本研究は、DX推進における新技術導入の成功要因を明らかにすることを目的とし、社会物質性理論、とりわけLeonardiの「鱗状重層(imbrication)」モデルを援用し分析を行っている。調査対象は、Skip Cart®と呼ばれる購買支援カートを導入した株式会社トライアルカンパニーとそのIT子会社であるRetail AIである。2012年から2024年にかけての導入プロセスを6フェーズに分けて詳細に追跡し、人間のエージェンシーと技術の物的制約性との相互作用を動態的に描出した。技術導入は、現場の反発や利用者の混乱、業務負担の増大といった課題に直面したが、反復的な実験と技術の改良、関係者間の信頼構築を通じて徐々に制度化され、最終的には正統性を獲得した。本研究は、従来の技術決定論や社会構成主義的アプローチを超えて、技術と人間との相互進化的な関係に着目し、新技術の定着プロセスを「反復」「安定」「正統性獲得」の3段階として理論化した点に貢献がある。
This study investigates how new technologies can be successfully integrated into organizations under digital transformation using a sociomateriality perspective, particularly Leonardi’s imbrication model. The focus is the case of Trial Company and its IT subsidiary Retail AI, tracing the development and adoption process of the “Skip Cart®”—a physical shopping cart for in-store use with digital promotion and payment functionalities—from 2012 to 2024. The dynamic interplay between human agency and the material constraints of technology is examined through six distinct phases. In the initial phase, the cart faced resistance from employees and confused customers, yet continuous experimentation, iterative redesign, and active engagement with stakeholders built trust and facilitated the adaptation and stabilization of the technology. Eventually, the Skip Cart® gained legitimacy and became widely accepted in stores. The study contributes to the literature by moving beyond technological determinism and social constructivism, offering a sociomaterial explanation that captures the co-evolution of humans and technology. The findings highlight a three-stage process—iteration, stabilization, and legitimation—through which new technologies are embedded into organizational routines.
近年、企業では、「デジタルトランスフォーメーション(以下、DXとする)」をはじめとする情報技術を利用した経営革新への関心が高まってきている(Hanelt et al., 2021)。日本政府は、2018年に「DX推進ガイドライン」を策定し、DX推進に力点を置いている。なお、ここでDXとは、「情報技術の浸透が、人々の生活をあらゆる面でより良い方向に変化させること」を意味する(Stolterman & Fors, 2004)。
もっとも、当然のことながら、こうした新たな技術を用いたマネジメントは、今になって注目され始めたのではない。しかし、コンピュータのデータ処理能力の爆発的な拡大や、多様なデータ処理手法の開発、膨大なデータの蓄積といった機会が現れた結果、マネジャーたちはその機会を活用し、競争優位に立とうと様々な施策を模索している。
このように、新たな技術が現れるたびに、マネジャーらはそれを組織に導入すべきか否か検討するが、その際、彼らは次のようなジレンマに直面することが指摘されている(Kellogg, 2022)。すなわち、新たな技術導入を組織上層部が先導した結果、従業員の反発(Vallas, 2006)やモチベーションの低下(Anteby & Chan, 2018)が生じうる一方で、反対に現場の従業員の自律性を尊重した結果、技術導入が遅延したり、十分な効果を発揮できないといった問題が生じうるという点である(Beane, 2019;Bechky, 2020)。
