2018 年 31 巻 2 号 p. 19-31
現代社会においては,価値観は相対的,流動的なものとなり,枠組みはその都度様々に形を変えるようになった。そうした現代社会を生き,不変の枠や確かなここを持ちえず,リキッドな自分にならざるをえなかった思春期男子の事例を検討した。夢に現れた固定されるというイメージを手がかりにして開始された箱庭で,Clは逡巡を繰り返した。それはここという地面を作ること,すなわち,誰も根拠や庇護を与えてくれない自分の感覚こそを自身の拠って立つ基盤とする試みであり,こことここではないどこかや自と他の境界を明確にしていく過程でもあった。閉じられた場に固定し,自らの感覚との対話を促し,それを形にして表すことを強いる面を持つ箱庭は,リキッドなClにとっては,これやここという確かな自分の感覚を作る場としての意義を持つことが示唆された。