザイク」の試用版が発表されて、一般への普及が大きく加速した。アメリカ商務省も、1993年をインターネットが大衆に広く開放された年としている(U.S. Dept. of Commerce(1998)訳: 12)。
同年のアメリカのインターネット利用者は、500万人弱にすぎなかったが、その後、1990年代後半に急速に普及が加速し、2000年8月には、1億1650万人に達し、翌年には総人口に占める利用率は50%を超えた(US Dept. of Commerce(2002)Table 2-2による)。
クリントン政権のアル・ゴア副大統領によるスーパーハイウェイ構想と1996年のテレコム法によって、光ファイバーケーブルの敷設も急増し、1996年に約16%、98年には21%以上も増加した。また、DSL、ケーブル接続なども拡大した(USCEA(2000)訳: 88–93)。
世界的にもインターネット利用者は爆発的に拡大した。とりわけ、1990年代には、光海底ケーブルシステムが、光増幅技術と波長分割多重(WDM)伝送技術の導入による伝送容量の飛躍的向上とともに、グローバルなブロードバンド・ネットワークにとって不可欠なインフラストラクチャーとして発展した。さらに、2000年代からは、iPhoneを初めスマートフォンの急速な普及により、世界のインターネット利用は大きく加速された4。国際電気通信連合(ITU)によれば、世界のインターネット利用者数は、2005年に1億人を超え、2023年には54.4億人に達した5。利用者数の急速な拡大によって、1990年代後半にはインターネットが、金融サービス、ニュースや情報の提供、製品販売、旅行やイベント予約などを個人や企業に提供する、本格的なビジネスの場を提供する媒体として大きな注目を集めることになった(以上全体に、ibid.訳第2章)。
インターネットに代表される1990年代の情報・通信技術革新は、応用範囲が非常に広い汎用技術的性格のため、企業、消費者、生産システム、部品調達や金融、流通など、社会・経済のあらゆる分野に関わり、それまでの関係を一新して、ビジネスの効率化や新しいビジネスモデルを生み出し、ビジネスチャンスを大きく拡大する潜在力を持つものとして注目された。そのため、経営組織のダウンサイジング化やフラット化など経営革新への活用が一段と加速され、企業財務や経営管理、SCMを含む企業間商取引(B2B)やe-コマース(電子商取引)、その他、新しいビジネスモデルが登場し、ベンチャービジネスの活況を生んだ。激しい国際競争にさらされた産業・企業が、事業のグローバル化の手段としても、幅広く導入を進めた。その結果、アメリカ経済において、産業的にも比重を高めて、大きく「IT部門」が出現するとともに、企業のグローバルな事業ネットワークおよび次に見る金融グローバル化にとって、重要なインフラストラクチャーとして、「グローバル成長連関」の最も特徴的な構成要素となったといってよい。
さらには、在宅勤務(リモートワーク)の可能性などの就業形態の変化なども含め、社会経済や日常生活のあらゆる分野で従来の形態を一新してしまうかのごとく現れた。そうした、いわば革命的な社会経済的影響から「IT革命」として、農耕革命、産業革命に続く、人類史上特記すべき技術革新として、アルビン・トフラー流の「第3の波」の本命と目されるようになった6。
2.2 「ITブーム」のバブル的発展と「グローバル成長連関」の金融メカニズム「ITブーム」のバブル的発展 IT・ICT技術革新が、とりわけ1990年代に大きく進展したメカニズムには、「グローバル成長連関」の金融メカニズムと関連した、もう一つの重要な側面があった。それは、1990年代後半からの、ベンチャーキャピタルを中心とした大量の資金がITおよびその関連部門に流入し、とりわけアメリカのシリコンバレーを中心に、インターネット関連のベンチャービジネスの新企業(いわゆる「ドット・コム企業」)の設立が活況を呈し、「ITブーム」がバブル的に発展したことである。
IT関連のベンチャーキャピタル投資動向をみると、1990年前半からソフトウェアおよびITサービスを中心に増加傾向を強めているが、とりわけ1999年第1四半期以降急増した。1999年前半期には、ベンチャーキャピタル産業は、年率換算で250億ドルの資金を集め、その3分の2がIT(情報技術)部門に投じられ、うち約4分の3はインターネット企業に投資された。
(出所)Pricewaterhousecoopers/National Association of VentureCapital(https://www.pwcmoneytree.com/MTPublic/ns/)より作成。
「IT革命」の旗手として登場したインターネット関連の「ドットコム企業」など新興企業・ベンチャー企業による、IT/ICTによる新たなビジネスモデルへの過大な期待をもとに、好況が生み出した大量の投資資金の流入が促進され、IPO(新規上場)ブームを生みつつ、NASDAQを中心に株価上昇を加速した。それがさらに、新興ネット企業によるIPOや増資を通じた巨額の資金調達を可能とし、IT・ネットワーク技術の顕著な発展を企業経営に生かそうとする主要企業の動きも相互促進的に加わって、IT設備投資を一段と刺激した。その結果、NASDAQを中心とするIPOブームの加熱と活況を伴う「ITブーム」が加速し、さらに光ケーブルやネットワーク用通信機器など、IT関連設備投資が一段と促進されるという拡張の連関が大きく登場することになった7。NASDAQの株価も急騰を開始し、時価資本総額に占めるIT関連株の比重は大きく高まった。また、アメリカのGDPのほぼ3分の2を占めるサービスセクターのうち、金融、保険および企業向けサービスや法律サービスなどの専門サービス部門、知識基盤型産業で、情報テクノロジーの比重が大きく高まった(USCEA(2000)訳: 87–88)。
しかし、「ITブーム」を加速した1999年からのIT関連への大量の資金流入は、多分に投機的性格を帯びたものとなった。そうした資金流入は、直接には、1997年7月に始まるアジア通貨・金融危機(1997年5月~)と日本の金融危機(1997~98年)、ロシア財政危機(1998年)による「質への逃避」を契機に、内外の大量の資金がアメリカの「ITブーム」を目指して流入したものであったが、経済システムの全体的視点から見ると、より大きな構造として、「グローバル成長連関」における金融側面の特徴となったシャドウバンキングの発展を含む「ファイナンシャリゼーション」(金融膨張)のメカニズムが大きく作用したものであった。実際には、アメリカの外で発生した周辺部の通貨・金融危機を招いたのと同じ関係によるものであった。「グローバル成長連関」の金融側面については、次に立ち入って論じるが、この点はここで強調されてよい。
こうした大量の資金流入に支えられた1990年代末の「ITブーム」は、実際には実体以上の期待に基づくブームであり、希薄な根拠に基づく性格が強かった。多くのインターネット関連ビジネスのベンチャー企業(いわゆる「ドットコム企業」)のビジネスモデルは、IT革命の潜在的可能性を短期的な収益見込みと混同した超楽観的なものが多かった。その株価形成は、数十年先までの収益を先取りしたものであり、「バブル」そのものであった8。
2.3 「ITブーム」の崩壊と「住宅ブーム」へのシフト「ITブーム」のバブル的発展の崩壊 こうした1990年代末の「ITブーム」のバブル的発展に刺激されて経済拡大が加速したにもかかわらず、1997年頃から、かつて想定されたNAIRUよりも失業率がかなり下がり、4.0%前後まで低下しても、インフレは加速しなかった。このため、「ニューエコノミー」論が登場した。IT活用の効果による生産性上昇が、コスト上昇圧力を吸収してインフレの発展が抑制されること、またITの顕著な発展とその応用により在庫変動が縮小されるなど、情報化が「見込み」の不確実性を減少させて景気の振れを縮小し、インフレなき持続的経済拡大を可能とする、といった見解が現れた(Webner(1997)など)。
実際には、「ニューエコノミー」現象に対する「IT革命」の効果は限定的であり、むしろ企業のグローバル化による価格低下の効果が大きく作用したものとみるべきである9が、「ITブーム」のバブル的発展と景気の過熱によって、1999年から2000年前半にかけて、労働力不足や原油価格上昇などのインフレ傾向と、貯蓄率の大幅な低下など、長期経済拡大に伴う限界が顕在化し、低位に推移していたインフレ率は1998年から上昇に転じ、消費者物価(BLS, CPI季節調整済み総合指数)は、1999年前半には、前年同期比で2%を超え、2000年2月からは3.7%に高まった。
それに対応して金融政策が引き締めに転じた。1999年8月から連邦準備制度(グリーンスパン議長)は小刻みな金融引き締めに転じ、とくに2000年5月16–19日には、フェデラル・ファンド誘導利率が一気に0.5%引き上げられた14。これを契機に、NASDAQ株価は暴落に転じ―2001年9月初め(「9.11テロ」の直前)までに3分の1近くまで下落―、「ITバブル」は崩壊した。多くのビジネスモデルが想定した収入見込みが大きく減退してくると、〈株価下落→資金流入の現象→経営難→株価下落〉といったデフレスパイラルに陥る。その結果、低収益や赤字続きであった「ドットコム企業」やIT関連ベンチャー企業の経営困難と破産が拡がり、「ITバブル」は崩壊した。インターネット関連のさまざまなビジネスモデルが破綻して、「ドットコム」企業は厳しい淘汰に直面し、多くは破綻したが、そうしたプロセスで、「ネットワーク外部性」の特性を最大限に活用して、有力なIT・ネットワーク関連のビジネスモデルを発展させていた企業は寡占化し、「プラットフォーム」型ビジネスにより成功を収め、「グローバル成長連関」の情報ネットワークインフラの重要なアクターとして発展した。その代表格が、GAFAMであった10。
こうして、企業・金融の経営革新と相互促進的に発展したIT/ICT技術革新は、とりわけ1990年代後半からのインターネットによるグローバルな情報ネットワークの発展を通じて、GAFAMやオラクル、あるいはクラウドと企業向けソリューション事業に転換したIBMなどを筆頭とするIT企業を主要な担い手として、海運・空路による人流・物流ネットワークとともに、「グローバル成長連関」の基幹的な経路として、大きく発展するに至った。また、半導体のインテルやAMD、NVIDEA、ネットワーク機器のシスコ・システムズやルーセントなど、IT・ネットワーク機器・装置産業の主要企業も、ファブ-ファブレス関係による鴻海や、TSMC(台湾積体電路製造)など、グローバルなIT産業集積とその事業ネットワークを発展させており、「グローバル成長連関」の重要な構成部分を形成している11。
同時に、そうしたグローバルな情報ネットワークを重要なインフラストラクチャー(ないしは「プラットフォーム」)として、とりわけ1980年代以降「IT革命」が相互促進的に発展させた「金融革新」を通じて、シャドウバンキング・システムの発展を伴う、新たな金融システムの出現を伴い、「ITブーム」(とそのバブル的発展)を促進する大きなフレームワークとして作用した。
「住宅ブーム」へのシフト 1990年代末に加速した「ITブーム」のバブル的発展の崩壊後、FRBによる大幅な金融緩和と大型のブッシュ減税を中心とした景気浮揚政策に、「9.11」に対応した国土安全保障関係とアフガン・イラク戦争戦費支出が加わって、景気の大幅な下降は回避された。とりわけ極端な金融緩和措置がとられた。2000年1月から金融緩和に転じていたFRBは、「9.11テロ」の衝撃によるニューヨーク金融市場の麻痺に対応した緊急利下を実施し、連銀割引率とFFレートは、10月・11月初めにそれぞれ0.5%ずつ引き下げられ、最終的には、2002年1月後半には2.0%と1.0%という極端な低水準となった―直前のピークは2000年5月後半のそれぞれ6%、6.5%(BGFRSによる)。2000年代初めのこうした極端な金融緩和が、崩壊した「ITバブル」から住宅金融へと流動的投資資金を大きくシフトさせ、1980年代以降、大きく進展した「金融革新」によって出現した「グローバル成長連関」のもう一つの重要な構成要素となっていた金融メカニズム、とりわけ「シャドウバンキング・システム」―証券化メカニズムを核とする「仕組み金融」(structured finance)を大きな特徴とする―が、投機的金融操作を拡大しながら、「住宅ブーム」をさらに拡大した12。