こうした問題を念頭に、本研究は、いかにすれば、企業組織に新たな技術を円滑に導入し、活用することができるのか検討する1。既存の研究では、新たな技術を組織に導入する際に、組織構造を再構成したり、チーム学習を通じてルーティンを変革したりする必要性が指摘されてきた(e.g. Edmondson et al., 2001;Kellogg, 2022)。だが、後述するように、先行研究では、新技術の導入の成否を組織的要因のみで説明しようとする傾向があり、技術それ自体が人間や組織にもたらす効果が見過ごされてきた。それにより、新技術の導入によって、人間や組織における協働がいかに変化したり、あるいはそうした変化に対応すべく、いかに人間や組織が技術に働きかけたりするのかについての考察が深められてこなかったといえよう。
そこで本研究では、先行研究では見過ごされる傾向があった技術が有する物的性質について、Leonardi(2011)が提唱する「鱗状重層(imbrication)」の概念をもとに検討することで、人間のエージェンシー(agency)と実験で用いられる装置のエージェンシーとの関わり合いによって、技術の導入が促進ないし遅延・拒否されることを論じる2。具体的には、株式会社トライアルカンパニーの事例をとりあげ、いかにして組織に新たな技術を導入することが可能になるのか、その詳細な過程を分析する。
企業における新技術導入の実践を理解するためには、技術と組織との関係をいかに捉えるかという理論的枠組みの検討が不可欠である。先行研究において、技術と組織の関係性は、技術決定論、社会構成主義的アプローチ、相互作用論という3つの類型で議論されてきた(松嶋, 2015;Markus & Robey, 1988)。
第一に、技術を組織構造や行動を一方向的に規定する外生的変数とみなす「技術決定論(technological determinism)」である(Woodward, 1965;Perrow, 1967)。組織論の領域では、Woodward(1965)やPerrow(1967)による実証研究が、生産技術の種類が組織構造を決定づけることを論証した。同様に、Thompson(1967)も、組織の設計は「技術的不確実性」を管理するために適応されるべきだと論じ、技術が組織の不確実性削減戦略を規定する主要因であると位置づけた。このように、技術決定論的視点では、技術は本来的に持つ性質に基づいて社会的・組織的現象を規定する独立変数として捉えられてきた。
もっとも、こうした技術決定論に依拠する研究は、1980年代後半以降、次第にその研究数が少なくなっていった(上林, 2001)。この背景には、主に2つの要因が指摘されている。第一に、技術決定論が前提とする「技術が組織構造や行動を一方的に規定する」という思考様式に対して、方法論的な批判が提起された点である。この視座においては、組織サイドの主体的な選択や対応が十分に考慮されておらず、その結果、組織の能動的行為や主体性が捨象されてしまう(上林, 2001;松嶋, 2015)。技術の導入や適応は、組織の内部的文脈やアクター間の相互作用に依存して動態的に形成されるものであるという認識が広がったことが、技術決定論批判の重要な契機となった。
第二に、産業構造の変化が挙げられる。すなわち、従来の機械技術を中心としたハードな経営資源主導型の経営環境から、ヒト・情報・知識といったソフトな経営資源を中心とする経済社会へと移行が進んだことにより(Bell, 1973)、技術の活用がより社会的・組織的なコンテクストに依存するようになった。この変化は、技術をあらかじめ固定された外生的条件として扱うことの限界を浮き彫りにし、むしろ技術と組織との相互構成的な関係性を捉える必要性を促すこととなった。
こうした流れの中、技術決定論に代わって新たに提唱されたのが、技術を客観的・中立的な存在とはみなさず、組織内の社会的実践を通じて意味づけられる対象とする「社会構成主義的アプローチ(social constructivism)」である(Orlikowski, 1992;Pinch & Bijker, 1984)。社会構成主義的視点では、技術はあらかじめ確定した機能を有するものではなく、組織内の多様なアクターたちの相互作用や交渉の中で、その意味と用途が動態的に形成されると考えられる(Pinch & Bijker, 1984)。
たとえば、ある情報システムが業務改善のために導入された場合でも、現場のユーザーたちの受け止め方や運用方法によって、そのシステムの「意味」や「効果」は大きく変容しうる。Orlikowski(1992)はこの視点に立ち、技術を単なる物理的対象ではなく、組織的実践に埋め込まれた社会的構成物(socially constructed artifact)として捉えるべきことを強調した。このように社会構成主義的アプローチは、技術の受容・解釈・再構成の過程に焦点を当て、技術が組織に与える影響を単線的・決定論的に理解することへの批判を展開した。
