抄録
本稿の目的は、近代沖縄の森林所有区分事業「杣山整理」において、近世琉球王国の用材林だった「杣山」の土地が、現在の字にあたる村(ムラ)ではなく市町村にあたる間切に売り払われたことを明らかにすることである。この売払先は戦前から間切とされてきた。しかし、1972年の沖縄の本土復帰後、村(ムラ)とする地域伝承が顕在化し、現在、間切説、村(ムラ)説、間切または村(ムラ)説の3説が並立している。沖縄は戦争の影響で戦前の資料が乏しく、どの説も明確な証拠を欠いたが、2013年に至り、既知の沖縄県の告示を示し、村(ムラ)ではなく間切に売り払われたとする論考が現れた。しかし、この論考は、八重山郡西表島に関するその告示を全県に関する告示と誤認し、ほかの地域の売払先を確認していなかった。そこで本稿は、主に告示を含む行政資料を用いて各地の売払実態を分析し、土地は全県で村(ムラ)ではなく間切に売り払われたと推定した。