続いて、制度・組織革新と新たなシステム形成という視点から、1980年代以降顕著に進んだ「金融」革新を通じて「グローバル成長連関」の金融メカニズムの最大の特徴となった「シャドウバンキング」システムの発展をみて、それが内包したシステミック・リスク等の制度不備・システム欠陥についてみることにしよう。実際には、そうした「シャドウバンキング・システム」の制度不備とシステム欠陥が、2000年代末のアメリカ発のグローバル金融危機・経済危機を発現させる最大の原因となり、それまでのグローバル化を反転させる「ディグローバリゼーション」の趨勢を生じる大きな原因を与えることになった。
1980年代から大きく進んだ「金融革新」と金融グローバル化は、1970年代初めの金・ドル交換性の停止と変動相場制への移行を中心とした戦後の国際通貨・金融システムの変容が最大の原因となって進行したが、とりわけ「レーガノミクス」が生み出した「双子の赤字」を原因とする「ドル不安」の高進と関連しながら、レーガン政権の金融自由化―1960年代末以来のインフレの高進による、ニューディール型銀行・金融規制のもとで促進された「ディスインターメディエーション」が最大の動因―によって大きく促進されて進んだ。
1971年8月のアメリカによる金=ドル交換性停止と変動相場制への移行は、金融市場の変動リスクと「不確実性」(uncertainty)を低減する戦後の制度装置が大きく弱体化したことを意味していた。その結果、為替市場・金融市場のボラティリティが大きく拡大し、変動リスクが大きく高まり、また金融危機など不測の事態の発生による金融市場の「不確実性」が大きく増大した。それに対応して、とりわけ1980年代に、コンピューターと情報通信技術のIT・ICT技術革新と相まって、「金融革新」が大きく進んだ13。
1980年代にとくに目立ったのは、前稿で見たように、苦境に陥ったアメリカの基幹産業の主要企業による戦後企業体制の組み替えの模索と関連したジャンク・ボンド、LBOローン等のM&A金融操作と、それと並んで、金融工学的手法を駆使して、デリバティブなどの新金融商品と複雑なリスクのヘッジ操作を組み込んだ、プログラム取引、ポートフォリオ・マネジメントなど、コンピューターとネットワーク化を活用した新たな金融操作手法の発展が大きく加速され、金融市場をまたがるクロスボーダーの金融操作・金融取引が大きく拡大したことであった。これが顕著な金融のグローバル化として現れるとともに、アメリカの銀行、投資銀行、証券会社や年金基金などの機関投資家やヘッジファンド等は、国内金融規制を脱し、コンピューター・IT技術革新と相互促進的に、金融業務・金融操作のグローバルなネットワークを発展させ、金融グローバル化を進展させながら、金融市場の「カジノ化」(Strange(1986)、(1998)など)と表象される事態を、グローバルな規模で広範に展開することになった。
上述のように、1990年代末にかけての「ITブーム」は、「シリコンバレー」を筆頭とするIT集積とベンチャー・ブームが、ニューヨーク証券市場(とくにNASDAQ)と金融ファシリティを結節点として、大量の投資資金、投機的資金を引きつけ、ニューヨーク金融市場の金融膨張をベースとして、経済拡張の一大ブームを生じたものであった。「ITバブル」の崩壊を受けて、流動的な投資資金が、2001–03年の低金利・住宅政策に促進されて、IT部門やIT関連のベンチャー投資から、「仕組み金融」・証券化メカニズムを通じて、住宅金融市場に大量に流入し、とくにサブプライム・ローン関連の高リスク証券化商品に集中して高収益を上げる関係にシフトした。その結果、ニューヨーク金融市場を中心に金融膨張する関係が、住宅ブームのバブル的発展を加速することになったのである(以上、河村(2024)II-2(1)もみよ) 。
3.2 「証券化メカニズム」を中心とするシャドウバンキング・システムの拡大と住宅ブームの発展142008年秋、リーマンブラザーズの破綻前後にとみに深刻化したアメリカ発のグローバル金融危機は、直接には、1990年代から続く「住宅ブーム」15が、「ITバブル」の崩壊後に急速に進行した「住宅バブル」に発展し、それが、証券化メカニズムを核とする「仕組み金融」そのものが内在した問題の発現を通じて崩壊したものであった。そのため、現象としては「投機の発展とその崩壊」(“bubble and bust”)として捉えられている。しかし、前稿でも論じた「グローバル成長連関」の重要な特徴の一部であった、いわゆる「ファイナンシャリゼーション」(「金融化」ないしは「金融膨張」)と「金融市場のカジノ化」を大きな特徴とする金融システムの問題が基本的な構造を与えていた16。
1980年代半ばから大きく進展した、コンピューターを駆使した「金融工学」(financial engineering)の顕著な発展を通じた各種の金融革新は、その制度・組織革新とシステム形成という視点から見ると、証券化操作を含む「仕組み金融」(structured finance)の大きな発展を最も重要な一環としていた。証券化操作は、不動産抵当証券(モーゲージ)や、その他の債権・資産プールを裏付けに小口証券を発行するものであり、クレジット・デリバティブの一種として、各種ローン・債権あるいは資産のプールを担保として、MBS・RMBS、ABS、さらにはCLO、CDOなどの証券化商品の発行が大きく拡大した。その規模は、1970年にはゼロであったのに対し、2003年には、総額6.6兆ドルに達したとされる。その中心を占めたのが、住宅モーゲージ担保証券(Residential Mortgage Backed Securities-RMBS)であった。
RMBSは、1970年の政府支援企業(GSE)によるモーゲージ・パススルー証券の発行に始まるとされる―Ginnie Maeが保証、続いてFannie Mae、Freddie Macが続く―が、1983年には最初のCMOモーゲージ担保証券が発行され、1986年の租税改革法(the Tax Reform Act of 1986)の一部として、不動産抵当投資コンジット(REMIC)が創設され、Fannie MaeとFreddie Macが最大の発行者となった。1985年には最初のABS(Asset-backed Securities)―the Sperry Lease Finance Corporationによるコンピューター設備リースを裏付けとしSPVを利用―が発行され、また最初の自動車ローンのCDOが発行された。さらにクレジットカード債権、ホームエクイティローン、移動式住宅ローン、学生ローン、エンターテインメント・将来ロイヤリティのプールなどを裏付けとする証券化が進んだ―この時期には、クレジットカード債権、自動車ローン、ホームエクイティローンがABSの60%を占め、残りの大部分は、移動式住宅ローン、学生ローンリース、設備リースであった―が、さらに自動車リース、小企業ローン、滞留費用回収(stranded cost recovery)にも拡大した。
こうした証券化操作においては、金融工学によるリスク評価に基づいて、証券化・再証券化の各組成段階で、原商品を層別に切り分け、金融工学を駆使してリスク配分を調整し、さらに高格付けを獲得する関係を組み込んで、多種多様な証券化商品が作りだされ、複雑な「仕組み金融」(structured finance)のシステムが作り出された。
一般的には、ローリスク・ローリターン(上位)のシニア、ミドルリスク・ミドルリターン(中位)のメザニン、デフォルトが起これば最初に損失を被るハイリスク・ハイリターン(下位)のエクイティのトランシュに切り分け、原格付けがBBB(投資適格の最低格)のRMBSを組み込んでも、シニアはAAA(同最上格)を取得可能とし、AAAのシニアを組成することで生じる全体のリスクの歪みは、エクイティ部分に押し込められた。さらに、SPVs(Special Investment Vehicles、特別目的会社)―とりわけ、ABCP Conduit(資産担保コマーシャルペーパー・コンジット)―を活用したオフバランス化を通じて、住宅担保貸し付けのオリジネーターのバランスシートからリスクを切り離す操作が広く活用された(Acharya et al.(2013))。
さらに1971年に地方債から始まったモノラインによる複雑な仕組み債への保険付与が、1990年代の規制緩和を受けて一般化した17。加えて1990年代末からは、CDS(Credit Default Swap)が、信用リスク・エクスポージャをバランスシートからCDS提供者に移転する手段として広く利用され―1994年にJ.Pモルガンによって創成され、1997年に契約が整備されて普及が開始―、グローバルにリスクが分散されることになった18。証券化、再・再々証券化を伴うリスク分散操作に、そうしたリスクヘッジ操作が組み合わされ、「仕組み金融」が、一つのシステマティックなスキームとして大規模に展開されるようになった(図2)。
(出所)日本銀行『金融システムレポート』2008年3月p.5、図表B1-1:米国サブプライム住宅ローン関係の証券化の構図をもとに作成。
こうして、1980年代から始まった金融工学を駆使した複雑なリスク分散・リスヘッジのスキームを伴う一連の「金融革新」は、「IT革命」と相互促進的に進行し、1990年代には、種々の制度革新を伴う新金融商品と金融操作の出現を通じて、「証券化メカニズム」を中心として、「仕組み金融」のシステムが、従来の伝統的な金融規制体系を伴う銀行ステムとは別個の並行システムとして大規模に発展した。これが、いわゆるシャドウバンキング・システムであった19(日本銀行(2008))。
こうした「仕組み金融」のシステムが、2000年代のITバブルの崩壊後の大幅な金融緩和(先述)によって、住宅ブームを大きく加速する最大の動因を与えた。住宅モーゲージのオリジネーターは、住宅モーゲージを投資銀行等に売却することによって直接にはリスク転嫁が可能であり、リスク回避が容易になった金融機関による高リスク融資が拡大し、低信用層向けローンを容易にした。サブプライム住宅モーゲージ融資額は2002年から2004年でほぼ倍増し、その証券化比率は、2003年には7割、2004年からは8割を超えた。こうした債権を買い集めMBS(抵当担保証券証券)やABS(資産担保証券)に仕立てる投資銀行や証券会社はリスクを広く分散し、またサブプライム・ローンや高リスク融資であっても、SIVsを活用したオフバランス化によって、財務的健全性を確保できるとみなされた。さらに同様のメカニズムを通じて、ローンのみを原資産とするローン担保証券(CLO)や、債券のみを原資産とする債券担保証券(CBO)、さらには一般に信用リスクを含む資産を原資産とする債務担保証券(CDO)の発行が増大し、何段階にもわたる複雑な証券化操作を通じて、広くリスク分散とリスクプレミアムを階層化した証券化が図られ、内外の投資資金を幅広く吸引した。
とりわけ、こうした証券化操作を中心とする「仕組み金融」は、リスクマネーの流入を加速するメカニズムを内包していたことが重要である。原債権のデフォルトが発生した場合に最初に損失を被るハイリスク・ハイリターン(下位)のCDO等の証券化商品のエクイティ部分の引受け手となった主なリスクテーカーは、各種ヘッジファンドであった。しかも、ヘッジファンドや投資ファンド、不動産ファンド向けのレバレッジド・ローン(低格付けのシンジケートローン)が大きく拡大した。このプロセスは、銀行信用の拡張に依存しながら大きく加速したが、それは、「グローバル成長連関」の金融側面として、グローバル金融センターであるニューヨークの銀行部門に累積するドル残高をベースとした、銀行信用の拡張に大きく依存したものであった20。その意味で、先述のように、1990年代後半から末にかけて大きく加速した「ITブーム」のバブル的発展と共通する「グローバル成長連関」の金融的フレームワークが作用したものであったのである。