この考え方は、組織論にも影響を与え、新たな技術の導入と定着がいかにして組織の実践や構造に組み込まれるのかという問題が検討されるようになった。実際、組織論においては、新たな技術を導入し、それが効果的に活用されるためには、組織が当該技術に対して適応しうる条件やメカニズムを備えていることが重要であると指摘されている(Barley, 1986;Attewell, 1992;Szulanski, 2000)。先行研究では、新たな技術を導入する上で生じる課題に取り組む際に、大きく分けて組織構造や組織ルーティンという2つの側面に着目してきた。
まず、組織構造に着目する研究では、選抜から配置、教育訓練、業績測定に至る一連のプロセスを効果的に行う高業績作業システム(High Performance Work Systems: HPWS)が存在する組織では、導入された技術が現場でも適切に機能することや(Batt and Colvin, 2011;Ranganathan, 2018)、現場の意見を汲み取ったり、それを上層部にフィードバックするといった、いわば橋渡しの役割を担う部門・部署を設けることで導入された技術が適切に機能することが明らかにされている(Kellogg, 2022)。
次に、組織ルーティンに着目する研究では、ルーティンを反復的かつ組織の実践を規定する硬直的な行為として捉え(Nelson & Winter, 1982;Levitt & March, 1988)、新技術を採用する際には、そのルーティンの変更こそが課題であると指摘している(Barley, 1986;Edmondson et al., 2001;Orlikowski, 2000;Pentland & Feldman, 2008)。たとえば、Edmondson et al.(2001)では、心臓外科手術を行う上で用いられる革新的な技術を導入した病院を対象に、メンバーの選定(enrollment)、準備(preparation)、試行(trials)、反省(reflection)という4つのステップから構成されるチーム学習プロセスを経験している場合は、既存のルーティンを変化させ、技術の導入に成功していたことを明らかにしている。
しかし、新たな技術の導入の成否は、こういった組織的な要因だけで説明できるのだろうか。たとえば、HPWSや労働組合、上層部と現場の橋渡しの役割を担う部門・部署といった要素に焦点を置く研究では、特定の機能を有した組織・集団によって新技術の導入が上手くいくか否かが左右されるのであり、技術が行為主体に対して何らかの働きかけを行うという視点が抜け落ちている。同様に、組織ルーティンの革新に着目したEdmondson et al.(2001)においては、チームの学習プロセスによって、新技術の導入の成否が決定されると主張しており、ある種の組織決定論的な見解を提示している。こうした視点に基づいた場合、「技術は、特定のコンテクストに適応できるように人間によって再構成可能な社会的・技術的人工物である」(遠山, 2019, p.10)ものとして理解され、そのため、技術が有するエージェンシーは過小に評価され、反対に人間のエージェンシーが過大に見積もられることとなる(Kallinikos, 2004)。また、より素朴に考えれば、技術そのものを分析の俎上から取りこぼす技術研究は、そもそも理論ないし方法論に欠陥があるともいえる(松嶋, 2015)。
こうした問題意識に基づき、近年提唱されているのが、「社会物質性(sociomateriality)」と呼ばれるアプローチである(Orlikowski, 2007;Leonardi, 2011)。社会物質性アプローチは、技術と社会的実践を切り離して考えるのではなく、両者が本源的にもつれ合い(entanglement)、互いに構成しあっていると捉える。
Orlikowski(2007)は、組織実践において社会的側面と物質的側面が独立して存在することはなく、常に不可分に絡み合いながら現実を立ち上げていると論じた。彼女は、社会と物質の間に境界を設定すること自体を批判し、両者の共生成に着目する。そのため、技術と社会実践の関係を、事前に区別可能な要素同士の相互作用として捉えるのではなく、もはや区別不可能な統一的プロセスとみなす点に特徴がある。
一方、Leonardi(2011)は、社会物質性という基本的視座を共有しながらも、やや異なる立場をとっている。彼は、技術の物的特性と社会的意味づけとを理論的には区別可能な層として捉え、それらが組織実践においていかに重なり合い、変容していくかを分析した。
具体的には、「鱗状重層(imbrication)」という概念を用い、人間の行為主体性と技術の物的制約性が、折り重なるように絡み合いながら、新たな実践や構造を生成する動態的プロセスを描き出した(図1参照)。図1において、円形はルーティンとしてのエージェンシー形態を表しており、四角形は技術としてのエージェンシー形態を表している。両者が雄瓦と雌瓦から構成される瓦ぶき屋根(imbrex)のように相互に重なり合っている様相から、鱗状重層モデルと呼ばれる。

(出所)Leonardi(2011, p.154)を参考に筆者が加筆し、作成。
Leonardi(2011)によると、既存の技術の物質的エージェンシー(M1)に喚起される形で、人間は人間エージェンシー(H1)を遂行する。ここで人間エージェンシーとは、「ゴールを形成し、実現する能力」を指す。だが、この行為の繰り返しの最中において、人間エージェンシーが技術の制約を受けて、満足に行為を実現することができないことが知覚されるとする。その際、人間は新たな技術(M2)を探し出し、それを組織に導入することを通じて、これまでの行為を変革させ(H2)、新たなルーティンが構成される。
こうした鱗状重層モデルについて筈井(2021)は、Leonardiが挙げている例をもとに、次のように説明している。ある集団が、広報誌を作成・配布する目的(H1)を持っているとする。その際、当初は、既存のワードプロセッサ技術(M1)を用いて作成を行なっていたのが、これでは優れた広報誌を作成することが困難であることが判明し、より高機能で新たなワードプロセッサ技術が導入された(M2)。その結果、これまでのワードプロセッサ技術ではできなかったことが可能となり、新たな目的が立てられることになった(H2)。こうして、技術は人々の行為を制約するとともに、新たな実践を可能にするものでもある。
このように、Orlikowskiが存在論的に社会と物質を区別不能なものとして捉えようとするのに対し、Leonardiは区別可能な概念枠組みを保持しつつ、それらの相互編成プロセスを記述しようとする点に違いが見られる。言い換えれば、Orlikowskiの社会物質性はより強固な一元論的立場に立脚しているのに対して、Leonardiは分析的な便宜上、いわば操作的に両者を区別することを提案しているのである(松嶋他, 2019)。本研究では、こうした両者の立場を踏まえつつ、特にLeonardi(2011)のアプローチに依拠し、技術の物的制約性と人間の行為主体性との相互作用を動態的に捉える視座から、新技術導入過程を検討する。
他方で、Leonardiの議論には、制度化を分析する上でいくつかの限界が存在する。第一に、Leonardiが焦点を当てるのはあくまで個別の実践レベルにおける相互作用の生成と調整であり、これらの相互作用が時間をかけて連鎖・累積し、組織文化や制度として安定的に定着していくプロセスへの理論的関心は限定的である。たとえば、Leonardi(2011)は、技術と社会の交錯が新たな実践を生み出すことには言及するものの、それがどのようにして制度化に至るのかについては、理論的な説明を行なっていない。
第二に、Leonardi(2012)も、IT導入プロジェクトにおける意味づけと実践変容の事例を検討しているが、そこでも主たる関心は、局所的な適応であり、それらの変化がいかに時間をかけて安定化・規範化し、組織的慣行や制度的枠組みへと発展していくのかという問題には十分に踏み込んでいない。こうした点から、Faraj and Azad(2012)も、社会物質性研究の課題として、動態的安定化や制度化プロセスを捉える理論的枠組みの不在を指摘している。彼らによれば、社会物質性研究は、即時的な相互作用の分析には適しているが、時間軸に沿った組織的慣行の定着や制度化のメカニズムを理論化するには、説得力に欠けるという問題を抱えている(Faraj & Azad, 2012)。
Leonardiの社会物質性アプローチがこうした限界を内包する理由は、同アプローチが社会構成主義的アプローチの限界を乗り越えるために、人間エージェンシーと技術エージェンシーの局所的な相互作用に焦点を当ててきた点にある。すなわち、技術を単なる社会的構成物とみなすのではなく、技術それ自体が人間の行為に働きかけることを明示した点に意義がある一方で、その関心が相互作用の描写にとどまってきた結果、時間をかけた累積的な変化や制度化のプロセスを十分に捉えられてこなかったのである。
こうした限界を乗り越えるために、本研究では、物質的エージェンシーと人間的エージェンシーの相互作用を単発的に生起する出来事として捉えるのではなく、時間をかけて繰り返し技術が利用される中で、それがいかに変容し、やがて組織内に定着していくのかという過程に焦点を当てる必要があると考える。実際、Faraj and Azad(2012)も指摘するように、既存研究は技術をあらかじめ与えられた「製品カテゴリー」や「機能の束」として捉えがちであり、そのため技術の利用方法がどのように変化しながら組織内の実践に取り込まれていくのかという動態的な過程を十分に説明することができなかった。この点を踏まえると、技術導入と定着のプロセスを理解するためには、相互作用の描写にとどまらず、その繰り返しの中で当初導入された技術の利用方法がどのように変容していき、それによっていかなる実践が可能となっていくのかという点に注目しながら事例を記述することが不可欠である。こうした視座を導入することで、Leonardiの社会物質性アプローチを拡張し、技術導入と制度化のダイナミクスをより的確に捉えることが可能になると考える。
本研究では事例研究、特に単一事例研究と呼ばれる方法を採用する。事例研究は定量的手法では測定できないプロセスに注目することが可能である(Eisenhardt & Graebner, 2007)。また、単一事例研究では事例を詳細に記述することにより、因果関係を説得的に論証することが可能である(Siggelkow, 2007)。
繰り返しになるが本研究の目的は、どのようにすれば組織は新技術をうまく導入できるのかを明らかにすることであるため、組織が技術の導入に成功した例、具体的には試験的な技術の導入から技術の浸透に成功した事例を対象とすることが望ましい。そのため本研究では、研究対象として株式会社トライアルカンパニー(以下、トライアル3)と株式会社Retail AI(以下、Retail AI)を選択し、新技術の導入過程を検討する。