「住宅ブーム」のバブル的発展のもう一つの大きな特徴となったのは、カリフォルニア州ロサンゼルスやサンフランシスコ・シリコンバレー地域に典型的みられたように、とりわけ1990年代以降「グローバル・シティ」周辺に拡大した新興住宅街を中心的な場として、「略奪的貸付」を含むサブプライム住宅担保ローンとその「証券化」を通じて発展したことである。それは、アメリカの社会経済的特質であった住宅金融・信用差別を解消する諸措置(「コミュニティ再投資法」Community Revetment Act-CRAなど)と連動したものであった21。その意味で、サブプライム・ローン問題は「グローバル成長連関」における「グローバル・シティ」の都市空間の発展と密接に関連していたのである。
しかし、最終的には、証券化メカニズムを核とする「仕組み金融」の制度不備、全体としては「シャドウバンキング・システム」のシステム欠陥が主な原因となって、証券化証券価格の暴落を招き、その結果生じた巨額の損失の発生が、アメリカ、さらにはヨーロッパも巻き込んで、金融危機を拡大し、「グローバル成長連関」の「金融的エンジン」の大規模な機能麻痺を生じ、「グローバル成長連関」の逆の経路をたどって、グローバルな金融危機・経済危機に発展することになった。それは、企業・金融・情報のグローバル化と政府機能の新自由不義的転換を主なダイナミズムとする経済グローバル化の大きな転機となり、「ディグローバリゼーション」の趨勢の構造的関係を生じる最大の契機となった。
3.3 「シャドウバンキング・システム」の制度不備・システム欠陥とアメリカ発のグローバル金融危機・経済危機以上見てきたように、1980年代から始まった「金融革新」と各種の制度的発展が、証券化メカニズムとしてシステム化され、シャドウバンキング・システムの中心を占めるようになった。大きく捉えれば、それは、1980年代以降、変動リスクと不確実性の増大に対応した、金融的制度・組織革新とシステム転換のプロセスとして捉えることができる。しかし、実際には、複雑な「仕組み金融」は、各種の制度不備を含み、シャドウバンキング・システムはシステムとして欠陥を内包し、それがアメリカ発のグローバル金融危機・経済危機を生じさせ、「グローバル成長連関」を危機に陥れた。
グローバル金融危機・経済危機を招いた、住宅金融の証券化を中心とした2000年代前半の「仕組み金融」の制度不備とシャドウバンキングのシステム欠陥に関しては、SIVs・ABCPコンジットを通じた「オフバラス」化や「リスク分散」スキームの問題や、格付けメカニズム、住宅価格の上昇に依存する楽観的なリスク評価など、すでに数多くの研究と議論が提出されている22。かなりテクニカルな細部の問題に立ち入った議論があるが、グローバリゼーションに変容をもたらす制度・組織革新とシステム転換を必然とする制度不備・システム欠陥の問題という、本稿の基本視点に関わる問題に絞って総合的にまとめれば、大きく次の3点が指摘できる。
第1に、「仕組み債」がもつリスク転嫁・リスク分散やオフバランス化の問題。多段階にわたる証券化・再証券化商品の優先劣後関係によるリスクの切り分け手法の問題や「担保掛け目」(ヘアカット率)の想定の問題、また相対取引による市場によるクリアを経ない恣意性を含むプライシングなど、プライシングの問題があった。また、SIVsによるオフバランス化には、とりわけABCPコンジットに対する商業銀行による流動性保証や信用保証の問題があった。そのため、商業銀行のオフバランス化とリスク転嫁・分散のシステムは、実質的には見せかけのものとなり、ABCP危機に際して、商業銀行の巨額の損失を発生させた23。
第2に、包括的なリスク分散を保証する仕組みであるCDSやそれを組み込んだCDOなど、多層の証券化・再証券化における格付けメカニズムや「モノライン」による保証システムも、結局は住宅価格上昇に依存した楽観的リスク評価に依存したものであった。この点は、金融危機が発現するプロセスで大きく顕在化した。
しかし、第3に、最も基本的な問題は、市場関係におけるいわゆる「リスク」の本質は、むしろ確率分布が描けないという意味で、F.ナイトがいうように「リスク」(risk)というより「不確実性」(uncertainty)(Knight(1921): 232、およびChapter VII)の問題であり、そうした市場の不確実性の問題を反映できないまま、デフォルト確率分布を想定(とりわけ正規分布の想定)しその近似的計測によって「リスク」計測を行う、金融工学手法そのものに最も根本的な問題があったといえよう。それは、市場の不確実性を扱えない金融工学的手法そのもの限界である24。
こうした制度不備は、証券化・再証券化が重層的に積み重なるにつれて、その問題性が累積的に拡大する関係にあった。さらに商業銀行の融資に依存して、操作全体に膨大なレバレッジがかけられており25、シャドウバンキング・システム全体の問題を大きく加重するものであった。
金利上昇(2004年後半から開始)の影響で住宅各価格が2006年半ばから反転・下落を開始したこと(S&P/Case-Shiller Home Price Indicesによる)と相互促進的に、そうした制度不備の問題が大きく顕在化した。とりわけ、2003–04年に急増して住宅抵当貸付の大半を占めたハイブリッド型変動金利モーゲージ(Hybrid ARM:1979年に認可、2~3年以降に金利・返済額が急増する)を中心に、返済延滞率と差し押さえ(foreclosure)が急増したことによって、2007年初めから、劣化したサブプライム・ローンを担保とするRMBS価格が急落を始めた(Brunnermeier & Pedersen(2009))。その結果、大規模なダウングレーディング(格下げ)を通じて、証券化商品全体に大きな価格下落と市場麻痺が拡大した。ABSなど他の証券化商品にも波及し、アメリカ、さらにヨーロッパの銀行、投資銀行・証券会社、ヘッジファンド等に巨額の損失を生じ、流動性危機を発生させた。債券保証会社(モノライン)や、CDSの最大の供与元になっていたAIGなどにも財務危機が拡大し、証券化商品市場全体に信用不安が拡大した。関連損失による財務内容の悪化から、証券5位のベアー・スターンズが救済合併に追い込まれるなど大型破綻を生じ、金融不安が拡大した。直接にはこれがサブプライム危機の発端となり、2008年秋のリーマンブラザーズの破綻(いわゆる「リーマンショック」)前後にとみに深刻化した、アメリカ発のグローバル金融危機・経済危機へと発展した(以上、河村(2019)IIの2-(2)もみよ)。
グローバル金融危機・経済危機の衝撃と、危機によるいわゆるグローバルリスクの高まりによって、グローバル化に逆行する「ディグローバリゼーション」の趨勢を生じる関係が強まった。続いて、その点について主に3つの面から論じることにしよう。第1に、グローバル金融危機・経済危機の震源となったアメリカが直面した課題と政策的展開の問題、第2に、それに関連した米中経済摩擦と、中国のアメリカの覇権への挑戦に対応した中国の「デカップリング」あるいは「デリスキング」の問題、第3に、直近の「感染症リスク」の最大の問題となった新型コロナ(COVID-19)のグローバル・パンデミック、「地政学的リスク」を高める最大の原因となったロシアのウクライナ侵攻の問題。いずれも、「ディグローバリゼーション」の趨勢に大きく影響し、また中長期的にも経済グローバル化に対する逆流を生じる可能性のある問題である26。
金融危機が実体経済に与えた直接の衝撃は、異例の規模となった。IMFの推計によれば、ローン・関連証券の減価・損失額は、2008年10月の「リーマン・ショック」直後の時点で、合計1兆4,050億ドルに上る(ローンで4,250億ドル、証券で9,800億ドル)。これは2009年4月時点ではさらに倍増し、総額2兆7,120億ドル(ローンで1兆680億ドル、証券で1兆6,440億ドル)に上った(IMF(2008)による)(表1)。
アメリカ・ローンの減価額(時価評価) | |||||||||
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残高 | 4月推計 | 10月推計 | 構成 (総計比) |
銀行 | 保険 | 年金基金/貯蓄 | GSEs・政府 | その他(ヘッジファンド等) | |
サブプライム | 300 | 45 | 50 | 3.56% | 35–40 | 0–5 | 0–5 | ・ | 10–15 |
Alt-A | 600 | 30 | 35 | 2.49% | 20–25 | 0–5 | 0–5 | ・ | 5–10 |
プライム | 3800 | 40 | 85 | 6.05% | 25–30 | 0–5 | 0–5 | 45–55 | 0–5 |
商業不動産 | 2400 | 30 | 90 | 6.41% | 60–65 | 5–10 | 0–5 | ・ | 10–20 |
消費者ローン | 1400 | 20 | 45 | 3.20% | 30–35 | 0–5 | 0–5 | ・ | 10–15 |
企業ローン | 3700 | 50 | 110 | 7.83% | 80–85 | 0–5 | 0–5 | ・ | 25–30 |
レバレッジド・ローン | 170 | 10 | 10 | 0.71% | 5–10 | 0–5 | 0–5 | ・ | 0–5 |
合計 | 12370 | 225 | 425 | 30.25% | 255–290 | 5–40 | 0–35 | 45–55 | 60–100 |
関連証券の損失(時価評価) | |||||||||
残高 | 4月推計 | 10月推計 | 構成 (総計比) |
銀行 | 保険 | 年金基金/貯蓄 | GSEs・政府 | その他(ヘッジファンド等) | |
ABS | 1100 | 210 | 210 | 14.95% | 100–110 | 40–45 | 35–55 | 39736 | 39746 |
ABS CDOs | 400 | 240 | 290 | 20.64% | 145–160 | 55–75 | 30–45 | 15–20 | 15–30 |
プライムMBS | 3800 | 0 | 80 | 5.69% | 20–25 | 39736 | 39741 | 20–25 | 0–5 |
CMBS | 940 | 210 | 160 | 11.39% | 80–90 | 20–25 | 15–35 | 39741 | 15–20 |
消費者ABS | 650 | 0 | 0 | 0.00% | ・・・・・ | ||||
高級企業債 | 3000 | 0 | 130 | 9.25% | 65–75 | 20–30 | 20–35 | ・5–20 | |
高利回り企業債 | 600 | 30 | 80 | 5.69% | 45–50 | 39736 | 15–20 | ・5–15 | |
CLOs | 350 | 30 | 30 | 2.14% | 15–20 | 0–5 | 0–5 | ・5–10 | |
証券合計額 | 10840 | 720 | 980 | 69.75% | 470–530 | 155–210 | 125–215 | 55–80 | 55–125 |
ローン・証券総計 | 23210 | 945 | 1405 | 100.00% | 725–820 | 160–250 | 125–250 | 100–135 | 115–225 |
注)Goldman Sachs; JPMorgan Chase & Co.; Lehman Brothers; Markit.com; Merrill Lynch; and IMF staff estimatesによる。ABS=asset-backed securities; CDO=collateralized debt obligation; CLO=collateralized loan obligation; GSE=government-sponsored enterprises; CMBS=commercial mortgage-backed security; MBS=mortgage-backed security.
(出所)IMF, World Economic and Financial Surveys: Global Financial Report, October 2008 (http://www.imf.org/).
プライム住宅ローンには、GSE支援モーゲージ・ローン証券部分を含む。河村(2019)II表2による。
こうした金融資産の大きな損失の背後では、さらに巨額の不良債権が累積し、連銀による巨額の資金供給と公的資金による資本増強がない限り、維持できないものとなった。株式時価発行総額の縮小も極めて大きく、また、アメリカの住宅不動産価値の喪失額も巨額に達した。膨大な金融資産の損失が金融部門の財務を大きく毀損し、また、株・住宅不動産資産の巨額の消失は、「逆資産効果」を通じて実体経済にも大きなデフレ圧力を生んだ。不況圧力によって商業用不動産価格の下落は停止せず、融資更新期間が住宅ローンより短い(3~5年)商業用不動産融資(約3.7兆ドル)とそれに基づく証券化証券による現実および潜在的損失が、金融機関の大きな負担となった。中小・地方銀行の破綻が高水準で続き、商業銀行部門の貸し出し機能はほとんど麻痺状態となった。
金融システム全体が崩壊しかねないこうした深刻な金融危機と経済危機の累積的進行によって、グローバル金融危機・経済危機は、かつての「世界大恐慌型」の「構造的恐慌」という本質を備えていたといってよい。これに対応して、歴史的に見ても、平時には異例に大規模な政府機能(とりわけ財政・金融機能)が発揮されることになった。大規模な緊急財政支出と、主要国・地域の中央銀行機能の発動や各種金融規制の導入などの一連の展開は、それまで経済グローバル化によって後景に退いていた政府機能が、深刻な金融危機・経済危機危機に直面して顕在化し、大規模に発揮された事態であった。経済グローバル化の顕著な特徴であった、市場主義と新自由主義的政策理念は大きく反転した。その意味で、「ディグローバリゼーション」の趨勢への転換を意味するものであった。
第1に、アメリカの連邦準備制度を筆頭に、ヨーロッパ中央銀行(ECB)、イングランド銀行、日本銀行など、主要中央銀行による平時には通常は行われない「非伝統的」な金融破綻防止措置が取られた。また、政府による公的資金の投入による銀行その他GMなど産業企業の救済や国有化、救済合併など、直接、間接の緊急対策が打たれ、全体的な金融崩壊は、かろうじて食い止められた(以上、詳しくは河村(2019)IIの3-(1)をみよ)。
第2に、次いで発動された、実体経済の急速な縮小に対する財政的景気対策も、「平時」―戦時期を除くという意味で―には異例に大規模であった。最大規模であったアメリカでは、とりわけ、金融危機・経済危機直後に就任したオバマ政権のもとの「経済回復・再投資法」(American Recovery and Reinvestment Act—ARRA、2009年2月)は、総額7,870億ドル規模を想定する、最大かつ包括的なものであった。同法は、州・地方財政支援、インフラ・科学技術、弱者保護、ヘルスケア、教育・訓練、エネルギー関連等の包括的な対策を目的とした景気対策・減税措置であった。これにより2年間で350万人の雇用を維持・創出が企図された28。
世界的にも、中国の財政措置(4兆元規模―後述)など、各国で、自動車・家電品購入への減税や補助金や公共事業の大幅な拡大など、大規模な財政措置がとられた(主に内閣府(2008)による。河村(2019): 130、表5もみよ)。
こうして、2008年11月のG20声明で確認された、「非伝統的」手法を含むほとんど「あらゆる措置」による大規模な財政・金融の政府機能の発揮によって、2009年4–6月期を境に、急速な経済の下降は一段落し、2010年初めには、アメリカ経済もまた世界経済も、回復するかに現れた。しかし、異例に大規模な財政支出には、大きな限界があった。主要国で最大の財政支出を実施したアメリカでは、経済回復は足踏み状態を続ける中、2009年度から連続して史上最大の1兆ドル超の連邦財政赤字が発生し続けた。その結果、連邦政府債務は、2011年2月には法定上限の14兆ドルに到達し、いわゆる「財政の崖」問題に直面した。財政再建に向けた増税措置と支出削減をめぐって、国論は2分され、政治的アポリアに陥った。その背景には、「グローバル成長連関」による経済の拡大に乗ったグローバル企業・富裕層と、取り残された多数の中・低所得者層との間の大きな資産・所得格差の拡大による社会的亀裂と「分断」が横たわっている。
第3に、ヨーロッパの財政危機―いわゆるソブリン危機―によるグローバル金融危機の「第二幕」が、もう一つ財政措置の限界を顕在化させた。ギリシャを筆頭に、EU・ユーロゾーン(ヨーロッパ統一通貨ユーロ導入諸国)の「弱い諸国」(ギリシャの他、スペイン、ポルトガル、アイルランド、イタリアなど)が、ユーロ導入の条件であった財政規律(財政赤字の対GDP比3%以内とする上限の規制)を維持できず、ユーロからの離脱の危惧が拡大した。そうした諸国のユーロ建て国債の大量保有に転じていたドイツ、フランス等の主要銀行やファンドに対する金融不安が大きく拡大し、グローバル金融危機の「第二幕」が進行するに到った。
ユーロゾーン危機とソブリン危機そのものは、ヨーロッパ中央銀行(ECB)のELA(emergency liquidity assistance)―ECBとユーロ圏各国の中央銀行による、対銀行緊急的資金供給措置―「最後の貸し手」機能の実現、ヨーロッパ安定化カメカニズム(European Stability Mechanism: ESM)創設、銀行同盟および関連する諸機構の創設の進展という、主に3つの要因が相まって、2012年7月を最後に沈静化に向かい、グローバル金融危機「第二幕」の危機局面はひとまず過ぎ去った(田中(2014))。これは、危機への対応による制度革新の典型的な事例といえよう。
グローバル金融危機・経済危機の「第一幕」・「第二幕」を通じ、財政・金融的政府機能の大規模な発揮により、ひとまず「グローバル成長連関」は崩壊を免れたが、その過程で主要国の財政機能が大きく限界に直面したことによって、危機の回避と経済回復の手段は、アメリカ、ヨーロッパ、日本すべて、中央銀行による異例に大規模な金融の「量的緩和」に依存することとなった29。アメリカでは、財政問題の政治的アポリアのなかで、ユーロゾーン危機による金融危機の「第二幕」が深刻化するにつれ、2010月8月から「量的緩和措置」の復活が示唆され、同年11月3日には、6,000億ドルの財務省証券の追加買い入れプログラム(QE2)が発表され、2011年6月22日の終了までに、月約750億ドルのペースで続けられた30。ECB、さらに日銀による「異次元金融緩和」(2013年4月3日・4日日本銀行金融政策決定会合で導入決定)が加わった。こうして、アメリカの連銀を筆頭に、主要要中央銀行による大規模な金融の量的緩和が、「グローバル成長連関」における金融的な拡張の「エンジン」となっていた民間金融部門の機能不全を代替し、「グローバル成長連関」の機能を維持する関係となった。
しかし、かつてのような金融膨張を伴う民間金融部門が機能不全に陥ったため、拡張の「エンジン」を欠き、世界的な経済回復は緩慢なまま推移したが、アメリカおよび国際的な金融諸規制は、金融システムの安定化につながり、民間金融門の機能が回復31するにつれて、異例の金融の量的緩和の「出口」戦略が現実化した。むしろその後のインフレーションの高進までは、1990年代に比べ、成長率・インフレ率ともに低下し、いわゆる「適温経済」(Goldilocks Economy)が再現された32。
いずれにせよ、問題の核心は、深刻な金融危機・経済危機に対応した、こうした異例に大規模な政府機能の発揮は、経済グローバル化の顕著な特徴であった市場主義と新自由主義的政策理念を大きく反転させたことである。それは「ディグローバリゼーション」の趨勢への転換を意味するものであった。加えて、グローバル化に逆行する動きとして顕在化したのは、アメリカ、ヨーロッパ、日本や、さらには中国を筆頭に新興経済諸国の地域大国において、国内成長連関への回帰を模索する動きであった(Pollin and Baker(2010)、Euler-Hermes(2013)など)。上記のように、異例の金融緩和に依存した景気維持政策による、いわば「時間稼ぎ」的措置(ないしはブリッジ・オペレーション)のなか、グローバル金融危機・経済危機の震源となったアメリカをはじめ、ヨーロッパ、日本、さらに中国を筆頭に新興経済諸国の地域大国は、程度の差はあれ共通して、それまでの「グローバル成長連関」による経済成長への依存を脱して、国内的成長連関の再構築が模索されることになった。それは、グローバル化に反する動きを伴っており、その意味で、一面では「ディグローバリゼーション」の趨勢を示すものであった。
実際には、グローバル企業・金融のグローバルな事業展開とニューヨークを中心とした金融膨張に依存した、それまでの「グローバル成長連関」による経済成長の関係から、制度的、構造的にはそう簡単には脱却できるものではなかった。経済グローバル化の最大の震源となったアメリカでは、伝統的重化学工業を中心に、主要製造企業のサプライチェーンのなかで、国内の生産基盤が占める意義は大きく低下しており、金融はもとより、アメリカ企業の収益源は、グローバル化に依存する関係を大きく強めた。そのため、かつての戦後パックス・アメリカーナ全盛期のように、国内市場を主要な基盤とする国民経済的な経済成長の連関に簡単には戻れるものではない。この間、経済成長の軸として展開してきたグローバルな成長の連関を無に帰することはできない関係にある。そのため、グローバリゼーションとディグローバリゼーションの潮流がせめぎ合う、「ジレンマ」ともいうべき相反する課題が、その後のアメリカの政策の底流として、いわば構造的に作用する関係になった。
こうした相反する課題への対応は、「グローバル成長連関」の作用によって著しい工業発展と経済成長を遂げた中国に典型的に見ることができる。その点は後にたちかえることにして、続いて、こうした「ジレンマ」との関係で、一見すると中央銀行を含む「政府機能」の強化として、「ディグローバリゼーション」の潮流を典型的に示すかに見える、グローバル金融危機後の金融諸規制の強化の問題を見ておこう。
4.2 グローバル金融危機後の金融諸規制と「ディグローバリゼーション」グローバル金融危機の直後から導入が始まった、とりわけシャドウバンキングに対する諸規制は、グローバル金融危機以前のシャドウバンキングが既存の金融諸規制の埒外でグローバルに展開されたことに対して、各種規制が導入されるという意味では、ひとまず「ディグローバリゼーション」の性格をもつといえよう。グローバルなレベルでの包括的な国際的な措置が最も重要であり、それに対応する形で主要国の国内的規制も導入されたが、グローバル金融危機の震源となったアメリカにおける規制の導入が、最も重要な意義をもつ。以下、この2点に絞ってみておこう。結論から言えば、それはグローバル金融危機を発現させた制度不備・システム欠陥を是正する措置として制度化されたものであり、シャドウバンキング・システムと金融グローバル化を直ちに反転させるものとはいえないものである。