3.1 対象企業の概要対象企業の概要であるが、トライアルは創業1974年、本社が福岡県福岡市に位置している小売業を中心に営む企業であり売上高は6,531億円である。2015年9月まではトライアルが本社機能を有していたが、2015年9月に純粋持株会社体制に移行しており、現在、本社機能は純粋持株会社のトライアルホールディングスが有している。従業員数はグループ連結で5,993名である。
次に、Retail AIは2018年にトライアルのIT部門が独立して設立された企業である。本社は東京都港区に位置し、従業員数は676名である。事業としては、店舗のDX機器開発や社内システムの開発を行っている。Retail AIは2023年10月までは社内システムの開発、製品の試験的な外販を中心に行っていた。
本研究では、Retail AIにて開発されている製品の中でもSkip Cart®の導入事例を検討する。ここでSkip Cart®とは、スーパーマーケット等の小売店舗内で用いるショッピングカートにタブレット端末が搭載された製品である。主な機能としては販売促進機能と決済機能が挙げられる。前者は、タブレット端末上にポイントが付与される商品を表示することで買い物客の購買を促す機能であり、後者はタブレット端末上に搭載されたバーコードリーダーを用いて商品の読み取りを行い、専用のゲートを通ることで決済が完了する機能である。Skip Cart®は現在トライアルグループを中心に1万9,000台導入され稼働していることから、技術の導入に成功している事例といえよう。
3.2 データ本研究では、主に半構造化インタビューにてデータを収集している。具体的には、Skip Cart®の導入にかかわった方々を中心に2022年4月から2024年3月の約2年間にかけて7回、計485分間のインタビューが実施された。
また、定性的方法においては情報の厳密性が問われるため、複数の情報源に確認するといった三角測量(triangulation)が必要である(Miles et al., 2020)。そのため2次資料として、創業者の著書(永田, 2022)4、新聞記事、雑誌記事を使用した。また、インタビュー内容の解釈についてインタビュー回答者の意図と異なる解釈を行っていないかインタビュー回答者へ確認している。
ここで、事例の記述の前に、Leonardi(2011, p.154)の鱗状重層の概念をもとに分析した結果を示す(図2)。以降では、各フェーズごとに節を構成し、それに対応するエージェンシーについては文中に、物質的エージェンシーの場合は、「(M1)」などと、人間的エージェンシーの場合は「(H1)」などのように示している。

(出所)筆者作成。
トライアルでは1990年よりITシステムの自社開発が行われており、2012年当初より自社のPOS(Point of Sales)システムが利用されていた(図2のM1)。当時トライアルでは2点の課題が認識されていた。第一に、店舗内で運営する人員の削減や1度の購買における金額の増加といった販売費及び一般管理費(以下、販管費)の削減である(図2のH1)。その理由は、トライアルが価格戦略としてエブリデーロープライス方式(Every Day Low Price: EDLP)を採っていることにある。EDLP方式では、「特売品の選定や在庫管理の手間が省ける代わりに、競合店舗による特売に対抗できる店舗の低価格イメージを形成しつつ利益を確保することが、重要な課題」(高橋, 2020, 79頁)である。そのため、収益を増加させるためには1回の購入における購買点数の増加やローコストオペレーションが重要であった。
第二に、当時使用されていたPOSシステムでは上記の課題を解決することが困難であったことが挙げられる(図2のM1)。そのため、既存のPOSシステムに代わる新たな技術を導入することを経営者層が主導となって意志決定を行った。その中で、「ショッピングカートで買い物環境を変えられないか?」と創業者が考えたことがきっかけとなり、Skip Cart®の開発が開始されるに至った(図2のH1)。
4.2 フェーズ2(2015年6月~2016年1月) Skip Cart®開発と導入の開始:M2の分析2015年6月より、創業者の「流通業を変える」という思いに共感した専門商社と共同で開発が開始された。ただ、Skip Cart®の開発を進める中でハードの専門設計の必要が生まれたために商社との開発は2015年10月に終了し、自社開発に乗り出した。その過程では、一定の動作確認を経て、試作品を店舗で使用するという実験が行われた。この際に、試作品の稼働を反復して実施した。ここで、反復して実験が行われた理由について開発者であるM.H氏は以下のように語っている。
「〔筆者注:現場で〕何が起こるかわからないから、(中略)やる時は集中して、生鮮の作業場を借りて常駐してやりました」(2024年3月11日 M.H氏インタビュー)
つまり、新技術の導入に際してどのような問題が生じるかが当初予想できなかったため、まず、技術を導入する店舗で実験する必要があったのである。この実験では、1回の購買点数増加を目的として販売促進機能(カートのタブレット端末にクーポンを表示する機能)の実装が行われた。この時の従業員の反応としては、その導入に対し疑問視する声もあったという。そうした従業員の抵抗感の源泉は、これまで行ったことの無い業務にどう対処すればよいかわからないといった不安や、新たな業務が追加されることによる負担にあった。