第1に、国際的には、G20の枠組みの中で、金融安定化理事会(FSB)と、BISのバーゼル銀行監督委員会(Basel Committee on Banking Supervision-BCBS:「バーゼル委員会」)を中心として、「バーゼルIII」、および「グローバルなシステム上重要銀行」(Global Systemically Important Banks: G-SIBs)規制など、グローバル規模で活動する金融機関に共通の基準を設定し、国際的な金融システムのリスクを抑制して、金融システム全体の安定性を確保するため、とりわけ、資本基準や流動性の管理の強化が、金融危機に対する耐性を高めるものとして導入された。
「バーゼルIII」は、それまでの自己資本規制などをさらに強化し、資本規制(Capital Requirements Directive: CRG)、レバレッジ規制(資産保有規制)、流動性規制(流動性カバレッジ規制:LCR)を中心に、ネット安定資金比率(NSFR)、カウンターシクリカル・バッファーが導入され、グローバル金融危機を生じた制度不備を是正するグローバルな規模の措置として、もっとも包括的な規制となった。また、G-SIBsに対する資本規制では、金融安定理事会FSBが、2011年11月、「システム上重要な金融機関に対処するための政策手段」を公表し、G-SIBsに対する追加的資本上乗せ規制(「G-SIBsバッファー」)や再建・破綻処理計画の策定義務づけに加えて、そのリスク管理やデータ集計能力、リスクガバナンス、内部統制について、「より密度の高い実効的な監督」を行うことを明らかにした。さらに2015年11月には、「グローバルなシステム上重要な銀行の破綻時の損失吸収及び資本再構築に係る原則」(TLAC合意文書)を公表し、G‑SIBsに対してあらかじめ十分な「総損失吸収力(TLAC: Total Loss-Absorbing Capacity)」の確保を求め、追加の資本バッファーの保有が義務付けられた。
金融市場インフラの強化としては、国際的な金融市場におけるクリアリングハウスの規制強化が図られた。とりわけ店頭デリバティブ(OTC)取引が中心となっていたCDSを含め、デリバティブ取引についてクリアリングハウスを通じた取引を義務化するとともに、クリアリングハウス自体についても、資本基準やリスク管理基準が強化され、システミック・リスクの集中を回避する規制が導入された。また、ヘッジファンド、プライベートエクイティ、証券化ビークルといった非銀行金融機関によるリスク管理が強化され、シャドウバンキング活動がシステミック・リスクを引き起こすことを防止する規制が導入された。とりわけ、流動性リスクの適切な管理の監視、デリバティブの取引における過剰なリスクテイクを防ぐ取引ポジションリミットの導入など、金融安定理事会(FSB)によるシャドウバンキングの監視と規制の強化が図られた33。
第2に、グローバル金融危機の最大の震源となったアメリカにおいては、とりわけ、金融システムの健全性確保と金融規制・監督強化をはかる包括的立法として、ドッド=フランク法(2010年7月21日)が成立した。同法により、関連した諸規制とともに、国際的規制と相互に補完し合う形で、国内市場や消費者保護に重点を置いた金融規制が導入され、「バブル」防止とシステミック・リスクの低減を通じ、グローバルな金融システムの安定性を向上させ、将来の危機に対する耐性の強化が図られた。同法と関連した諸規制は、テクニカルな内容を含めかなり詳細にわたるが、紙幅の関係で、主要点に絞ってみておこう34。
同法で、システミック・リスクのモニタリングと経済状態の調査を任務とする2つの新たな機関として、金融安定監督評議会(FSOC)および金融調査局が創設されるとともに、連邦準備制度理事会による銀行持株会社の包括的監督が強化された。FRBは、2014年2月、同法に基づいて、連結総資産500億ドル以上の銀行持株会社と米国所在の外国銀行(Foreign Banking Organizations: FBO)を対象とする「厳格なプルーデンス規制(EPS)」を公表した(2016年7月より適用開始)。同規制は、一定の資産を有する外国銀行に中間持株会社の設置を義務づけるとともに、その規模に応じた流動性の確保やリスク管理態勢の整備を求めた。また、銀行・貯蓄組合持株会社および預金機関規制の改善として、いわゆるヴォルカー・ルールを導入し、銀行による自己勘定取引(自社資金を使った投機的取引)を制限するとともに、ヘッジファンドやプライベートエクイティに投資することも禁止した。
その他、TBTF(Too Big To Fail)問題について、「グローバルなシステム上重要な金融機関」(Global Systemically Important Financial Institutions: G-SIFIs)へのより厳格なプルーデンス規制の導入や秩序ある破綻処理を図るためのガバナンス強化(報酬規制など)と、ヘッジファンド等シャドーバンク自体に対する規制改革、MMF、証券化商品、レポ取引規制など、消費者保護、その他など、シャドウバンキング・システム全体に対し、包括的な規制と監督体制の強化措置が導入された。並行して、同法およびFRBによるいわゆる「ストレステスト」が実施され、危機対応能力を高める措置がとられた。
こうしたグローバル金融危機に対応したアメリカおよび国際的な金融諸規制および監視体制の強化措置は、グローバル金融危機以前のような、既存の金融諸規制の埒外でシャドウバンキングがグローバルに展開されたことに対して、その制度不備、システム欠陥を補って、グローバルな金融システムの制度的安定化をはかることが基本的な性格であった。その意味では、それまでほぼ無規制に展開されてきた金融革新と金融グローバル化に、抑制的に作用する関係を含むものであり、「ディグローバリゼーション」の性格をもつ。しかしそれは、「グローバル成長連関」の金融的側面の安定的維持を図る諸規制であり、「グローバル成長連関」の金融メカニズムに一定の規制的変容をもたらすが、「グローバル成長連関」そのものに逆行する性格のものではない。その視点からみれば、より大きな問題は、中国のアメリカの覇権への挑戦の問題であった。
4.3 中国のアメリカの覇権への挑戦と中国の「デカップリング」・「デリスキング」問題アメリカにおいて、「ディグローバリゼーション」の趨勢として、とりわけトランプ政権で明確となったのが、アメリカの対外貿易赤字の最大比重を占めるに至った中国を対象とした、関税の強化や各種投資・貿易制限を含む対中政策であった。トランプ政権は、MAGA(“Make America Great Again”)を掲げ、グローバル化を通じて弱体化した国内の伝統的基幹製造業の再強化とハイテク部門の優位の確保を狙った。対中関税の引き上げや貿易規制を重要な手段とする対中国政策は、米中貿易戦争の様相を呈することになった。
続くバイデン政権では、一方では、国内成長連関の再構築を含む新産業政策―「アメリカ雇用計画」さらに「インフラ投資・雇用法」(5,500億ドル)、CHIPS・科学法(2,800億ドル)、「インフレ抑制法」(3,940億ドル)―によって、国内の産業基盤の強化をはかると同時に、対中ハイテク・戦略技術の対中封じ込めと、「グローバル成長連関」から中国を切り離し、隔離する「デカップリング」政策として、より国家戦略的な性格を強めた35。
こうした米中関係の動向は、「グローバル成長連関」との関係で実現されてきた中国の著しい経済発展と、とりわけグローバル金融危機・経済危機のインパクトに対応した中国の成長戦略の転換が大きく作用したものであった。
中国は、1949年の中華人民共和国建国以降、1950年代・60年代は、冷戦構造のなかソ連・東欧とともにアメリカによる「封じ込め」の下で、中央指令型計画経済による社会主義経済を構築した。しかし、文革の混乱が終結した1970年代末から鄧小平の改革開放政策のもと、経済特区方式を活用して沿海部を中心に外資依存の輸出指向工業化を進めた。それは、「太平洋トライアングル」構造のもとで大きく促進されたNIEsさらにASEAN地域の経済成長のダイナミズムに呼応するものであった。
「太平洋トライアングル」構造は、1980年代に激化した日米経済摩擦と円高に対応して、日本企業、とりわけ家電や一般機械の製造企業の迂回的輸出戦略によるNIES・ASEANへの生産拠点の移動によって出現し、登場しつつあった「グローバル成長連関」の重要な一部となったが、中国の「改革開放」政策は、外資依存の輸出指向工業化(「両頭在外」)を通じ、そうした連関に積極的に組み入れられることで、急速な工業化と経済成長を達成し、中央指令型社会主義計画経済の解消と「社会主義市場経済」(実質は資本主義経済化)を実現しようとするものであった。こうした動きは、とりわけ中国のWTO加盟により大きく加速された。その意味で、中国の急速な工業化と経済発展は、「グローバル成長連関」を出現させた経済グローバル化のダイナミズムに中国が積極的に対応した結果であった36。
しかし、グローバル金融危機・金融危機によって、「グローバル成長連関」そのものが危機に陥ったことで、状況は一変した。最大の直接的影響は、沿海部を中心にそれまで主力を占めたアメリカ、次いでヨーロッパへの輸出が大幅に落ち込み、外需が激減したことであった。中国は、こうした外需の激減に対し、いわゆる「4兆元」の景気対策を中心とする内需拡大政策で対応した37(みずほ総合研究所(2009)、内閣府(2009)など)。こうした対応は、短期にとどまらず、中国は、さらに進んで内需連関を中心とした国内経済成長モデルへの戦略的転換を図った。
すでに危機前から中国は、沿海部を中心とした、外資に依存した外需主導の経済成長(「両頭在外」)は、内陸部と沿海部の経済格差の拡大など、さまざまな限界に直面していたが、グローバル金融危機・経済危機直後の2009年には、「産業調整振興計画」(自動車、鉄鋼、繊維、船舶、石油化学その他)(2009–2011年の三年間に実施)を打ち出した(中国唐山市(2009))。これに続き、とりわけ「第12次5ヵ年計画」(2011–2015年)によって、中国全土の21の主要都市(城市地域)指定し、それぞれ実質的に「グローバル・シティ」機能を拡充し、高速道路と高速鉄道のネットワークで繋いで、内需連関の軸とする、いわば「グローバル成長連関」の中国国内版を戦略的に形成することを図った。これは「グローバル成長連関」に連動した外資依存の輸出指向型工業発展モデルの転換を、集約的に示すものであった38。
その主要手段として、各主要都市地域において、それまでの沿海部を中心とする外需主導の工業化と経済成長の主要手段であった開発区方式(とくに国家級「髙技技術開発区(ハイテクリサーチ・パーク)」)を活用し、外資誘致も含め、内需連関の中心軸を創出することを図った。こうした経済成長モデルへの転換により、すでに進行していた中国の製造業賃金・俸給の高騰はさらに一段と加速し、補助金と相まって、自動車の爆発的普及など消費需要の増大を介する内需型の成長連関は一定の効果を持った。しかし、地方政府による農地収用・用地造成・土地使用権分譲を基本とする開発区方式に依存した都市開発は、住宅開発など不動産投資による成長に偏り、著しい不動産ブームのバブル的発展を招いた。こうした不動産バブルの限界から、地方政府の「融資平台」方式による累積債務と大手不動産デベロッパーによる金融危機と地方政府の財政困難を招き、現在の不動産バブルの崩壊による経済的困難の元凶となった。
他方、国有企業を中心とした建設や鉄鋼など基礎資材の過剰生産能力の圧力のもとで、外需循環を中国主導で形成しようとする「一帯一路」戦略も同時に打ち出された。こうした方向は、一方で技術革新による自立的成長を図る技術水準を引き上げ、ハイテク部門の拡充を図る「中国製造2025」とともに、内需連関を外需連関―とりわけ「一帯一路」による外需連関―で補完する「双循環」戦略に展開させている。
「一帯一路」戦略と人民元決済の拡大を含むこうした中国の成長モデルの戦略的転換は、アメリカを中心とする「グローバル成長連関」に直接挑戦する性格を備えている。その面からアメリカを軸とする「グローバル成長連関」に変容をもたらすという意味で、中・長期的にも、「ディグローバリゼーション」の構造的な底流を生じる関係にある。さらに、中国の技術水準の飛躍を目指す国家戦略である「中国製造2025」は、民生部門だけでなく軍事技術の基盤ともなる先端技術革新の進展を通じて、アメリカの軍事優位を支える軍事技術優位そのものを脅かすものである。そのため、経済面だけでなく、アメリカの政治・軍事的覇権に対する直接の脅威となる39。
この間顕著となった「グローバル成長連関」から中国を隔離しようとする「デカップリング」の動きは、単なる経済摩擦と貿易戦争を超えて、アメリカの世界政治(=軍事)経済覇権への中国の挑戦に対する戦略的対応と、アメリカ自身のグローバル金融危機・経済危機後の「ジレンマ」に対応した国内成長連関の再構築の動きが相俟ったものである。それは、資源輸出制限や、アフリカやいわゆる「グローバルサウス」への接近など、中国による対抗措置と相まって、グローバリゼーションに逆行する「ディグローバリゼーション」の趨勢も伴って、「グローバル成長連関」に変質をもたらす、より構造的な底流となっているとみることができる。
実際には、すでに中国の製造基盤および資源供給が、既存の「グローバル成長連関」に深く組み込まれており、アメリカおよびその他の主要グローバル企業のバリューチェーン/サプライチェーン(GVC/GSC)から、中国を直ちに完全に隔離する「デカップリング」は、大きな困難を伴う。そのため、現実的には、中国依存を減らす「デリスキング」の動きとなっているが、GVC/GSCの立地構成の再編成(relocating)の動きを誘発し、調達先を「友好国」にシフトする「フレンドショアリング」friend shoring、近隣諸国・地域にシフトする「ニアショアリング」near shoring、調達先ないし製造拠点・事業拠点を国内にシフトする「リショアリング(国内回帰)」(reshoring)の趨勢を生じている。
こうした動きは、最後にもう一度立ち返って論じるように、立地構成の再編成を通じて、「グローバル成長連関」の変容をもたらすものであるが、それ自体は直ちに、「ディグローバリゼーション」を意味するものではない。しかし、そうしたいわば構造的底流に、COVID-19のグローバル・パンデミックによる感染症リスク、ロシアのウクライナ侵攻による地政学的リスクの高まりが加わり、さらに地球温暖化に伴う気候変動とも関連した自然災害リスクなどが強く意識され、「ディグローバリゼーション」の趨勢を伴いながら、「グローバル成長連関」の変容をもたらす大きな要因となった。その中・長期的な影響は、いまだ不透明ではあるが、続いてその主な点をまとめておこう40。
4.4 新型コロナウィルス(COVID-19)のグローバル・パンデミックの影響412019年末の中国武漢に始まった新型コロナウィルス(COVID-19)は、2020年春にかけて「グローバル成長連関」の結節点となっている世界の主要都市とその都市間ネットワークの経路をたどって、グローバルに広がった世界的パンデミックとなった。その意味で、この間のグローバル化の進行が世界的な蔓延を大きく促進したものであった。そのため、蔓延防止策は、ヨーロッパ、アメリカや日本、さらに中国など、主要国の国境封鎖だけでなく、都市封鎖(ロックダウン)と人流・物流の移動制限を伴うものとなった42。国内はもとより、航空や海運など国際的な人的移動と物流の停滞と混乱を招き、財・サービス貿易は大きく落ち込んだ。罹患と、隔離・移動制限による各国・各地域内の労働力不足と相俟って、グローバル・サプライチェーンの分断を通じて、半導体をはじめ自動車部品など部品や原材料・資材不足を加速した。
COVID-19によるグローバル・パンデミックは、数波に渡って蔓延の拡大とロックダウン・都市封鎖、国境間移動制限とその緩和が繰り返され、ワクチン接種の進展とウィルス変異を通じた一定の沈静化を受け、最終的には、2022年5月6日にはWHOが緊急事態の終了を宣言し、ヨーロッパ、アメリカ、日本も相次いで緊急事態を解除した。国境間移動制限が解除され、ワクチン接種を除いて、蔓延防止措置が終了した―日本は、2023年5月、新型コロナウィルス5類移行をもって、ワクチン接種を除く蔓延防止措置を終了。主要国で最も遅くまで、「ゼロコロナ」政策を続けていた中国も、2022年末には突然終結を宣言した43。
その後も、COVID-19のウィルス感染は完全に終息してはいないが、直接の影響は大きく緩和された。しかし、ほぼ3年にわたるその影響は、各国・各地域で程度の違いを伴いながら、全体としてみれば、人流・物流の阻害、サプライチェーンの分断と混乱をグローバルな規模で生じて、グローバル・サプライチェーンを寸断し、「グローバル成長連関」を直接に大きく毀損するものであった。その意味で、「ディグローバリゼーション」の効果をもつものであった。COVID-19のグローバル・パンデミックは、先進諸国と途上国地域との経済格差の拡大や、各国・各地域内で、保健制度や医療体制の広範な再編や整備と並んで、社会経済的にも、労働力不足の拡大やリモートワークの拡大などを含め、非常に幅広い影響を生じた。
こうした直接的な影響が、長期的にどのように定着するかは不確定であるが、グローバル・パンデミックのリスクが現実的に強く認識されたことによって、グローバル化の主要なリスクの一つとして指摘されていたグローバル・パンデミックが現実化し、その影響が具体的化したことにより、GVC/GSCの再編成など、経済グローバル化に長期的に大きな変容的影響を与えるものといってよい。
4.5 ロシアのウクライナ侵攻と「ディグローバリゼーション」グローバル化に伴う「地政学リスク」の高まりについては、中国の経済的・政治的台頭や、途上国の先進国・新興諸国に対する経済格差と貧困の拡大による社会不安や内戦・崩壊国家化の問題など、かなり早くから指摘されていた(WEF(2009)など)。グローバル金融危機・経済危機のインパクトに加え、COVID-19のグローバル・パンデミックにより問題が加重されたうえに、ロシアのウクライナ侵攻により、対ロシア経済制裁と相まって、グローバルな物流の混乱や食料、資源供給の問題などの経済面だけでなく、政治・軍事的な面からも、地政学的リスクと不確実性を高めることになった。これも「グローバル成長連関」に大きな変容を迫る「ディグローバリゼーション」の重要な側面として浮上している。
第1に、戦争による直接の影響に対ロ経済制裁(金融・為替制限)の影響が加わって、ロシア産・ウクライナ産の原材料、資材―ニッケル、バナジウム等レアメタル、木材、鋼材等資材、食料(小麦、トウモロコシ等)―、原油・天然ガス供給が大きく制限され、価格高騰を招いた。また、食料・農業面では、ウクライナにおける戦乱により、労働力不足による作付け困難、肥料・農薬不足による収量の減少など、戦争の直接的影響が大きかった。ウクライナは肥料・農薬供給国であり、中東諸国にも、直接影響することとなった。これに、アメリカ・EU等の経済制裁とそれに対応する報復措置による影響が加わった44。
ロシア産原油・天然ガスについては、金融・為替制裁とそれに対するロシアの報復措置が、ドイツ、フランス、イギリスを筆頭に、ヨーロッパNATO諸国に対する供給途絶の危機を生じ、国内価格に大きく影響し、EU域内のインフレを加速し、グローバル金融危機・経済危機後の「グローバル成長連関」の維持に機構的に寄与してきた大規模かつ異例の「金融の量的緩和」(QE)を大きく転換させる大きな転機となった。
すでに、新型コロナウィルスの蔓延防止措置の緩和と解除の過程で、インフレーションの問題が大きく浮上していた。都市封鎖・移動制限などの蔓延防止策の解除により、繰り延べ需要の発動として大きな反動消費増が現れ、供給面・コスト面の影響の継続とともに、物価水準を高騰させる大きな原因を与えた。アメリカでは、コロナ禍の影響による労働力不足が拡大し、経済の再拡大とともに、賃金を高騰させた45。そこに、2022年2月24日に始まるロシアのウクライナ侵攻によるグローバルな物流の混乱と資源制約の影響が加わったことで、アメリカ、ヨーロッパ、その他の物価高騰が加速した。アメリカ、イギリス、EUにおいて(および日本も)、「インフレターゲット」を超える物価水準の高騰に直面し、連邦準備制度、ECB、イングランド銀行は、グローバル金融危機・経済危機以降継続し、さらにコロナ禍で再度大きく拡大した金融緩和措置―ゼロ金利・マイナス金利政策と量的緩和―を解除し、政策金利の段階的な引き上げと金融引き締めに転換した(図3)。「グローバル成長連関」を金融面で支えていた主要中央銀行の金融緩和措置の転換は、対ロシア経済制裁と、いわゆる「地政学的」リスクが大きく浮上したことによる影響と相まって、「グローバル成長連関」に再び変質を迫るものとなったといえよう。
(出所)Federal Reserve Bank of Cleveland (2024), “Credit Easing, Summary View”, 2007.01.2-2024.10.22 (http://www.clevelandfed.org/research/data/credit_easing) より作成。