実際、カートの導入に際して増加した業務として、たとえば従業員はカートのタッチパネル部分を清掃する必要や、使用を終えたカートを回収し店の入り口に配置しなおす必要があった(図2のM2)。特にカートの回収業務においては試作品は、鉄製のカート本体にタブレットやバッテリーを搭載したものであったため、1台のカートの重量が非常に重いものとなっていたという。カートの重量化によって、従来では1度に20台程度運べていたカートが半分程度しか運べなくなったため、その回収業務に普段の倍の時間と労力を要することとなった。そのため、従業員は通常の業務に加え、Skip Cart®導入によって新たに生じた業務も行う必要があり、現場の負担が増加していた。
以上の経緯を経たSkip Cart®の最初の導入の結果としては、購買客にほとんど使用されなかったという。この理由としては、当時、スマートフォンの普及率が低く、タブレット端末の利用方法が直感的に理解できなかった購買客が多かったことが挙げられる。そのため、トライアルの当初の目的である購買点数の増加は達成されなかった。
4.3 フェーズ3(2016年~2018年12月) 決済機能の追加:H2の分析クーポン機能を搭載したSkip Cart®の導入実験は、反復される過程において導入する店舗を数店舗に増やす事や、タブレット端末ではなく自社開発のPOSシステムを搭載する等の変更を加えつつ続けられた。カートの導入と稼働を反復する過程で、Skip Cart®はスーパーマーケットの利用客に徐々に利用される製品となっていたが、より利用客に使用されるよう、開発者は利用客にヒアリングを行った。ヒアリングの中で多かったのが「タブレット端末が搭載されているのに、なぜ決済機能がないのか」という声であった。そこで、2017年10月に決済機能を搭載したSkip Cart®を1店舗に数台導入する実験を実施した(図2のH2)。
決済機能の開発に際しては、開発者が3ヶ月間にわたって、店舗の売り場に常駐し、商品のスキャンが正常に行われるよう観察を行った。トライアルをはじめとする小売業において、1店舗に配分される予算はそれほど多くないため、導入される店舗の予算を増加させるなどの対応がとられた。また、決済機能の開発において購買客の不安を取り除く工夫もなされている。それが、決済を完了したことを明確にするためのゲートの設置であった。決済機能が搭載されたSkip Cart®は開発当初、従業員のチェックが終わると会計処理が終了する仕組みになっていた。そのため、レジのレーンにおいて担当者が確認を終えた後は商品を詰めるエリアに進んでよいが、スーパーマーケットの利用客は、会計処理後に周囲を見回していた。これを観察した開発担当者が利用客に話を聞いたところ、会計処理が正しく行われているか購買客が不安に思ったがゆえの行動であったことが判明した。そのため専用のゲートを通ることで会計が完了する仕組みに変更した。また、店舗でSkip Cart®がうまく稼働しないなどトラブルが発生した際には経営層が店舗に向かい従業員に謝り、説得することもあったという。ここで、導入に際し生じたトラブルに対しては開発者が自ら対応することで店舗の従業員の負担を減らすこと、そして店舗の従業員の不安を軽減するための行動を積極的に行っていた。
このように導入者が問題に対応する姿勢を見せることや、店舗の運営で新たに発生した業務への対処を行うことで店舗との信頼関係が構築された。Skip Cart®開発者や経営層がSkip Cart®の導入に積極的に介入する中で、実験前に店舗の従業員が感じていたような不安は軽減されていった。
4.4 フェーズ4(2017年10月~2018年12月) 決済機能の追加による利用者の反応:M3の分析決済機能を搭載されたSkip Cart®を試験的に導入した結果、スーパーマーケットの利用客からの評価は非常に高く、当該機能の追加が正式に決定された。つまり、試作品を店舗に導入する実験を繰り返した結果、決済機能が利用客に受け入れられたのである。これより後には、販促機能と決済機能を搭載したカートとして、Skip Cart®の仕様が安定していくこととなる。
しかしながら、Skip Cart®の決済機能は利用客からは高評価を得る一方で、従業員の業務をさらに増加させることとなった。たとえば、恒常的に発生した追加の業務として、商品の読み取りに関するものが挙げられる。Skip Cart®では、購買客にスキャンを任せるという機能上、商品がスキャンされているかどうか不安になり何度もスキャンしてしまう購買客が存在し、その場合は返金処理を行う必要があったという(図2のM3)。その一方で、商品の読み取り忘れによる損失(以下、ロス)が増加してしまったという。そのため従業員は、カートに入っている商品点数とタブレット端末で記録されている商品点数が合致しているか確認する業務に対応する必要があった。