実際には、グローバル金融危機・経済危機後の超金融緩和状態の下で、商業不動産関連など、レバレッジドローンとその証券化(CLOローン担保証券化商品)を通じて信用膨張と企業負債の増大が生じていたが、グローバル金融危機・経済危機前のバブル的信用膨張と比べると、規模は小さかった。そのため、インフレーションの高進による金融引き締めへの転換と金利の全般的上昇によって、2023年3月のクレディ・スイスや、シリコバレー銀行(SVB)、シグネチャーバンクの破綻、5月のファーストリパブリックの破綻など、銀行不安が拡大する事態を招いた46が、危機は部分的にとどまった。
しかし、第2に、ディグローバリゼーションの趨勢に対する中長期的かつより構造的な影響として注目すべきは、対ロ経済制裁そのものと、それに関連したグローバルな政治・軍事的な地政学的リスクと将来への不確実性の高まりの問題である。
対ロ経済制裁の主要部分は、ウクライナ侵攻直後に発動された(2022年2月26日:欧州委員会、フランス、ドイツ、イタリア、イギリス、カナダ、アメリカの首脳が対ロシア経済制裁共同宣言に署名・日本政府は2月27日に参加表明)が、制裁の手段と目的は、主に二面から捉えることができる。ひとつは、EUによる、ロシア国内の軍事利用および安全保障の発展に寄与する可能性のある製品・技術、販売、供給、譲渡、輸出の禁止(関連する技術支援、仲介サービスその他のサービスの提供、融資・資金援助―航空・宇宙産業の所定の製品・技術、資金援助を含む)を中心とする、輸出入等の経常取引の制限である。これは、ロシアの兵器生産能力に不可欠な半導体などの先端部品や航空・ミサイル技術などの戦略的重要物資・サービス取引の直接的制限を通じて、その面から継戦能力をそぐことが主な目的とみてよい。
しかしさらに、より包括的な制裁効果を狙ったものが、通貨・金融取引制限であった。ロシアの主要銀行Sberbank(ロシア最大銀行)とその子会社、その他の、アメリカの金融機関との資本取引・金融取引の制限・禁止と、ロシア中央銀行の外貨準備の凍結および主要7行のSWIFTからの排除措置が実行された47。こうした金融規制措置は、基本的にドル決済機構からのロシアの隔離ないしは排除的な制限を課すものであり、大きく捉えれば、ソ連崩壊後、原油・天然ガスやその他の資源輸出を中心に、「グローバル成長連関」のサプライチェーン・バリューチェーンの一部として組み込まれることによって経済成長を維持してきたロシアを、国際決済機構の面から「隔離」を図り、継戦能力をそぐことが、その主要な目的とみることができる。
ロシアのドル決済の余地は残されているが、天然ガス・原油などのルーブル建てや人民元、インドルピー建て取引や金のルーブル固定価格などの対抗措置は、中国人民元決済の拡大と並んで、ドルの基軸通貨性の後退と言われる点である。ドルが国際基軸通貨の地位と機能を維持していることは、「グローバル成長連関」の不可欠の機構的前提である。ドルの基軸通貨としての地位の後退は、「グローバル成長連関」の重要な変容を意味することになる。しかし、実際には、ドルの基軸通貨性は大きく揺らいでいるわけではない。
確かに、世界の準備通貨におけるドルの比重は、低下している。IMFのデータ(IMF(2003)によれば、「分類済み公的外貨準備(allocated reserves)」に占める米ドルの比重は、1990年代末の70%強から20023年第1四半期の59%に低下したが、これはユーロの比重の増大によるものがほとんどを占める。他方、中国が最大比重を占める未分類公的外貨準備(unallocated reserves)における人民元の比重は、同期にピークとなる2009年第1四半期の44.8%まで高まったが、その後は大きく低下に転じ、2018年第3四半期以降は7%前後で推移している。しかし、何よりも、外国為替市場取引量に占めるドルのクロス取引の比重は100%に近く、米ドルを介して行われている。ロシアのSWIFT排除からあまり時間がたっていない数値であるが、対ロシア経済制裁によるルーブルのドル決済機構からの排除(ないし大幅制限)の影響はほとんど見られない48。
インドなど、ロシアの原油・天然ガスや資源取引のルーブル建て取引が拡大しているが、ルーブルを第三国通貨の決済に使用するには、米ドルを介したクロス取引が不可欠である。それが大きく制限されている。また、中国との取引に人民元建てが拡大しているが、人民元を、第三国通貨の決済に使用するには、同様に、米ドルを介したクロス取引が不可欠である以上、依然としてドル決済機構に従属している。ロシアのウクライナ侵攻そのものに限って言えば、短期的な供給ショックや物流の混乱と対ロ経済制裁の影響もさることながら、「地政学的リスク」とグローバルな政治・軍事的不確実性の高まりに対し、企業・金融の対応の変化が、国内回帰へと向かう傾向を生じるという意味で、「ディグローバリゼーション」の趨勢を促進する点が重要であると思われる。
企業・金融・情報のグローバル化と政府機能の新自由主義的転換を主要なダイナミズムとして展開してきた経済グローバル化は、生産システム・労使関係、企業組織・企業システムの経営革新はもとより、IT・ITCの技術革新、金融革新を含む幅広い制度・組織革新を誘発し、アメリカを軸として、「グローバル成長連関」という新たな経済成長のシステムを、グローバルな規模で出現させた。しかし、とりわけシャドウバンキング・システムの発展を伴うその金融メカニズムの制度不備・システム欠陥が最大の原因となって、アメリカ発のグローバル金融危機・経済危機が発生した。それを最大の転機として、グローバリゼーションに逆行する「ディグローバリゼーション」の趨勢が現れ、「グローバル成長連関」の変質と再編が進むこととなった。実際には、事態は流動的で、現時点では確定的しにくい点が多いが、制度・組織革新とシステム転換という視点から、「ディグローバリゼーション」の趨勢的な展望を含めて、これまでの議論を整理し、最後に、とりわけ経済グローバル化の原動力となり、したがって「グローバル成長連関」の変容や変質の中心ともなる、グローバル企業の事業・生産拠点のネットワークの変容について検討して、結びに代えよう。
「グローバル成長連関」の変質と、「ディグローバリゼーション」の趨勢への転換の最大の画期となったのは、以上で論じてきたように、2000年代末の深刻なグローバル金融危機・経済危機であった。第1に、平時には異例に大規模な財政・金融措置による政府機能が発動された。直接には短期の緊急対策的措置として始まったが、グローバル化を推進してきた市場主義・新自由主義の政策理念が大きく後景に退くことになった。逆に言えば、グローバル化を通じて、弱体化ないし相対化したかに現れた国民国家の国家主権の発動が再び大きく顕在化したのである。グローバル化を促進してきた貿易自由化に逆行する関税や貿易規制など保護主義、あるいは金融自由化に逆行する金融規制など、国家介入が、とりわけ強権的な直接統制・管理として現れれば、「ディグローバリゼーション」の大きな要因となる。また、こうした国家主権の復権は、「グローバル成長連関」の恩恵から排除されている国内不満層の反グローバリゼーションの動向と結びつけば、容易にそうした動向が強化されることになる。実際には、アメリカのトランプ現象に典型的に現れているように、各国・各地域で、反グローバリズムの政治潮流が現れているが、「グローバル成長連関」を直ちに無に帰することはできないため、現状では、「グローバル成長連関」を決定的に変質させるには至っていないといえよう。
この点に関連して、第2に、「バーゼルIII」や、アメリカのドッド=フランク法など、グローバル金融危機・経済危機後のシャドウバンキング・システムの規制を中心とする金融規制強化をどうみるか、という問題がある。そうした国際的あるいは主要国の金融規制と管理強化は、それまでほぼ無規制に展開されてきた金融革新と金融グローバル化に抑制的に作用する関係を含み、「ディグローバリゼーション」の性格をもち、「グローバル成長連関」の金融メカニズムに一定の変容をもたらすものである。しかし、本稿でたち入って確認したが、全体としては、それまでの金融諸規制の埒外でグローバルに展開されたシャドウバンキングの制度不備、システム欠陥を補正して、グローバルな金融システムの安定化をはかることを基本とするものであった。その意味では、「グローバル成長連関」の金融メカニズムの安定的維持を図る諸規制であり、それ自体は、「グローバル成長連関」そのものに逆行する性格のものとはいえない。
第3に、主要国の「国内成長連関」を再構築しようとする動向がある。グローバル金融危機・経済危機の衝撃と「グローバル成長連関」の機能不全に対し、アメリカをはじめ、とりわけ中国その他の新興経済の地域大国で、国内成長連関を再構築しようとする動向が現れた。こうした動向は、貿易制限等の手段による国内産業重視に傾斜する程度によっては、「ディグローバリゼーション」の重要な趨勢となる。しかし、アメリカをはじめ、基本的には、「グローバル成長連関」による恩恵を維持しつつ、危機に陥った国内経済を一時的に支える性格が強いものであった。むしろ一面ではそうした「ジレンマ」を内包するため、一方的な「ディグローバリゼーション」の趨勢を意味するものではない。グローバル化の最大の震源となったアメリカについて言えば、オバマ政権の「グリー・リカバリー」も、そうした「ジレンマ」にある政策であった。続くトランプ政権の「アメリカ第一主義」(America First)と「強いアメリカの再興」MAGA(Make America Great Again)を掲げ、関税引き上げや貿易制限などの保護貿易主義、とりわけ最大の貿易赤字相手国となった中国に対する貿易規制は、国内の「ラストベルト」(北東部工業地帯)の国内旧来産業の保護を目指す―いわゆる「岩盤支持層」を強く意識したかなり内向きの政策―ものであり、より反グローバリゼーションの性格が強いものであった。
しかし、第4に、以上の点にも関連するが、「ディグローバリゼーション」の趨勢を、より構造的に強める動向として、とりわけ重要となったのは、中国による経済成長戦略と対外政治・軍事的戦略転換の問題であった。
すでに見たように、中国は、グローバル金融危機・経済危機のインパクトの下で、「第12次五カ年計画」を画期として、それまでの「両頭在外」の輸出指向工業化戦略によって「グローバル成長連関」に積極的に組み込まれることを通じて工業化発展・経済発展を図る経済開発戦略から、全国の主要都市圏「21城市」とそれを高速道路と高速鉄道網で結び内需の核とする国内成長連関の構築と、それを補完する対外経済ネットワークとしての「一帯一路」と人民元を基軸通貨とする通貨決済圏の拡大をめざす対外経済戦略に転換した。それは、いわば中国を軸とする中国版のミニ「グローバル成長連関」を構築する戦略的転換であり、アメリカを軸とするグローバルな規模の「グローバル成長連関」と直接競合し、しかも「中国製造2025」が体現する「創新」と先端技術―とりわけ軍民両用技術―の強化は、アメリカの政治・軍事、経済覇権を脅かすものであった。その意味で、アメリカの政治・軍事的、経済的覇権、すなわちパックス・アメリカーナ秩序への重大な挑戦として現れた。
こうした中国の戦略的転換が明確になるに従って、アメリカの対中戦略は、先端技術、軍民両用デュアルユースの先端技術への対中規制を含め、「グローバル成長連関」から中国を切り離す「デカップリング」ないしはサプライチェーンにおける中国依存を減らす「デリスキング」に大きく傾斜することになった。すでにトランプ政権でもその傾向が強まったが、続くバイデン政権で、アメリカの国家戦略としてより明確となった。アメリカと中国のこうした国家戦略的な動きは、全体としてみると、「グローバル成長連関」の分断をもたらす可能性が高い性格のものであり、その意味で、中・長期的に見ても、「ディグローバリゼーション」のより構造的な趨勢となっている。こうしたいわば構造的底流の上に加わったCOVID-19のグローバル・パンデミックと、さらにそこに重なって生じたロシアのウクライナ侵攻は、少なくとも短期的には、「グローバル成長連関」に阻害的影響を与えた。
グローバル成長連関の都市ネットワークを介して世界的に広がったCOVID-19のグローバル・パンデミックは、最大でも3年間の短期間ではあるが、グローバルな規模で物流・人流を阻害し、グローバル・サプライチェーンを分断した。それは、とくに半導体や自動車部品などで顕著であった。そうした影響と重なりながら、ロシアのウクライナ侵攻は、戦闘そのものによるの物流の阻害と、対ロシア経済制裁による輸出入および金融取引制限の影響が大きな問題となった。その中・長期的な影響は、いまだ不透明ではあるが、感染症パンデミックのリスク、地政学的リスク、あるいは地球温暖化と気候変動・自然災害リスクなどのグローバルリスクと不確実性の高まりがより強く意識されたことは、企業・金融の事業展開の戦略的判断にも大きく影響する可能性が高く49、中・長期的にもグローバル・サプライチェーン/バリューチェーンの変容をもたらすことになる。
中国に対するアメリカの戦略的な「デカップリング」・「デリスキング」の動きは、こうした感染症パンデミックのリスク、地政学的リスク、あるいは地球温暖化と気候変動・自然災害リスクと不確実性の高まりとも複合して、「友好国」あるいは近隣諸国への製造拠点・事業拠点など調達先のシフトの動き(「フレンドショアリングfriend shoring」、「ニアショアリングnear shoring」)や、さらには、アメリカの国内成長連関へのシフトともなりうる、製造拠点や事業拠点の「国内回帰」(「リショアリングreshoring」)50として現れた。グローバル企業の事業・生産拠点のネットワークであるGVC/GSCは、「グローバル成長連関」の基軸的関係を構成するものであり、その立地的再編成(relocating)は、「グローバル成長連関」に変容をもたらす。グローバル金融危機・経済危機までの一方的なグローバル化に対し、「グローバル成長連関」の経済的あるいは政治・軍事的分断化が進めば、脱グローバル化・反グローバル化(「ディグローバリゼーション」)が進む可能性は否定できない。
実際には、そうした動向は、かなり複雑な複合的な要因を含み、現状を分析するだけのデータは十分得られているとはいえないが、最後に、とくに影響力の大きいアメリカ企業の「国内回帰」(「リショアリングreshoring」)と、関連する「フレンドショアリング」、「ニアショアリング」に絞って、GVC/GSCのグローバルな立地構成の変容を巡る問題をみて、締めくくりとしよう。
アメリカにおけるグローバル企業の製造基盤の国内回帰については、オバマ政権の「グリーンリカバリー」政策とも関連して、多くの研究が現れ、各種の主要論点の整理もなされた(Kai Foerstl et al.(2016)など)。続くトランプ政権によるMAGA政策で、対中高関税と貿易規制を中心とする、「ラストベルト」の製造基盤(国内の伝統的基幹産業)の再興の政策を経て、続くバイデン政権で「経済再生計画」(American Job Planなど)が打ち出されたことによって51、アメリカの製造業基盤の「国内回帰」とそれに関連したグローバル・サプライチェーンの再編と中国の「デカップリング」問題の研究が大きく加速された52。
実際には、Reshoring Initiativeによるケースの情報でみるかぎり、GE Appliance Park、Walmart、Hubbardton Forge、Zentechなど目立つ事例はあるが、大部分が小規模な事例であり、また、グローバル・サプライチェーンの国内への移転の内容は明らかになっていない。製造拠点あるいはサプラーチェン全体の「国内回帰」の過程では、グローバル化とは逆の関係で、国内の制約条件の如何がその動向を左右する。製造拠点・事業拠点のオフショアリングとサプライチェーンのグローバル化を促した伝統型の労使関係などの国内諸条件は、「国内回帰」の制約となるものであり、「フレンドショアリング」・「ニアショアリング」には地域経済統合のあり方も大きく関係する。全体に、「グローバル成長連関」の脈管を形成している金融・サービスを含むグローバル企業の製造拠点・事業拠点が構成するGVC/GSCの展開、あるいはそのグローバルな再編成には、グローバル化プロセスと同様に、「ハイブリダイゼーション」のダイナミズム53が大きく作用するものである。
グローバル企業のグローバルな事業展開を制約するローカルな諸条件としては、労使慣行・労使関係、商習慣や、外国企業に関する法制度、政治・社会経済的諸制度、さらにそうした関係のベースとなっている文化的諸条件、歴史的・地理的諸条件があり、しかも、それぞれの立地諸国・地域で異なっている。「グローバル成長連関」に帰結した経済グローバル化のプロセスは、企業・金融・情報および政府機能それぞれの側面で市場主義と利潤原理が浸透する関係を中心として、各国・各地域の既存の制度・組織に大きな変容圧力を生じる。そうしたグローバル化の変容圧力は、各国・各地域において、ナショナルなレベルからローカルなレベルまで既存の制度・組織との摩擦と対抗的動きを生じ、各国・各地域 世界的にもローカルな諸条件と合成された新たな制度・組織革新を生む。中心国アメリカのみならず、先進国・新興経済・途上国すべてにおいて、程度の差はあれ、さまざまな制度・組織変容とシステム転換を伴うものであった。
グローバル企業のグローバルな事業展開においては、ローカルな経営環境と現地諸条件の制約に対し、「適用」と「適応」のダイナミズムが働き、その対応の困難の度合いに応じて、企業の経営・生産システムが一定の変容を受けて現地経営が定着する。そうした現地諸条件への適応はコストを要し、そのあり方は、単に労賃コスト要因の問題ではなく、サプライチェーンの各段階での製品特性や技術特性による要件の相違によって、立地選択が決定される関係にある。それに対応して、GVC/GSCの立地編成が出現することになる。それも、「ハイブリダイゼーション」ダイナミズムの重要な一面である。金融やサービスのグローバル・ネットワークの編成も、同様のダイナミズムが作用する。
同時にとくに強調されてよいのは、それぞれの進出先諸国政府の経済開発戦略と関連した、ローカルコンテンツ規制や輸出入規制、あるいは逆に法人税や関税優遇や各種圃場金などのインセンティブによっても、立地選択は大きく左右される。そのため、外資誘致による経済発展を追求する諸国間・地域間の競争を誘発すると同時に、地域経済統合に大きく影響を与えてきた54。こうして、「ハイブリダイゼーション」ダイナミズムは、「ディグローバリゼーション」の趨勢と関連したGVC/GSCの再編成にも、当然大きく作用する。逆に、グローバルな規模でのGVC/GSCの立地構成の再編は、地域経済統合の再編に帰結する。
一般化して言えば、グローバル化圧力が優勢な場合、グローバル化のロジックが優位な制度・組織革新と新制度の形成に帰結し、逆に、反グローバル化(ディグローバリゼーション)のロジックが優勢になれば、脱グローバル化に傾いた制度・組織革新とシステム変容を生じるものとなる関係にあるといえよう。その帰趨は、いまだ流動的であり、確定的とはいえないが、以上との関連で、とくに注目されるのは、電子・電機(家電)産業である。グローバル化の過程で、電機・電子産業では―「重電」・「白物家電」は自動車産業と共通する面があるが―テレビ、オーディオなど弱電系家電、さらにスマートフォン・半導体・PCなど、電子産業のファブレス化が進み、アメリカ国内の製造基盤はほぼ失われており、むしろ、サムソン、LGや台湾系EMSにより、中国・東南アジアに製造基盤が移り、そうした製造拠点を通じたサプライチェーンが構築されてきた。自動車産業では、最終組立だけでなく、メキシコ・カナダを含め北米に部品・資材等の製造基盤の集積があり、その意味では、「ニアショアリング」で対応可能であろうが、電子・電機産業では、そうしたサプライチェーン全体を、国内移転することになれば、まさに、「ディグローバリゼーション」の効果を持つ。
しかしそれには、技術者・人材を含め、多大なコストと困難を伴うものであり、現実的とはいえない。しかも、電子・電機産業は、とりわけ中国国内の製造とサプライチェーンへの依存が大きく、仮に完成工程がアメリカ国内に移転されたとしても、部品・資材調達先は中国国内に残る可能性がある。あるいは一部は、中国からの調達の「デリスキング」戦略による「チャイナプラス1」など、電子・電機の製造基盤のある東南アジアに移る可能性がある。こうした動向は、さらに不動産バブル崩壊による中国経済の不況動向によっても、大きく左右されるものである。
製造業の「国内回帰」が、オフショアリングを通じてグローバルに拡大したサプライチェーンの部分的な「国内回帰」にとどまり、しかもその部品・資材調達が中国に残って、「デカップリング」・「デリスキング」も部分的にとどまれば、それは直ちに「脱グローバル化」という意味での「ディグローバリゼーション」を意味することにはならない。これは、台湾や日系企業、その他の製造拠点のアメリカへの移転でも同様であり、また、鴻海のインドへの移転など、中国からの製造拠点の移転も同様な関係を含むものである。
全体としてみれば「グローバル成長連関」を構成するGVC/GSCの立地構成の再編は、少なくとも「グローバル成長連関」を構成するグローバル・ネットワークの「生態系」の変容となるものであるが、そうした展開は、個々の企業それぞれの状況とそれに対する経営戦略と判断に直接依存する。その実態の解明には、主要企業に即して、製品別に各事業所の生産工程ないしは事業プロセスの分担関係と部品・資材調達の分析を通じて、具体的に解明することが不可欠である55。
本研究はJSPS科研費JP20H01541(科学研究費補助金基盤研究(B)「ディグローバリゼーションにおける国際経営戦略の再設計―群集生態学的アプローチ」:研究代表者法政大学経営学部教授洞口治夫、2020–2024年度)の助成を受けたものである。
なお、本稿の脱稿は10月末日のため、トランプ大統領の第2期目の問題については扱えなかった。別稿に譲りたい。