4.5 フェーズ5(2019年1月~2022年3月) ロス防止機能の開発:H3の分析ただ、店舗におけるロスの増加はトライアルにとって見逃せないものであった。そのため、トライアルは2019年よりロス防止機能の開発に取り組み始めた(図2のH3)。それと同時に、カートの利用しやすさの向上も図られた。上述の通り、従来は鉄製のカート本体にタブレットやバッテリーが搭載されていたため、カート本体が重量化し、その結果、購買客と従業員にとって利用しにくいものになっていた。そのため、現在、運用されているSkip Cart®は本体の大部分に強化プラスチックが採用され、アスファルトの上でも問題なく動かせるよう、従来のカートよりも車輪を大きくするなどの変更が加えられている。
そしてカートの軽量化は同時に、従業員の要望についても反映することとなった。その例として、2022年3月に展開が開始されているSkip Cart®ではカートを15台連結することで充電が可能になっていることが挙げられる。従来のSkip Cart®では、各カートに充電プラグを差し込む必要があった。これについて1店舗に数台程度のみSkip Cart®が導入されるのであれば大きな負担にはならないが、Skip Cart®は平均して1店舗に93台、多い店舗で数百台導入される。Skip Cart®は主に日中稼働し、夜間に充電が行われる。この場合、夜間の少ない人員で、充電作業に長い時間がかかることはオペレーション上、大きな負担になっていたのである。そこで、カートを連結するのみで充電されるようにSkip Cart®を変更した結果、店舗の運用負担が削減されたということであった。
4.6 フェーズ6(2022年4月~2024年3月) Skip Cart®導入の現在:M4の分析以上を経て、現在Skip Cart®が導入された店舗では会計に掛かる時間が4分の1程度に減少したことで作業効率が向上し、来店頻度が13%上昇したことで店舗の売り上げも向上した。(図2のM4)。現在Skip Cart®はトライアルを中心として約2万台程度稼働している。店舗に広く導入していることで、人手不足解消にも役立っている。たとえば、以前は従業員が辞職した場合には別の従業員が当初シフトに入っていなかったにもかかわらず追加で出勤することで対応するといった状態であったが、現在ではその必要はないという。
また、Skip Cart®の運用について従業員は以下のように語っている。
「運用は大変な時もあるが、Skip Cart®のおかげでレジ業務の負担は軽減されています。また、客として来店した際に簡単に会計できる点は便利で、クーポン機能もあるため客として利用する際は必ずSkip Cart®を利用します。」(2023年10月26日 スーパーセンタートライアル宮田店、従業員K.A氏)
実際、購買客にとっても利用しやすい技術になっている。たとえば利用率(店舗に占めるSkip Cart®利用者の割合を示す指標)が最大で50%以上を記録するなど、トライアルに来店する多くの人にSkip Cart®は利用されている(図2のM4)。
以上から、購買点数の増加というトライアルの目的が達成されており、購買客にとっても使用しやすい製品であり、かつ従業員の業務も軽減されている。そしてそれが日常的に使用されているため、技術の浸透に成功している。つまり、正統性を獲得しているといえよう。
以上ではSkip Cart®の導入事例について記述してきた。ここでは、技術の導入が成功した要因について考察を行う。本事例における発見事項は以下の2点である。
5.1 社会物質性の視座による技術と人間の相互作用の解明上述した通り、既存の技術研究において、技術を捨象する事態が生じており、この問題を踏まえた上で、本研究では社会物質性の議論を参照し、新技術を組織に導入するプロセスについて検討してきた。事例の分析を通じて、Skip Cart®を導入し、受け入れられるまでには多くの困難が存在し、それには技術特性や人間の行動によるもの双方が影響していることが明らかになった。したがって、今回明らかになった知見は、優れた技術であれば導入されるという技術決定論でもなければ、組織や人間サイドの要因によって技術の導入が左右されるとする社会構成主義的アプローチでもない、技術と人間の双方が影響しあうという社会物質性の観点を採用したからこそ得られたものであるといえよう。
5.2 技術の導入における反復・安定・正統性獲得プロセスLeonardi(2011)の従来の図式では、人間エージェンシーと物質的エージェンシーのミクロな次元での相互作用の連鎖が、組織内での日々の実践に対して、いかなる影響を与えているのかを分析することができる一方で、組織に導入された技術がどのようなプロセスのもと、制度化されるのかについては明らかにされていないという理論的課題を抱えていた。それに対し、本研究では、Skip Cart®の事例を通じて、Leonardi(2011)にみられた、ミクロな相互行為の連鎖という分析的視座を拡張し、技術導入と定着は、反復、安定、正統性獲得という3段階のプロセスを経ていたことを明らかにした。加えて、反復、安定、正統性獲得という3段階のプロセスに至る上で、不確実性の削減、信頼の構築、認知の共有という3つの要因がキーとなっていることを示した。
具体的には、まず、本事例では、複数回にわたる試作品の導入によって、店舗においてSkip Cart®を導入した際に生じるであろう課題について検討していた(図2のH1~M2)。また、当初、購買数増加を目的として導入を始めたSkip Cart®は販促機能を主に搭載していたが、利用者や従業員からのフィードバックを受ける過程で、企業側の目的だけでなく、利用客の困りごとに注目する必要性に気付いた。その結果、販促機能のみならず、決済機能も導入するに至った。それにより、決済機能と販促機能を搭載したカートとして、Skip Cart®の機能が安定した(図2のH2~M3)。そして、Skip Cart®を2015年という早期から店舗に導入していたこと、そして、複数店舗で継続して稼働したことは、トライアルの利用客にとって、Skip Cart®の正統性獲得へとつながった。つまり、実際の店舗において安定して稼働していることで、利用客が「Skip Cart®は利用しても問題ない」という認知を共有することに寄与した(図2のH3~M4)。
以上の分析を通じて、本研究では、Leonardi(2011)の理論的枠組み(図1参照)を、図3のように拡張する。われわれは、組織における技術導入と定着にあたっては、Leonardi(2011)が示したような単なる相互行為の積み重ねが存在するというだけではなく、それが反復・安定・正統性獲得という3つのプロセスを経て、制度化が達成されるのだと主張する。また、そのプロセスに至る上で、不確実性の削減、信頼の構築、認知の共有という要因が作用する。なお、図3の縦軸は技術利用の定着化の進展を、斜めの矢印は、時間的展開とそれに伴う制度化の進展を示している

(出所)筆者作成。
最後に、本研究の理論的含意、実践的含意について、それぞれ検討する。まず、理論的含意については、次の3点が挙げられる。
第一に、組織への新技術の導入を社会物質性概念を用いて検討した点が貢献点として指摘できる。社会物質性の概念を導入したことにより、技術を浸透させるためにどうすればよいか、そして技術の導入に際してどういった問題が生じ、それをいかにして乗り越えていくのかという、人間と技術による「共進化」(Barley, 1990)のプロセスを詳細に記述することができたと考えられる。
第二に、Leonardi(2011)の理論モデルを拡張した点である。従来の鱗状重層モデルは、人間エージェンシーと物質的エージェンシーの相互行為が日々の実践をどのように形づくるかを丁寧に捉えることに強みを有している一方で、その累積的効果が組織における制度化へとどのように接続していくのかについては十分に説明されてこなかった。本研究は、この理論的限界を補完すべく、相互行為の記述を超えて、技術導入が「反復」「安定」「正統性獲得」という3段階を経て制度化に至る過程を描き出す枠組みを提示した。これにより、Leonardi(2011)のミクロ次元での相互作用分析を、制度化というメゾ/マクロ次元のプロセスと架橋する理論的貢献を果たしたと考える。
第三に、本事例においては、新技術の導入過程において経営者層主導の意思決定が大きな影響を及ぼしていたことが明らかとなった。このことは、技術導入における経営者の意思決定の影響に着目する意義を示すものであり、社会物質性研究と技術導入に関する研究、さらには政治的行動に関する研究との架橋を可能にする視座を提供する(Winner, 1986)。
5.4 実践的含意本研究における実践的含意としては次の2点が挙げられる。第一に、企業のDXにおける指針の1つを明らかにしたことである。新技術の導入を推進するにあたっては、いきなり全社的に導入するのではなく、実験を通じて徐々に組織に浸透させていくことが有用であると考えられる。本事例では、実験を通じて技術を改善するとともに、企業内外に広く知らしめることで、Skip Cart®という新技術について浸透させることに成功した。もっとも、開発コストや技能などをはじめとしたさまざまな資源的な制約上、こうした実験を行うことがそもそも困難である企業組織も存在しうると思われる。そうした場合においては、単体ではなく、他社と協力して実験を行うなどの戦略を検討するといったことも考えられるだろう。
第二に、経営層が技術導入に理解を示す必要性についてである。Skip Cart®の開発と導入において、そもそも開発のきっかけが経営層であることもあり、クーポン機能の搭載について利用率が向上しなかった際にも開発を中止しないなど、Skip Cart®の開発と導入の継続に向けた行動を多くとっていた。このように、経営層は一時的に肯定的な結果が得られなくとも、長期的な視点で課題を特定し改善する姿勢が必要である。
以上2点をまとめると、経営層は技術導入に積極的な姿勢を持ち、導入推進者はやみくもに技術を導入するのではなく現場にとって使用しやすいよう適宜修正を施しつつ、技術導入を行うべきであることが、本研究の実践的含意である。
なお、本研究に残された課題としては、本研究で得られた知見が他の組織においても適用できるかは不明である点が挙げられる。今後は、今回の事例と他の事例との比較を通じて、分析を精緻化することが望まれる。
本論文の査読にあたり、貴重なご指摘と建設的なコメントをお寄せくださった2名の査読者の先生方に、心より御礼申し上げます。また、本論文の草稿に対して有益なご助言を賜りました上林憲雄先生(神戸大学)ならびに宮尾学先生(神戸大学)に深く感謝申し上げます。さらに、調査の実施にご協力いただきました株式会社Retail AIの皆様に厚く御礼申し上げます。なお、本研究の一部は、令和6年度「異分野共創による次世代卓越博士人材育成プロジェクト(SPRING)」の支援を受けて実施しました。ここに記して感謝申し上げます。